「英國保守黨内閣の辞職」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「英國保守黨内閣の辞職」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

英國保守黨内閣の辞職

前號の倫敦電報に見ゆる如く英國の内閣は新議院開塲の初めに敕語に對する答辞の修正案に敗北を取りて辭職したり世人の記臆する如く此迄の内閣は保守黨の首領ソルズベリー侯が昨年六月中旬を以て組織したるものにして今日に至る迄在職の時日は僅に半年餘に過きずと雖も其間に阿富汗の紛爭を解き埃及の處置を定め東歐の紛議に應じ緬甸の征服を完うしたる等其爲す處概ね英國人民の輿望に恊ひ未だ一として過失の見るべきものなかりしに今忽ち議院の敗北を取りて遂に其職を辞せざるを得ざるに至りしは其原因盖し一日の故にあらず抑今日英國にして自由保守兩黨の力を對比すれば保守黨は未だ自由黨に及ぶこと能はず左ればこそ昨年十一月下議院の總撰擧にも自由黨の當撰者三百三十三名に對して保守黨は僅かに二百五十一名に過きざりき然れども前の議院に於ては彼愛蘭自治黨と稱するパルネル氏の一黨は僅に六十餘名にして自由黨の保守黨に對する多數も今日よりは一層多かりしかば保守黨と自治黨と相合するも到底自由黨に抗抵するの望みなかりしかども此度の撰擧にて自治黨の議員は八十餘名に増し保守黨の議員も亦前よりは増加したれば保守黨と自治黨と相合するときは自由黨に對して充分に勝を議院に得るの望あるに至りしを以て頼む所は唯自治黨の援けを得て其政府を保持するの一點にありしなり然るに一方の自由黨の方にては此度の改撰にて復前の如く保守自治二黨の相合したるものに敵する程の力を有せざるに至りし上は若し自治黨が保守黨の方に荷擔せんには我黨は遂に政權を復するの機なきを見て其黨の首領たるグラツドストン氏等は務めて自治黨の歡心を得て之を我方の味方に入引れ之と力を合せてソルズベリー侯の政府を覆し代つて政權を執らんことを務めたるものの如し左ればグラツドストン氏が昨年十二月中書を女皇陛下に奉りて愛蘭の自治を許し愛京ダブリン府に愛蘭議院を開設して專ら國内の政務を議行せしむるの策を獻したるが如きも(此事は本月十三日の時事新報に書記したり)主としてパルネル黨の歡心を買はんがための所爲なりとは當時紙上にて專ら取沙汰したる處なりしが先頃到着したる米國諸新聞に載せたる諸報を見るも粗其事情を知るに足るものの如し例へば十二月十三日倫敦より米國紐育トリビユン新聞に達したる電報に

 (前略)此度の撰擧の結果判然たるに及びグラツドストン氏は直ちにパルネル氏と和睦なし愛蘭自治の方法に同意せんと决心せしが他の自由黨の人々は今にして此策を行ふは時機尚早くして危險なりとて之を止めたり云々

又十二月十七日ダブリン府發にて桑港クロニクル新聞に達したる電報に

 倫敦よりアイリシユタイムス新聞への電報に若し英國議院開塲の節女皇の敕語中に愛蘭の地方自治事なき時はグラツドストン氏は直ちに敕語修正の動議を起して此處置(地方自治を云ふ)は愛蘭に取りて必要なる旨を論ずべし其時はパルネル黨は此動議を賛成すべきに付グラツドストン氏は再び政府に入りて愛蘭の自治を許すの議案を提出するならんと云ふ

 倫敦よりエキスプレツス新聞への電報にグラツドストン氏が愛蘭改革の策を妨たくる故障を除くの助けをなさん爲めに英國皇太子の助力を求むることは疑なき事實なり

 フリーマンス ジヨルナル及びユーナイテツト アイルランド等の新聞(皆自治黨の機關なり)は孰れもソルズベリー卿が不滿足なる愛蘭自治の方法を提出するに於ては保守黨の政府は自由等とパルネル黨との聯合に依りて顛覆せらるるならんと云へり

是等の諸報を見れば自由黨の方にては勉めて自治黨の助けを求め自治黨の方にても亦自由黨を助けて其力に依りて愛蘭自治の目的を達せんとするの意向ありしを見るべし然るに保守黨の方にては別に見る處ありてか敢て自由黨と競ふてパルネル黨を味方に引入れんことをも務めざるのみならず本月二十一日議院開塲の時女皇陛下の敕語にも英國と愛蘭との合同を妨ぐる者を痛責し愛蘭人民の強迫恐嚇を鎭壓する爲めには更に力を用ゐざるべからず云々とありて暗に自治黨に反對するの意を示したればグラツドストン氏は此機に乗じて豫て謀りたる如く議院開塲の初めに反對論を提出し按の如く大勝利を得て遂に此度の如き結果に立至りたるものと思はる保守黨内閣辞職の次第は先づ右の如しとて此上グラツドストン氏が再び自由黨及びパルネル黨を率ゐて内閣に入るに至らば英國の内外に對する政略も又大に是までと趣を異にする處あるべしと思はるるなり