「朝鮮國小なるも日本との關係は小ならず」
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時事新報に掲載された「朝鮮國小なるも日本との關係は小ならず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
朝鮮國小なるも日本との關係は小ならず
我々日本人は朝鮮國の事を度外して可なるべきや曰く甚だ不可なり何となれば朝鮮は日本最近の隣國にして其地勢日本魯西亞支那三國中間の形勝を占め東洋の大勢上其關係する所决して容易ならず此國の興廢存亡は勿論内乱一揆、文明の進否、商業の盛衰に至るまで其一動一靜總て皆我日本に影響を及ぼさざるはなしこれを如何ぞ日本人にして朝鮮の國事を度外視するを得んや然れども朝鮮國の日本に累を爲す一度にして止まらず其最も甚しきは明治十五年七月と明治十七年十二月と京城兩度の變乱なり此兩度に日本人の生命を失ふ者合せて五十幾名日本政府の公財并に日本人民の私財を費すこと又幾百萬圓决して多からずと云ふを得ず而して其返報として日本人の得たる所を見るに土地財貨を得たるにもあらず新たに商賣工業の利源を開きたるにもあらず左すれば他に無形の情誼誠意にても買ひたるかと云ふに目下朝鮮の人氣を見れば日本人を厭ふの心は大に前日に増したる痕跡はあるも減したる兆候とてはなきが如しこれぞ正しく恩を施して怨を買ひたるものにして人間世界これに超す遺憾はなかるべし斯る無心無情の國民と永く關係を維持して自から損害を招くは徒らに世の物笑ひたるに過きざればとて斷然兩國の關係を絶たんとするも今日の時勢に於てこれを如何ともすること能はず日本朝鮮兩國間の關係は自今月に日に益繁多近密を加へ又其緊要重大を加ふべき傾きのみありて更に衰微すべき兆候なし此際此關係を絶たんとするは人力の及ぶ所にあらざるは勿論鬼神といへどもこれを如何ともすること能はざるべし若しも強ひて日本人が自から我耳目を閉ぢ朝鮮の事は故らに聞かず〓らに見ず〓〓島外は烟波萬里の異域、人間の往くべき土地にあらずとて自から内に蟄居することもあらんかこれぞ所謂栄螺の籠城なるものにして身邊に危険多きを慮り頭を縮め蓋を閉ぢ殻中の天地無事太平に鼓腹する折柄忽ち臀邊に過度の温氣あるを恠しみ試みに頭を延ばして四邊を見れば〓ぞ圖らん身は既に壺燒きの網上に在りて酒客の好下物たらんとせんとは榮螺の運命甚だ墓なし日本人にして若し此榮螺に鑑みて己れを警むることを知らば朝鮮交際の勞力と費用とを惜みて内に退縮するの愚拙を悟るならん日本人にして一旦果して頭を縮め葢を閉ぢたる後偶ま外來止むを得ざるの機會に促がされて頭を上げて四方を脉むることもあらば此時全世界中朝鮮國都稱すべき一寸の土地もなきを見いだすこともあらんか苟めにも此等の事を思へば仮令へ何樣の艱苦あればとて我日本國の獨立し在る限りは朝鮮國との關係を絶ち又其交際を怠るの理由なかるべきなり
近來朝鮮の國情を察するに大院君は支那より放免せられ京城に歸るを得さりといへども事大党閔族の權勢甚だ強盛にして君に運動の自由を許さず國内君を景慕するの種族少なからずといへども政府に抵抗して事を成す程の力なし此際支那政府は一昨年の事變に支那兵の統領とと爲り在京城の我日本兵を王宮に攻めたる有名の袁世凱氏を全權使節として京城に駐在せしめ仁川に軍艦數艘を繋ぎ鴨綠江頭に六千の兵を屯し京城北京の間に費用技手を貸與して電線を架する等其擧動の活溌豪膽にして人を畏れざる一見傍觀者をして喫驚せしむるに足るものあり左ればにや京城通信者の言に袁氏の威望は國王に勝れりとあり實に千萬無量の意味ある評語といふべし然るに此際我日本國が朝鮮に對するの擧動を見るに一昨年の事變の後竹添公使は任所を去りて東京に歸り京城の外交事務は總てこれを書記官の代理に委任し追て護衛の兵士も引揚げ仁川の領事も歸國して代人の赴任する者なき等其形状甚だ沈着して且淋しきが如しこれを支那政府の擧動に比するに冷熱正しく相反するものと云て可なるべし我輩は外交の都合掛引を知る者にあらずといへども我同盟諸國中其交際事務の困難重要にして其理務使臣に人を得ることの必要なるは支那朝鮮兩國との交際に在ることならんと信ず然るに今我日本并に東洋全体に對して最も縁の薄く又勢力の少なき墺地利、和蘭、伊太利などいふ國々には儼然たる日本全權公使の在勤し又在勤したりしことのあるにも拘はらず最緊要の朝鮮國には未だ曾て日本全權公使の在勤したること無きのみか今の時勢に京城の任所に公使を見ざること全一年にも及ぶが如きは我輩の甚だ解すること能はざる事相なり