「緬甸の亡國を見て新聞紙の効力を知る」
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時事新報に掲載された「緬甸の亡國を見て新聞紙の効力を知る」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
緬甸の亡國を見て新聞紙の効力を知る
今の世の中にて理非曲直の論は聲の高くして騷々しきものが常に全勝を占むるの勢を成したるが如し世界の事は世界の人皆な之を見るを得ず、見ざるものは見たる者に聞て其事を知るの外なし然るに其實見者が口も筆も達者にして文明世界の傳達機なる新聞紙を利用し聲高く世上に論告する時は其事を見るに及ばざる者は遂に之を信ぜざるを得ず即ち衆口金を鑠すものにして世上の事實に於て少なからざるの例なり今其一例を擧げんに先頃英國と緬甸との戰爭あり一戰して緬甸大敗績、國王面縛して英軍に降り緬甸國は英國の亡ぼす所となれり此戰爭の前後、事の始末を報道したるものは一切英國人の手に成る新聞紙にして俗に云ふ手前味噌の筆加減にや万事万端緬甸國君臣の迷妄失計のみを報じ戰爭の諸原因中緬甸王セボーが無道暴虐にしてイルラワデー河に通商航行する孟買緬甸商會に無法の罰金を課したる事其大原因なりと云ひ又戰爭の初にも緬甸王は火其臂を燒くと夢みて自滅の兆なりしとは悟らず妄りに蟷斧を英軍に向けたりと云ひ或は王は佛法に惑溺し我國佛法あり英軍來り敵す可らずとて悠然たりしと云ひ或は鷹宮中に舞たれば是れ英人の我を喰ふの兆なりとて小兒を殺して其犧牲に供したりと云ひ唯其報道のみを聞けば妄誕不經國の滅亡を招くも固より其所なりと想はしむるに足れり又兩群攻防の際にも緬甸の群臣は皆な無腸、一人の勇奮義を唱へて社稷の維持に奔走したる者あるを聞かず如此き君王、如此き臣民が相集合して上下と爲り亞細亞洲屈指の一國として數百千年の間に成立したるは不審千萬と云はざるを得ず緬甸固より野蠻なり不文なり我輩敢て之を庇護するの念なしと雖ども凡そ天地間の人類が一社會を成して之を維持するには其維持の元素として多少の知徳なきを得ず况んや其社會も一時の烏合にあらずして幾百千年の久しきを經たるものに於てをや緬甸國人决して禽獸に非ず仮令へ強ひて之を獸視するも獸中自から報國盡忠の士人ある可きは人間社會の約束に於て爭ふべからざる數なれば新聞紙の報道盡く信ず可らず或は之を信ず可きの事實とするも緬甸の利益のために記すべき事柄は之を掩ふて世に明にせざりしものと推察せざるを得ざるなり我輩の臆測を以てすれば器械の良否兵の精粗、用兵の巧拙等遙に相當らざるがために緬甸も今は英國の亡ぼす所となりたれども其際緬甸君臣の擧動に就ては隨分見る可きものありしも報告の手段を缺くがために美事偉聞の草■(くさかんむり+「來」)に埋沒したるものなしと云ふ可らず試に緬甸國に入り其亡國の民に就て親しく事の實際を聞きたらんには英人の處置も聞くが如くに穩當ならず緬甸君臣の擧動も聞くが如くに愚魯ならざりしを發見することある可し今日の實際に於ても亡國の箕子城墟を過ぎて麥秀漸々を歌ふものあらん不平の殷浩空を仰で咄々恠事を書するものあらん風蕭々として雲慘澹空城落日雀鴉乱れ亡國の志士髮冠を衝くものもあらんと雖ども如何せん彼等の手には其不平を訴ふるの機具なきが故に其衷情を叩て天下仁人の同感を促すこと能はず利害相反する英國人は其新聞紙に利己一偏の記事を載せ、傳へ又傳へて世界各國の新聞紙に掲載するの便利あるがために英人の戰勝、緬甸の亡國、恰かも天然の約束なるが如く世界の人は有無の間に看過して現在人の家國を奪ふたるものを見ながらも曾て之を恠しむものなくして世界の惡、盡く緬甸に歸するは畢竟文明の利器たる新聞紙が天下衆人の口を無言にしたるものにして今の世の中に理非曲直の論は聲の高くして騷々しきものが全勝を占むるの趣を見るに足るべし偉なる哉新聞紙の効力、今人動もすれば新聞紙を輕視して其實價を知らず又その實力を知らず甚だしきは之を邪魔にして其働を無に歸せしめんとする者さへなきに非ざれども唯是を小兒の考にして世界の大勢を辨へざるの愚を表するに足る可きのみ苟も外交上に大切なる國の聲價より一個人の評判に至るまでも新聞紙の力能く之を抑揚するの事實を悟りたらば之を重んじ之を友として治に乱に其働に依頼して之を利用するこそ文明人の一大事業なりと申すべけれ我輩は今度緬甸の亡國に就き偏に新聞紙の効力を感じ我國の人民が其効力を知りて大に之を利用せんことを希望するものなり