「正理は腕力に敵す可らず」
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時事新報に掲載された「正理は腕力に敵す可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
正理は腕力に敵す可らず
客歳英國の緬甸を亡ぼすや亡國前後、事の始末を報道するものは皆な英國人の手に成る新聞紙にして唯其報道のみを聞けば緬甸國君臣の迷妄失計、國の滅亡を招くも固より其所なりと想はしむる程なりしが我輩は漫に英國人の片言を信せず緬甸は固より野蠻なり不文なり我輩敢て之を庇護するの念なしと雖ども不文野蠻中亦自から義理正道を重んずるは人間社會の約束に於て爭ふ可らざるの數なれば事の實際を糺したらんには英人の處置も聞くが如くに穩當ならず緬甸君臣の擧動も聞くが如くに狂暴ならざりしを發見することある可しとて我輩は一片の弔詞を先頃の時事新報に掲載せしが去年十月廿四日佛國ヴオルテヤ新聞の記者が英緬の葛藤に就き佛國在留緬甸公使タン ギイ ウン ドウ クミン氏に面會し緬甸公使館一等書記官たる佛人フロンタン氏の通辨を請ふて一塲の談話ありし其筆記をル タン新聞に掲載せしものを見るに我輩の臆測漫然たらざるが如し因て今其舊聞に屬するをも顧みず左に其一節を抄録す
緬甸公使曰く英國は前年既に我國土の一半を蠶食し尚他の一半を併呑せんとするの禍心を包藏する瞭々火を視るよりも明なり彼其本望を達するに名なきを苦んで種々の口實を設け我國と不和を生ぜんとす其無道實に惡む可きにあらずや
又曰く英國は佛國が居を東京に占めたるを見て自家自から支那と交通するに最便の通路を渇望すること益々〓を加へベンガル灣と雲南の境とを連絡するの大〓〓と稱するイラワーデ河の主人たらんと欲して止まざるものなり
又曰く英國は〓に我國が鉄道敷設の事業を佛國の金主に委託せんとするの色あるを見て大に嫉妬の念を生じ〓く我に譴責を加へたりしに又竝に一事件を生じたり英人が組織する孟買緬甸商會に於て我政府〓〓〓の上〓果樹(英語にてチイリ佛語にてテツリ〓〓〓して〓〓と云ひ〓材に用ふ又一名を印度柏とも云〓〓〓〓を〓てたるに契約の制限を超て〓に伐木を爲したれば其罪赦し難く我政府は直に商會の代理人を執へ律に照して盜伐に係る木材の價直に對し二倍の科料に處したり但し我國法に於て人の財貨を盜む者は其價直に倍するの科料を課するの制規なればなり然るに英國政府は此處分を以て不當と爲し印度太守の裁判に據らしめんとすと雖ども我政府は自國内の犯罪を英政府の裁判に附するの謂れなきを唱へ固く執て之を肯ぜざるより双方の議論喧しく遂に一大葛藤を惹起したり是に於て英國政府は三箇の要求を提出し我政府の决答を求めたり
第一本要求書を提出する英國の使節を優待する事
第二森林伐採の件を印度太守の裁决に任ずる事
第三首府マンダレー在留の英國領事に一百人の印度兵を附して其護衞と爲す事
此三箇條の要求に應ぜざれば英國は直に開戰を布告し軍兵を差向け緬甸全國を擧げてヴィクトリヤ女皇の版圖に加ふべしとの申條なれども我國王陛下は英國の要求に應ずる能はず斷然之を拒絶したり我國王陛下若し英國領事に向つて緬甸政府の制御し得ざる外兵を率ゆることを許さんか佛蘭西、日耳曼、伊太利の各國も亦均しく英國の爲に做ひ本國兵をマンダレー府に送りて各其領事館を警護せんとするは鏡に懸けて視るが如し是れもオヘラ ブウフエ(巴里の劇塲)の演劇ならんには甚だ面白かる可しと雖ども武勇獨立の氣に富る五百萬の人民を以て組織する我緬甸國の京城に於いて諸外國の兵士が傍若無人の振舞を爲し時に各領事相善からずマンダレーの街頭互に爭闘を試むるが如き活劇を演するに至らば我々主人たる者の迷惑は果して如何ぞや然らば我々は如何して可なるや僅々數月の間は英國に抗ずるの心算なきに非ずと雖ども迚も久しきに耐ゆる能はず此間唯頼む所は佛國の助援を仰ぐの一事のみなり佛國は我國の貿易上に其關係甚だ輕からざるが故に他國をして豺狼の慾を逞うせしめ手を袖にして之を傍觀するものにはあらざるべしと信じたり何となれば東京富まざるに非ずと雖ども其人民各自に就て見れば赤貧洗ふが如く嚢中一スウ錢を餘さず緬甸は則ち之れに反し全体の富實東京に倍するのみならず一個人民の錢嚢亦頗る暖かにして其外國品を購買するの力あるは東京と同日の論に非ざればなり或は此點に於て前述の如くならざるも佛國は其關係重大なる印度支那に隣する一大邦國の將に他人の手に落ちんとするを見て恬然として之を顧みざるが如きことは萬之れなかる可しと信じたり我國王は進退維谷の窮迫に際し書を以て小官の意見を問はれたれば乃ち之を當國外務卿フレシテー氏に謀りて始めて佛政府が曾て我を助援するの意なきことを解得し我が落膽失望一方ならず詮方なくも我國王に向て成る可き丈け英國の意に從ふ可き旨を電報に由て奉答したり云々
書記官フロンタン氏は公使の言に繼で其の意見を述べて曰く佛國政府の放任政略右の如し我々實に其底止する所を知らず公使が右の如き頼母しからざる回答を緬甸國王に呈せざるを得ざるに至り其心中の感慨如何ぞや佛國人たる我々に於ても本國の爲に大に悲しむ所あり何となれば佛人は千八百八十四年五月佛緬通商條約を締結し爾來緬甸の商利を進捗し將に大に得る所あらんとする時機に達したればなり佛國の新聞紙は何故緬甸の事を論ぜざりしや若し彼の新聞紙が外國の事項に注意すること内國の事を論ずるに熱心なるが如くなしりならんには今日の悲境を見ざりしことならん眼を轉じて英國の新聞紙を見ればタイムスと云ひデーリーニスウスと云ひスタンダードと云ひ異口同音英政府に向て兵を緬甸に送て速に之を併呑す可しと勸告せざるの日あることなし嗚呼腕力能く正理を壓するの確言を服膺するものは世間豈に啻に獨相ビスマルクのみならんや云々
右の一話は緬甸國王英國の要求に應ぜず英軍將にマンダレー府に事あらんとするの際、佛國在留緬甸公使が其感慨を述べたるものにして其所言に據れば緬甸國の君臣决して狂暴無状なるに非ず談話中英國の禍心を包藏して豺狼の慾を逞うせんとするの陰險を指摘するに至ては辭氣凛然動かす可らざるが如し盖し公使は緬甸國慷慨の一士人ならんと雖ども五百萬の人民中公使と感慨を同うする者は一二を以て數ふ可らざることならん公使の言は佛國新聞記者の手を假りて幸に世に〓はりたりと雖ども其他萬斛の積冤は愈々深くして愈々埋設するを免れず國亡びて人の弔ふなく志士滿胸の熱憤は之を洩すに處なし其無慘の状或は之を國の縊死と稱するも可ならん今の東洋に國するものは緬甸亡國の跡に鑑みて大に戒心する所なかる可らざるなり