「外國に行く者は其往くに任す可し」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「外國に行く者は其往くに任す可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

外國に行く者は其往くに任す可し

河豚の美忘るること能はずと雖ども一命亦愛しむ可しとは優柔不斷の人心を評したるものならん盖し人事不如意一見甚だ危險なるが如くに思はるるものなりと雖ども斷じて行ふて終に成跡の美なるもの多し河豚の有毒は世の實〓に於て往々明證を見る可しと雖ども人事の有〓〓毒は之を審定すること甚だ易からず唯有識の〓は目下の現相に驚かずして事の勢に任じ以て成跡の美を〓年の後に期するのみ、始中終、美に始まりて美に行はれ以て美に終るが如きは固より願ふ所なれども不如意の人間世界その例なきを如何せん方今我國の人民が漸く外國交通の便利あるを知りて漸く外行又移住の事を企る者多きに當りて之を奬勵する者あれば又これを止むる者ありて云く外交日に親密にして我國人の海外に往來するは固より願はしけれども今の外國行を企る者を見るに皆無資力の貧民にして身に所得の藝能もなく漫然海外に樂國あるを聞て爭ふて之に赴き扨その〓〓〓先は如何なる樣にてあるかと尋れば東西も分らぬ〓〓の孤客、艱難辛苦して僅に衣食にありつき貧すれば自から人の侮を受け本人の耻辱のみか之を大にすれば我國の体面にも關すること少なからず以ての外の〓〓〓〓人民の外國行は成る可き丈け之を防ぎ止む可し〓〓〓説なり我輩もこの點に於ては至極同説にして日本〓乞食同樣の者共が隊伍を成して〓を外國の地に披露するは好まざる事なれども左ればとて之を防ぐに如何〓〓を用ゆ可きや貧民は日本に居ても貧なり外國に行くも〓貧なり唯日本に居ては到底生活の目途なき故〓〓〓外國に活路を得るの方便もあらんかと〓〓を〓〓ながら思立つ事にして全く本人の一身に關する私事〓〓〓〓を止むる道理もなく又これを止めたりとて日本に居て如何なる職業を以て此者等へ授く可きや君〓〓〓〓〓〓せよと云はれて請合ふ者ある可きや我輩〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓左れば〓の非外行論者も唯これ〓〓〓〓〓〓〓〓して別に〓〓あるに非ず一塲の痴情〓〓〓〓〓〓〓〓〓なり〓を申せば〓の外國行の者共〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓な〓ば〓〓〓に〓〓無學文盲なら〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓めと雖ども人事不〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓は甚だ多し故に海外に渡る者も丁度その割合に準じて一見先づ貧乏人の群集の如くに思はるれども其群集中自から人物なきに非ず前年渡航の時には見るかげもなかりし寒貧生が先方にて千辛萬苦を嘗め遂に身を起して既に歸國し或は今尚ほ彼の地に留る者は我輩の親しく見聞する所にても甚だ少なからず又或人の憂る所にては支那人の例を引き日本人が次第に外國に渡りて次第に醜体を現はすに於ては遂に第二の支那人と爲る米國などにては數年の後に至り日本人放逐の汚辱を被ること今の支那人の如くなるやも圖る可らずとて心配の樣子なれども是れは各國人の氣風に關することにして我日本人の性質果して卑屈賤陋なること支那人と同一樣ならんには是非なき次第なり即ち日本が卑屈賤陋なるが故に其眞面目を露はすまでのことなれども我輩が仮に身を局外に置き冷淡なる眼を以て評を下しても支那人と日本人とは同一の地位に置く可らず其相違の點の多き中にも日本人は改進を悦んで支那人は進むを知らず日本人は身の改進のため又榮辱のためには時として財を愛しまず又生命をも顧みざる者多しと雖ども支那人は錢のために精神を賣るものあり是れ即ち數千百年來日支二國の教育習慣に由來するものにして其今日の實跡に現はれて爭ふ可らざるは世界公衆の認る所なり况んや日本より外國に渡航する者は無智文盲の寒民のみにあらず良家の子弟にして相應に資金をも用意し學問のために又商業見習のために其行を企る者あるの時節なるに於てをや數年の後には我外交も次第に親密となりて次第に我國をして歐米文明國の伍に入らしむるの日ある可きや疑を容れず國と國との交際は其國人の往來繁多なるに由りて厚きを致すものなれば今日の急は事の些末を問はず唯當さに内外人の出入往來を自由自在にならしむるに在るのみ左れば或人が漫に海外に在る日本人の醜体如何を憂るは其心事國のため優しきに似たれども畢竟するに事物の現相を見て其極端を過慮する者より外ならず我輩は寧ろ其度量の今少しく〓大にして成跡の美惡を期するに數年の猶豫あらんことを祈る者なり