「北海道廳」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「北海道廳」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

北海道廳

明治二年七月に開拓使を置いて北海道一圓拓地殖民の事務を管せしめしが明治十五年に至り既に拓地殖民の業も大に其成果を呈し全道を擧げて最早内地同樣尋常府縣治の下に置くも差支なしとの趣意に出でたるものにてもあるか同年二月開拓使を廢して函館札幌根室の三縣を置き全道を三分して三縣に屬し追て別に北海道事業管理局なる者を農商務省中に設けて從來開拓使にて經營し居たる諸農業試驗塲、麥酒罐詰を始め種々樣々の製造所、炭坑鉄道、及び農學校等の諸事務を司らしむることとしたり最初開拓使の費用は年々百五十萬圓位(十四年度决算百三十五萬八千圓)のものにして廢使置縣後の費用は函館札幌根室の三縣并に北海道事業管理局費等を合計すれば年々矢張り百三十萬圓内外なりし開拓使の有無に由りて北海道の費用に増減なかりしと等しく其事業上の成跡にも恐らくば加減進退の變化なかりし事ならん詰まる所明治十五年二月までは北海全道の事務を一人の管理の下に置き二月以後は之を數人の管理の下に置きたりと申すまでの事にして何も大なる相違はなかりしものと合點して可ならん然るに今又伊藤伯の政府は北海道の三縣及び北海道事業管理局を廢し全道に通して拓地殖民の實業を擧げしむるが爲め縣と局との代りに新に北海道廳なるものを設け全道の施政及び集治監屯田兵開墾授産の事務を一手に統理せしめ其本廳を札幌に其支廳を函館根室の両所に於て〓を執らしむる事としたり是れより以後北海道の事業上に何樣の進歩を見るべきにやは固よりこれを今日に知るを得ずといへども今回の改革は先づ開拓使の再置の如きものなりと心得て左まで鑑定を誤まりたるものはあらざるべきか

我輩は今北海道廳の新設に際して一事當局者の注意を希望する事あり從來當局者が北海道に對するの所置を見るに只〓農民の移住を〓め地を拓き穀類を種ることを〓〓〓〓の北海道の第一富源と稱せらるる漁業の如きは却てこれを冷遇するやの形跡なきにしもあらず我輩の甚だ〓ふ所なり北海道には良田と爲すべき荒野もあらん伐採すべき材木もあらん採掘すべき鑛物もあらん故に必ずしも海岸に在りて魚藻の利を逐ふを要せず廣き内部に進入して永遠の大利を興すの工風を爲すべしとの説もあらんかなれども此等漁業外の事業に從事するには仕組の大なるを要し資金の大なるを要す又眼前の損毛に辟易せざる事を要するものにして小資本家の容易に企て及ばざる事柄なり漁業はこれに反し必ずしも資金の大なるを要せず其資金の運轉甚だ速かにして利潤甚だ厚く其市塲の如きも近きは日本國内遠きも隣國支那の諸港に過ぎずして又其費用も狹小のものにあらず土地不案内の異郷人が飄然として此所に來り少しの資本を以て次第に富を作るの道を求めんとするには先づ漁業に從事するより外に個の好方便あるべからず北海道を開く何ぞ必ずしも農業に限らん漁業なり農業なり最も多く最も速かに富を作り最も多く最も速かに移住人を誘致するの方法を擇ぶこそ智者の事なれ得る所の利益の多少遲速を問はず徒らに其利益を得るの方法に對して彼是厚薄の情を挾むが如きは最も計の得たるものに非ずと云はざるを得ず從來北海道の漁業者が最も困難を感ずるものは彼の有名なる物産税并に出港税なり物産税は其税率塲所柄と品柄とにより同一ならず從量五分より二割までの間を賦課する種々込入りたる海産税にして其税額は鮭なり昆布なり皆現物を以て納めしむるの法なり出港税は北海道の海産物を他方に輸出するに際し其出港地の時價に從ひ品物の原價百分の四を通貨にて納めしむるものにして塲所柄品柄によりて區別をせざる法なり北海道の漁業者は從量二割と從價四分との海産税を拂ひたる上に又これを拂ふために必要なる種々手數を爲し利益の十分ならざるを感ずる折柄近年全國の不景氣に際して海産物の需用も從前に比すれば幾分の生氣を失ひ躊躇逡巡の色なきにあらず唯此上は此人々も斷然北海道を去るか又は利益の少なき農業に轉じて尚ほ此地に留まるか二つに一つを擇ぶことならんか今や日本全國到る處不景氣の風の吹かざるなければ仮令漁業者が北海道を去りて内地に來らんとするも内地亦奇利の拾ふべきものあらざれば農業に轉ずるとも矢張り北海道に留まる方を利とすることならんとの説もあれども勢未だ必ずしも然るを期し難きものあり今の時勢は昔日に異なり昔日鎖國の時節なれば兎も角も廣く知識を世界に求るの今日に當りて富も亦廣くこれを世界に求むべきは自然の道理にしてこれを妨ぐの工風あるべからず目下日本の實業家勞働者は其見聞尚ほ甚だ廣からず其志望尚ほ甚だ大ならざるがゆゑに富を求め家を求むるは北海道の外に其地なしと妄信し幸に今尚ほ北海道の移住を喜ぶ者も少なからずといへども一旦其見聞志望を廣大にし天下未開の土地は北海道に限らず例へば對岸の北亞米利加地方の如き心身堅固の者の富を求め家を求むるに倔強の地なりと悟ることもあらば勢遂に北海道に足を向くる者なきに至るべきやも知るべからず决して油斷すべからざるなり故に我輩は序ながら當局者に希望す北海道の漁業者を失望せしめずして速かに北海道殖民の業を成すの工風を運らさんことを