「朝鮮事情」
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時事新報に掲載された「朝鮮事情」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
朝鮮事情
日本と朝鮮との交際は其由來甚だ久しく明治九年に日韓修好條規の成りし以來は一層親密の關係を増したりといへとも日本人が眞實に朝鮮の交際を重んじ世界の人も亦漸く其眼を朝鮮國に注いで朝鮮の事如何といふ事の世の問題と爲るに至りたるは明治十五年京城にて大院君の變乱ありし以來の事にして爾來日本人も大に朝鮮の事に注意して敢て怠ることなく以て明治十七年に至りしに同年十二月京城にて金玉均の變乱あり其關係の廣大なるは前年大院君の乱に幾倍し其結果として日本支那朝鮮三國間に一大戰爭を惹起すの勢を成さんとしたる程なりし何故か此以來は日本人が朝鮮の事を視るに前日の如く熱心ならず間ま或は注意を怠りて不時の風聲鶴涙に可惜肝を潰すが如き事跡のなきにしもあらず我輩の甚だ遺憾とする所なり近日我輩の接手したる京城二月十一日發の通信を見るに中に我輩の未だ聞知せざる詳細の事情を説くの箇處甚だ多し是れ元と〓〓者一個の意見なれば其事實に相違するやせざるやは敢て保すべからざること勿論なりといへども參考の一助と爲すに足るものと信ずるがゆゑに左に其全文を掲ぐ
朝鮮には當時政事上の黨與と稱すべき程のものなし國王始め閔氏の一族及びこれに附從して目前の榮利を僥倖する人々の如きは皆其内心に支那を嫌忌し自主獨立を欲するの傾向あり然れども兎角日本に對して疑惑を抱き殊に金玉均を畏るること最も甚だしきよりして尚ほ斷然支那の干渉を拒絶するの勇氣なし京城在留の米國代理公使ホールク氏は武人なり其議論〓々にして人を驚かすことあり近日京城在留支那〓〓〓袁世凱が朝鮮政府中に跋扈するを見て傍觀に堪えずやありけん一日外衙門に出頭して大に袁氏の〓〓を論難せり國王以下獨立主義の人々はこれを聞〓〓〓〓くべき筈なるに其〓左はなくして却て大にこれを憂慮し目下〓朝鮮國が止むを得ざるの事情よりして〓〓に依頼することを承知しながら米公使に〓〓〓〓の論を立るとは實に驚くべし此樣子にては〓〓政府が往く往く朴泳孝徐光範等に助力して彼等〓〓〓來りて國に入れんとするやも測り難しとて大に心配せり是等は實に馬鹿らしくも又氣の毒にて殆んど傍觀に堪えざる次第なり左れば金玉均朴泳孝等は本國を亡命したる一個の浪人にして金もなく勢力もなく決して恐るるに足るものにあらず殊に近時の國交際は往昔のものと同じからず日本にもあれ米國にもあれ此等亡命人に助力して兵を朝鮮に出すなどの事は萬々あるべからず好しや萬一これありとするも斯る大事に臨めば英國なり露國なりこれを環視して默すべきにあらず必ずこれに干渉して妨害を加ふべしとの事を朝鮮の上下一般をして十分に悟らしむるにあらざれば國王以下が今の浪人を恐れ支那に依頼するの主義を一變すること六かしからん然るに惜いかな國王以下朝鮮政府の人々が日々往來交際する外國人は支那人最も多く又その常に閲讀する新聞紙は漢字新聞にて何れも皆支那地方より來り其論説記事ともに兎角日本及び英米等の國々を疎んじて支那を信ぜしめんとする筆法のもの多く前日金玉均が日本兵を率ひて朝鮮に攻來るとの風説當地に流行してこれを疑ふ者少なかりしを見ても聊か其平日を知るに足るべし此京城内には各國公使領事を始め世界の事情に通ずる外國人少なからずといへども誰一人ありて朝鮮政府が支那人の術中に陷りて浪人を恐れ日米諸國を疎んじ獨り支那に依頼せんとするの非を辨じ今の國交際の眞情を説明せんとする者なし盖し此人々たりとて忠實の志なきにはあらず唯朝鮮政府として一たび大に悟らしむるの方法なきに當惑し居るのみ然れども果して遂に其方法なく大に悟る時もなしとすれば政府中果して自主獨立を欲するの心あり又其黨與ありとするも全くこれなきに等しく唯身の危險を空に掛念して只管支那に依頼せんとする所謂支那黨なる者のみ滿朝の勢力を一手に占むべきは自然の勢なりこれを現今の執政黨とす但し支那は今日こそ朝鮮人の無智に乘じて謀略を逞くし未だ其馬脚を露はさずといへども一昨年佛清葛藤の如き事ありて一朝外國と釁を開くか又は十八省中に内亂の起るかなどいふやうの塲合に當れば支那の勢力は全く朝鮮に及ぶこと能はず朝鮮も亦孤立自から支ゆること能はざるを知り忽ち他の外國に依頼するの策に出るならん此の時に至れば亦先例の如く必ず魯國に依頼する者と豫定し置きて相違あるまじ國王以下今の所謂支那黨なるものが昨年以來魯國に對するの擧動を察するに尚ほ聊か人の耳目を憚るの趣ありといへども親密の交際を維持せんと勉むるの跡は掩ふべからざるものあるなり故に今の執政黨にして永く權力を失はず一朝支那の事變に遭遇することあらば必ず豹變して魯國黨となるに相違なかるべし若し此豫言にして或る知るべからざるの事情に妨げられ全く水泡に歸して了ることもあらば獨り朝鮮のみならず東洋一般の幸福なるべし
朝鮮政府中にも眞實無妄中心よりして支那に依頼して國を保たんとする心底の人なきにあらず外衙門督辨金允植と魚允中とは日本其他諸外國の事情にも通じ朝鮮は迚も自立すること六かしと覺悟してさてこそ支那に依頼せんと决心したるものなれども其餘の人々は一心儒學を信崇して世界を知らず固陋短見只管支那を尊んで餘念なき者なり金晩植などの如きは其一例ならん此れ等の人々は別に黨をなすにもあらず互に相往來するにもあらず今の社會に容れられずして甚だ無力なり唯金允植、魚允中の兩人は純粹支那主義の人なりとて國王の信任なしといへども尚ほ顯官に在るを得るは支那人が此兩人を信ずること最も厚きがゆゑなり魚允中が過般漢城右尹の職に任じたるは全く袁世凱の推薦に由るといへり (以下次號)