「教育の成功は旦夕に在らず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「教育の成功は旦夕に在らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

教育の成功は旦夕に在らず

教育は數年の事業なり功を旦夕に■(しょうへん+「又」)むる能はざるものなれば其善惡を評せんとするには數年の後を俟て其成功を見ること肝要なり然るに近來我國にて文部學政の局に當るものは度々其人を交迭し學制頒布以來十數年の其間文部卿の交迭幾回なるを知らず交迭あれば多少教育上の趣を變じ或は干渉畫一の法を採り或は自由放任の風を敷き或は古風古學えお奬勵する等後者の新案を實施するが爲め前任者の計畫は畫餅に歸し本來何種の教育が最も我國に適合するや殆んど之を知る能はざりしが如きは我輩の毎度遺憾とする所なり客歳十二月我政府に大改革あり森有禮君入て文部大臣となれり君が文部大臣として教育上の方向は如何、我輩未だ其詳細を知る能はずと雖ども君は歐米文明の國に出使し日進文物の何者たるを洞知すること久しきが故に先つ一般に英語英學を奬勵し教育法は勉めて文明實用の風を尚び國民の強壯を養ふが爲め體育運動の法を廣むるの覺悟ありと云ひ又各府縣の中小學校は都鄙其事情を異にし山村水落其趣きを同うせざれば其中小學校の教科書の如きは各府縣の適宜に任じて文部省は其瑣細の部分に干渉せず唯教育大体の精神を管理し教育は大切なり全國の子弟は必ず就學せざる可らずとて專ぱら之を奬勵すべけれども左ればとて其教科書の如きは各地方の事情もあり教育主任者の見込もあることなれば坐上の空理を以て實際の教授を掣肘せず全國幾多の學齡兒をして教育の道に進ましむれば足れりとの趣向にて其有樣を喩へて云へば彼の八宗兼學の大僧正が人に歸佛を勸むるに其經文の孰れにも偏せず南無阿彌陀佛、妙法蓮華經、何れにても差支なし眞宗、法華、天台、淨土其小派別を云々せず唯天下の善男女をして如來の明光を仰て無明の〓を〓すことを得せしめば夫れにて大願成就なりと觀念するが如しと云へり、斯くて學校教科書等の細事は唯其大綱を示すのみにて餘は〓な各府縣の適宜に任するときは各府縣の學事員は恰かも其教育法の一部分を取捨するの權を得たるものの如く其學事員たるの職務より考へて幾分か責任を重くしたるの姿なれば其重きに感じて教育上の熱心も加はり學事教育の■(たけかんむり+「助」)に向て勞費を吝まざるの風を生ず可し教育家勞を惜まず就學者費を厭はざれば教育の道爰に立つが故に今回の教育法實施の上は復た從來の覆轍を踏まず細工は流々仕上げの如何に注目して今後數年の後森大臣教育の意見果して我國に適合するや否を判斷すること緊要なり盖し舊臘我政府の大改革後は文部省率先して進歩改良の務に當り學政の變化、冗官の沙汰等省の内外一時の波瀾を生じたれば現に學務に從事するものにても改革■(つつみがまえ+「夕」)々從來の慣例に照らして新法の不便を感ずるものもあらん或は兼ねて教育上の意見を抱き之を實地に施さざるに早く巳に轉任免非等の沙汰を蒙り其志の伸びざりしを嘆ずるものもあらん或は森大臣の壯年勇進身を挺して改良進歩に急なるの趣を見て君は東洋のランドルフチヨーチル卿なりなど評するものもあらんかなれども改革の際一時に小不便あるは免る可らざるの數なり若しも此小不便を忍ばずして更に又改變する所あらんとするか教育上幾層の波瀾を生じて遂に其成功を見る能はざるに至らん教育は兒戲に非ず屡々其趣を變ず可らず我輩は從來我國の教育法が文部大臣の交迭に隨て變じ毎度其成績を見ることを得ざるを憾とする折柄、今度森有禮君を現職に見ることを得たれば教育を重んずる一片の丹心より君の在職を長うして其教育上の意見を實地に貫かしめんことを所望するなり