「日本國の鉄道事業三」
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時事新報に掲載された「日本國の鉄道事業三」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
世界鉄道の統計に照せば日本鉄道の緩慢は彌々明なり
世界中に日本ほど鉄道工事の進まざる國あるを見ずとの次第は前編既にこの趣を證したる
所なれども尚ほ一層その事實を確めんために左の統計を掲げて讀者の高覽に訴へんとする
なり
世界二十箇國鉄道線路の比較表
日本 三二一英里 調査年度 明治十九年二月
土耳格 九〇四 同 明治十五年
諾威 九七一 同 明治十七年
丁抹 一、一〇六 同 明治十七年
埃及 一、二七六 同 明治十七年
和蘭 一、三二〇 同 明治十七年
智里 一、三七八 同 明治十六年
瑞西 一、八一〇 同 明治十七年
白耳義 二、六九九 同 明治十六年
墨西苛 三、四一〇 同 明治十七年
瑞典 四、〇〇〇 同 明治十六年
西班牙 五、一五七 同 明治十七年
伊太利 五、六五一 同 明治十六年
印度 一〇、八三二 同 明治十七年
墺地利〓牙利 一二、八二〇 同 明治十六年
露西亞 一五、二七四 同 明治十六年
佛蘭西 一六、九九五 同 明治十七年
英吉利 一八、六八一 同 明治十七年
日耳曼 二二、六一七 同 明治十七年
合衆國 一二八、四三〇 同 明治十八年
然れども鉄道線路の長と云ひ短と云ふは第一にその國の人口、第二にその國の面積に比較
したる上ならでは精と爲す可らず、因て我輩は更に右二十箇國の鉄道線路を各々その人口
面積に對比して重て日本鉄道の割合の短少なる次第を示さん
各國の人口に對比したる鉄道の比較
合衆國 鉄道一英里に付 人口 四百三十二人
瑞典 同 同 一千一百人
瑞西 同 同 一千五百八十七人
智利 同 同 一千七百二十五人
丁抹 同 同 一千八百二十五人
英吉利 同 同 一千八百八十六人
諾威 同 同 一千九百八十二人
日耳曼 同 同 二千人
白耳義 同 同 二千〇九十九人
佛蘭西 同 同 二千二百十六人
墨西苛 同 同 二千九百三十四人
墺地利〓牙利 同 同 二千九百四十七人
和蘭 同 同 三千二百人
西班牙 同 同 三千二百八十四人
ブラジル 同 同 三千四百二十八人
土耳格(歐領) 同 同 四千九百六十六人
伊太利 同 同 五千〇三十六人
露西亞(歐領) 同 同 五千〇四十二人
埃及 同 同 八千六百二十人
印度 同 同 一萬七千百廿八人
日本 同 同 十一万六千八百廿二人
各國の地積に對比したる鉄道の比較
白耳義 鉄道一英里に付 地積 四平方英里
英吉利 同 同 六平方英里
日耳曼 同 同 九英里
和蘭 同 同 九英里
瑞西 同 同 九英里
佛蘭西 同 同 十二英里
丁抹 同 同 十二英里
墺地利〓牙利 同 同 十九英里
伊太利 同 同 二十英里
合衆國 同 同 二十四英里
西班牙 同 同 三十七英里
瑞典 同 同 四十三英里
土耳格(歐領) 同 同 七十六英里
印度 同 同 八十英里
露西亞(歐領) 同 同 一百二十一英里
諾威 同 同 一百二十六英里
智利 同 同 一百四十二英里
墨西苛 同 同 二百十八英里
埃及(本部) 同 同 三百〇九英里
日本 同 同 五百十二英里
右の如く日本國の鉄道は第一線路の延長その物に就て見るも第二人口と鉄道との比較に於
てするも第三土地と鉄道との比較に於てするも實に幼稚至極のものにして右等の諸邦に對
し甚だ以て赤面の次第とも申すべきなり、我日本人は開國三十年以來の進歩に自得して東
洋は固より、西洋たりとも日本ほど文明進歩の速かなりし國はなきかの如くに考へ、自ら
稱して東洋の英國などゝ儼然肩を聳やかして今の世界に立たんと欲する勇氣なきにしも非
ず甚だ痛快の談なれども偖退て熟々顧みるに是れ只人心の空に奔りて實際を忘れたるも
のゝみ喩へば病人が手足の利かぬ癖に気丈張りたるが如く、その正氣の程は遙に不正氣に
優ると雖ども折角肝心の實を忘れて氣徒に雄なるも亦决して嘉みすべきには非ざるなり文
明の事は實なり其實の最も實なるものは鉄道電信汽船郵便の諸物にして國の文明の大小遲
速は專ら此等事物の働きに因ること今更改めて言ふべきにもあらず唯我日本人が斯くまで
に大切なる鉄道の工事を等閑に附し置て少しもその捗取を急がざるとは取りも直さず日本
國民は文明の事に怠る者にして文明の事を怠りつゝ能く今の文明世界に立て一國の獨立を
維持せんとは寧ろ誤りの太甚しき者と云ふべきなり(未完)