「敵は國外に在り」
このページについて
時事新報に掲載された「敵は國外に在り」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
敵は國外に在り
今の日本の天地は太平無事ない明治維新の當坐に於ては或は一〓一地方の人氣の動靜に由りて全國の秩序を輕重するの虞なきにあらざりしといへども今日の社會は然らず秩序一たび定まりて復た動かすべからず全國靜肅四境の内唯鷄鳴狗吠を聞くに過ぎさるのみ世間時に不景氣の沙汰もあらん又時に不平の徒の奔走するもあらん不景氣固よりこれを療治するの道を求めざるべからず不平の徒固よりこれに應ずるの方案を定めざるべからずといへども此等の事元と直接に又急速に國の獨立安寧を撼搖する程の大事にあらず徐々に方策を定め徐々に事に着手するも必ずしも大小其處辨の法を誤れりと評するを得ず盖し國の獨立安寧に緊要重大の關係を有せざるが爲めなるべし實に今日の日本内國の天地は無事太平日永くして年に似たるものと云て可ならん然れども少しく區域を廣くして眼を海外の事情にまで注ぐときは日本の太平必ずしも永久の太平にあらず或は内國丈けは永久の太平なりとするも外國より押寄せ來る風波の爲めに遂に此太平を擾亂せらるるの虞なきやを疑はざるを得ず今や世界の文明開化は年に月に進歩する中にも其進歩の度は彼此甚だ不同にして其平均を得ず最上等の文明人種と最下等の野蠻人種とを比較すれば人と猿の相違も啻ならず最上等の文明は久しく歐洲白色人種の專有する所と爲り歐州人獨り世界の群を拔き他を侵凌するの志止むべから〓といへども古來唯歐洲の小區域内に割據して兄弟墻に鬩ぐの事に忙はしく大に世界横行の志を恣にするの機會を見出さざりしに〓近四五十年來は文明の利器を利用したるの結果として國愈富み兵愈強く志望愈遠大にして遂に抑制すべからざるの勢と爲り次第に其餘る所の人を派出兵を派して世界に横行せしめ土地あればこれを占領し人あればこれを征服し世界の威服を掌握するの多少を以て人に〓り自から喜ぶの風を成したるより爾來地球上の國として又人として多少に其影響を蒙らざるはなく甚だじきものは其屬邦奴隸となり甚だしからざるものも其風を望みて色を失はざるはなし近くこれを日本近傍の近事に徴するも樺太島は魯西亞の版圖に入り香港は英國の植民地と爲り朝鮮の巨文島は去年英國に取られ安南は去年佛國に併せられ緬甸は又今年に入りて遂に英國の領地と定められたり此勢は今日以後年に月に其力を増し其速度を加ふべきは自然の理にして敢てこれに抵抗し得るものなかるべしこれを今日の事に徴して今日以後の事を察すれば我々日本國民は决して今日の小康を樂しむべき身柄の者にあらずと信するなり啻に歐州人の侵略の恐るべきのみならず今日西隣支那國の擧動を窺ひ見るも聊か又我々日本國民をして心竊かに不安ならしむるの趣なきにあらず去年佛國と開戰以來は支那政府の擧動俄かに活溌豪膽に變じ往々人の意表に出るの所置を見ること少なからず固より一時の事相にして永遠に持續すべきにあらず世界の大勢は支那の進退を以て左右し得べき限りにあらずとするも最近の隣國たる我日本は此老帝國の一進一退の爲めに一時なり又は永遠なり多少に其影響を蒙らざるを得ざるなり例へば事實には固よりある可らざることなれども我輩が俗に所謂瓢箪から駒の漫畫を畫き支那人が頓に其自信自慢の心を増したりとして今更ら漠然日本に向て琉球談判を始むとか又は朝鮮に命令して金玉均の引渡しを要求せしむるとか又は京城の日本人を殊更に冷遇せしむるとか云ふやうなる事を仕掛けんには仮令へ其云ふ所は非理にして其爲す所は〓暴なりとするも狂暴人に出逢ひしが我不幸と諦らめ面倒とは思ひながらこれが相手と爲りて斷然我權理を貫ぬき我利益を保護するの工風を爲さざるべからずこれを爲さざれば日本の獨立は名實共に大に毀傷せらるるの虞あればなり歐州人が平押しに押寄する勢も甚だ恐るべく支那人がチョックチョック前後不揃いの擧動を爲すも亦甚だ掛念すべしこれを掛念しこれを恐るる以上は亦これに應ずるの工風をも求めざるべからず今日は實に日本國民他事の時節なりと云ふべきなり