「學政改良」
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時事新報に掲載された「學政改良」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
學政改良
從來我國の中小學校は其費用を地方税及び恊議費に資り通學の生徒は輕少の月謝金を納れて其寸志を表するに止まりしが今度文部省にては右月謝金を増額し其金を以て畧ぼ學校授業の費用に相當せしむるの見込なりと云ふ抑も教育上に於て全國の子弟を區別するに二樣あり一は社會の教育す可きものにして一は父兄の教育す可きもの即ち是なり盲聾唖以下の廢疾は孰れも天下の窮民にして不幸自から存すること能はざるものなれば人間同類を救護するの義務として社會全体其教育の責に任ぜざる可らずと雖ども社會に立て相當の自由あり又權利ある良民に至ては父兄の義務として獨力其子弟を教育せざる可らざるや言を俟たず然るに此子弟を教育する中小學校は其費用を地方税及び恊議費に仰ぎ父兄が子弟の教育費として直接に支出するものは唯輕少の月謝金あるのみ即ち今の日本國民は子弟教育費の大半を擧て之を社會に依托する者にして酷に之を評すれば健全無病の良民にして枉げて盲聾唖以下の所爲を學ぶ者なりと云ふ可し左れば文部省にて今度中小學校生徒の月謝金を増額し其額の略ぼ學校授業に相當するを期するの計畫あるは子弟教育の事を以て之を其父兄に責むるものにして事理上より云へば確當なり學政上より云へば簡便なり我輩は先づ此擧を美なりとして其實行を促さざるを得ざるなり次に文部省にては大に師範學校を擴張し其學科の取捨、其教員の黜陟等に於て十分に干渉する所ある由なれども是れ亦甚だ適當なるが如し元來師範學校と云ふ其師範の文字は己れを以て手本と爲し人をして其摸形に則らしむるの意味なれば此學校の卒業生は唯有形の學術に於て師範たるのみならず無形徳義の部分に於ても亦人の標準たらざるを得ず有形の學術とは算數學、器械學、理化學等の類にして天然の原則萬古一定して動かす可らず盜跖之を教授するも顏回之を講義するも人に因て理を異にせざるものなれば其間に毫釐の區別なしと雖ども無形の徳義に至ては其感化必ずしも書籍にあらず滔々たる衆學生は日夕其教師に親炙して其言行を寫眞するが故に盜跖の正直論、劉伶の禁慾説、論説としては感服の外なしと雖ども以て學生を感服するに足らず即ち無形の道徳は講堂の教授を以て進むものに非ず教師の即身道徳を以て其生徒を率ゆるに非ざれば到底其成るを望む可らず然るに師範學校の卒業生は有形學術の師範たるのみならず無形道徳の標準と爲らざる可らずとすれば當初最も其人の撰を重んぜざるべからず師範生の品行醜なれば其醜は傳へ又傳へて後來之れに從學する幾百千人の學生に傳染し教育上幾多の弊害を生ずる其趣は種痘の種子の惡くして衞生上非常の害を生ずるが如し、甚だ恐る可き次第なれども我國にて文明の教育法を採用したるは十數年來の事にして其當初政府の注意と人民の熱心とに因て山村僻落までも巍然たる白堊の學校を見に至りたれども學校の多きに比して教師の數甚だ少なく講堂の建築既に成りて未だ其教員を得ざるが如き塲所もありしかば教師の需要甚だ急に全國の師範學校にては本科生の外に傳習生若くば速成生等を養成して一時の急に應ずるが如き有樣にて師範生其人の撰を鄭重にする能はず其中或は半途にして廢學し或は不品行の廉を以て放逐せらるるものもありて懶惰書生の爲めに一二年間の官學費を空了せらるることなきに非ず此際教員の供給は漸く増し師範生を企望するものはますます多く特に明治十六年徴兵令の改正あり兵役免除の區域を狹めたる其中に官公立學校の生徒は免除の特典を得たるが故に師範學校に入るものは公費を以て修業するに加へて國民の義務たる兵役を免かれ卒業して後二三年間の禮奉公は學力相當の月給を得て勤むるものにして名は禮奉公なれども其實は必ずしも禮奉公の苦痛あるにあらず一たび師範學校生徒として入校を得たる以來の仕合は俗に云ふ牡丹餅もて頬を打かるるの類なれば明治十六年徴兵令の發布を界として師範生の志願者は一層其多きを加へたるものの如し盖し事の此に及びたるは孰れも偶然の結果にして當時學政官の不注意に歸す可らずと雖ども時世の變遷今は學校教員の急要を告げざるに引き替へて教員志願者はますます加り師範學校の門前市を成すの勢なれば今後の入校試驗には志願者の學力品行等に於て大に其撰を鄭重にし或は其身許を穿鑿して教育に篤志なりや否を知り始めて之を合格の部に列する等何程入校を手重くするも今の勢に於ては其志願者の欠乏を告ぐ可しとも思はれず今度文部省にて大に師範學校を擴張し視學官を置て時に之を巡廻せしめ學科教員等の細事にも干渉するの决心あるは盖し此邊に見る所ありしならん我輩は年來天下教育の事を重んずるが故に今度文部省の學政改良、先づ吾心を獲たるを聞き衷情喜躍に堪へざるなり