「請ふ其次を聞かん」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「請ふ其次を聞かん」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

請ふ其次を聞かん

我政府は客年の末を以て大改革を施し内閣總理大臣を置て政府全体の責を一人に歸し一人の號令を以て全体を運動するの都合と爲れり即ち此改革は日本の政府をして文明政治に一歩を近くせしめたるものにして我輩は天晴の進歩なりとて今方に之を歎美しつつあるものなり

右に就き内閣総理大臣は官守を明にし選敍を愼み繁文を省き冗費を節し規律を嚴にする等政府の事務を整理する五箇條の綱領を定め之を各省大臣に達し斯くて後其達文を官報に記載したらば我々人民は間接に之を一覽することを得、爲めに一言を費したり然るに民間の論者中には右五箇條の綱領を見て其善惡當否は恰かも現政府の一大事なるかの如くに思ひ言長く又喧しく喋々するものあるが如くなれども我輩の所見は之れに異なり彼の五箇條の綱領は云はば政府中の内規に關するものにして政府の事務上より區別すれば公の部分に属せずして寧ろ私の部分に属するものなり譬へば一家の改革に下婢下男の數を減じて其役目受持を定め其雇入方を改めて漫に桂庵に依頼せず仕事の取扱を手速くして臺所向きの物入りを省き情實を問はずして老■(きへん+「汚」の右側)番頭を廢する等は一家内に取りて大改革たるに相違なしと雖ども是れは戸内の私にして必ずしも之を隣人に披露するを要せず隣人も亦之にれに關心するを要せざるなり一家の事既に然り一政府内私の部分の改革は我輩張膽明目して之を議することを悦ばず我輩の知らんとし又議せんとする所は政府の公の部分即ち其政略如何に在るなり

凡そ文明國の政府は其政府を組織するの初に當て其政略を明にし政府の意の所在を示して可否を輿論に問ふものなり例へば英國などにては内閣の更迭ある毎に新政府は前政府の政略の非を示して己れの政略の正を明にせざる可らざるが故に政府が其政略を示すは勿論、或は未だ其更迭なくして野に在る時にても現政府に反對する者は自家の方向を公示するの慣行なり昨年末英國議員改撰の際には自由黨首領グラツドストン氏の發案にて愛蘭政略埃及政略を始め寺院教育の事に至るまで未來の處置方を明にして之を天下に告示したり在野の政黨既に然り政府に立つものに至ては固より其政略を匿すに暇あらず東歐洲事件に就きては處分如此し緬甸國を取扱ふの策は云々なりとて初より之を公にして憚らず又過日佛國内閣の辭職したるは内閣總理大臣ブリソン氏が在東京の佛軍を撤去することを拒み且つ國事犯罪人の大赦を許さずして衆望を失ひし事其主源因なりと知られたるが如く何れにも文明國の政府に變更あれば其變更の理由は公然たる内外の政略上より視察し又當局者の公言公文に由りて明白なるが故に國民も亦唯この公言公文に注意して新政略の方向を窺ふのみにして官職内規の事の如きは之を問ふに遑あらず官吏多ければとて事務大に擧れば其多きを厭はず費用減ずればとて事務澁滯すれば其減ずるを悦ぶ可らず孰れも政府内の私事にして殆んど國民公共の資格を以て直接に關す可き事柄に在非ずと云ふも可ならん左ればにや昨年三月米國大統領クリヴランド氏就任の後府中の官吏は申すに及ばず各國出使の外交官までも悉く之を改更し政府の事務上にも大改革を施したれども政府は之を人民に告げず人民も亦之を議せず然るにクリヴランド氏が銀貨製造停止案を下すに及んでは可否の論殆んど米國内を動搖したり米國人民の如き盖し政治上の輕重を知るものなりと申す可きか然るが故に我輩は彼の五箇條の綱領を讀んで間接に私の心得のためには悦びたれども未だ以て心に足れりとするを得ず盖し我輩の特に知らんと欲する所は政府改革後の政略如何の一事に在るものなればなり先づ外交戰略に就ては之を東洋西洋に區別し西洋諸國に對しては如何なる態度を裝ふ可きか、東洋の中朝鮮を如何して支那との交際を如何するや、海陸の軍政は如何、増減振否孰れに在るや或は海軍を増して陸軍を減ずるや、或は之れに反對するや、財政の趣は如何、租税の増減孰れに决して今の不景氣を如何するや、銀紙纔に同價に歸して日本は銀世界と爲りたれども歐洲諸國は漸く金世界に變ぜんとす此時に當ては金銀本位の説も亦甚だ肝要なり、鉄道の工事は如何、教育の方向は如何、此等の政務に關して伊藤内閣の意見は如何我々日本人民の俯仰回顧して聞かんと欲する所は唯此一點に在るなり今回我政府改革の精神は文明政治に一歩を近くしたる者なれば文明政府に固有なる政略公示の擧に於て獨り之を爲すことを憚る者に非ず但し歐洲諸國にては古來の慣例、當路權貴の大臣は何館の宴會、何地の集會に出席し千萬人の耳目に對して其内閣を代表し公然其意見を演説すれば世上其意見を認めて之を内閣の意見なりとし之を電報し之を郵通し新聞紙上にも掲載して其可否を批評すれども我國にては未だ此等の慣例を見ず事の實際に於ても今後俄に大臣の演説を衆人廣座の中に聞くの機を得べしとも思はれざれば政府が其政略の綱領を示すには唯官報の媒介あるのみ我輩は我政府が不日彼の事務整理の綱領五箇條に次で其政略の大体を官報に掲載し偉略雄図、天下の耳目を驚かすあらんことを渇望するものなり