「各省事務を整理する綱領」
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時事新報に掲載された「各省事務を整理する綱領」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
各省事務を整理する綱領
一昨年廿六日伊藤内閣總理大臣が本月廿三日の勅〓を奉〓して各省の事務を整理する綱領を擧げ將來に標準を各省大臣に示したる達文を一讀する〓言皆時弊に適中しこれを矯正する方法を按じて遺す所なきが如し
第一官守を明にする事
達文に曰く明治十年に改革を施して各省に官吏を罷免しざるもの過半數〓りしが當時官吏の定員に制限を置かず後來豫防の工風を怠りしが爲めに其後官吏に數〓次第に増し今日に遂に其初めに倍〓すに至りたり就いては自今各省官吏の員數を定め大臣の下に次官は一人とし局長及び局次長は奏任とすれども局中の課長は皆判任を以て〓〓に充て奏任官の定員を増加する必要あるも内閣の評議を經て裁可の後ならではこれを許さず又定員の外にて出仕又は御用掛など云う名義を以て補任することを許さず八等官以下各省大臣の判任する官吏の數は制限はなきも定額の棒給金高を超過するまでに人を使用することを許さず奏任官たる者は高等の試〓に及第したる者に限る判任官にして何程の年勞を積めばとて唯年勞の廉のみを以て進て奏任に列すると許さば云々など云う事其大意にしてこれを從前の官制に比すれば實に一大面目を改めたるものと云うて可なり其成跡は各省共に大に勅任官の數を減じ又奏任官の數を減じ勅奏任官共に其職權從前に比して大に其重きを加えるなるべし勅奏任官の人員を少數に制限して其官守を明にし定額棒給の範圍内に就いて勉めて少數の属官を使用するに於いては從前の官吏の半數或は三分一位の人員にて事務に當り毫も差支を見ざるべく或は此際官吏の執務時間を改め一週間五日〓九時出頭午後三時退出一日は九時出頭十二時退出全週の執務時間合わせて三十三時日曜日を除いて平均一日の勤務五時半ずつなど云う如き氣樂なる規則を癈して世間普通日曜日を除く外毎日の執務〓午前七時半より午後四時半乃至五時半と定めんには事務の捗取り更に又一層の則〓を〓うべし盖し政事に學事に兵事に農工商事に人間の衣食を得る道世界に少なからずといえども一日五時間内外の勤勞にて優美の衣食を爲し得る者は極めて稀有の規則を永續することを要せんや人間と人間並みに人間社會の普通法に從うよう善〓るべけれ
第二選敍の事
達文に曰く選敍の法定まらずして人各其知る所を擧ぐ而して成學の士或は其進む所を失う今官制一たび定まり官仕限り成るに及んで選敍の法を設けざる時は行政部局其人を得るに由ならかん其選敍法の大要を擧ぐれば進仕は總て試〓に由り試〓に學術試〓と普通試〓と専科試〓の別あり試〓委員は内閣中に設け試〓合格者にあらざれば奏任官に昇るべからざる勿論判任官にも選用せらるゝを得ず而して試〓委員の紀律を嚴にして公正を保たしむべし云々と如何にも此論の如く官吏を採用するに人各其知る所を擧ぐるようにては遂に其情弊を堪えざるに至らんこと自然の理にして政府の憂これより甚だ〓きはなし人各其知る所を擧ぐればとて必ずしも不才不能の人のみ登用せらるゝ弊害あるにはあらざれども人各己れの知る所と云えば兎角先ず故〓朋友同郷同里の人に多くして他人他郷の人に甚だ少なし奥羽地方に何様の賢能あるも中國人の知遇を得るは甚だ六ヶ敷北陸地方に何様の俊才あるも九州人の知る所をなると容易に望むべからざる事柄なり斯くの如くしては何程有爲の士にても〓疎くして他郷の有力者に其名を知られざるが爲めに遂に其才を政治上に試るを得ずして老朽する弊害〓〓と云うべからず固より人間の仕事は必ずしも官吏たるに限らず國事は政治の一事に限らざるがゆえに政治上の有力者に〓疎き異郷邊〓の有爲者にして其才を官務に試ることを得ざればとて別に遺憾の思もなかるべけれども政治部内の目より見て各官職皆其人を得んことを希望するときに是非とも人各己れの知る所を擧ぐる古法を改めて試〓を以て進仕の道を開く新法に由らざるべからず唯我輩が此際最も當局者の注意を願うものは所謂試〓委員の紀律を嚴にして一點の不公正なからしむ事なり折角の試〓にして少しにても公正を欠く疑いあるか又は一旦施行したる試験にして都合〓れあり再試〓を要するなどいうようの疑似の形跡ありては忽ち滿天下の信用を失い折角の良法も徒文にして止むの恐れなしというべからず最も注意すべき事なり(以下次號)