「日本國の鐵道事業五」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「日本國の鐵道事業五」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

即座に三千四百餘萬の鐵道資金あり

我政府が上野の高崎より美濃の大垣まで中山道の一線を通ほし鉄道を敷設するその資金と

して中山道鉄道公債證書を發行したるは去る明治十六年十二月の事にして其募集金額二千

萬圓は昨十八年の九月までにて悉皆募り濟みとなり今月今日この二千萬金中の若干部分が

中山道の鉄道と變形したるやは爰に我輩の明言する能はざる所なれども兎に角に額面二千

萬の證書は民間に散してこれに對する二千萬の正金は収めて政府の國庫中に入りたること

明かなり然るに同鉄道公債證書條例の發布以後足懸四年の今日高崎大垣間の新定線路中既

に開通に至りたる部分は幾何なりやと云ふに唯高崎以西横川まで十八英里の塲所のみにし

てその他尾張の半田港から美濃に通すべき線路、並に越後の直江津より信州上田にはいる

線路の如きその工事何れの邊までも捗取りたるか我輩の詳にする能はざる所なれども一は

直江津港より新井邊まで一は半田港より名古屋近くまで軌條の布設を畢りたりとの報もあ

り、今この報尾を確かなるものと看做して計算するも兩路線路の延長は四十英里内外なる

べくこれに高崎横川間を合せても尚ほ六十英里の邊りにあらん十六年の十二月より十九年

の三月に至るその間に二千萬の大金は空しく國庫中に聚り居ながら其工事の遲々緩慢宛な

がら龜歩蟹行するに似たるとは文明の速進を冀望する我輩に於て最も待遠に堪へざる思ひ

あるなり然れども此二千萬圓が利息も附かず日本國民の嚢裡にも關係なき恩コ金ならば縱

へその〓〓〓中に埋没し置きたりとて何の差支もなき譯なれとも如何せん此二千萬圓には

年割七分即ち一百四十萬園〓〓の利子なるもの附属しあるが故に此金の使用に一箇月を後

らすときは十一萬餘圓、二箇月を後らすときは二十三萬餘圓と云ふ大金が代物なしに消失

しすれ〓〓〓〓の金を〓すと與に結局は日本國中の納税者がその〓〓に當らざる可らざる

なり左りとは亦不經濟の〓〓したものにこそあれば實際の工事の許す限りの速くこの二千

萬圓を使用し盡して明治十九年の今年中に〓〓〓〓鉄道の開業式擧行を〓んこと日本國の

文明速進の爲めに最も切望しく止まざる所なり

右の如く中山道鉄道公債の二千萬圓を即座に利用して一方に高崎大垣間の聯絡を附すると

同時に他の一方には日本鉄道會社の拂込未濟株金一千四百餘萬を徴収して早く東京青森間

に線路架設の工事を畢へしめなば北は青森の一端より南して日本國の首府たる此東京を中

に挾み大垣より更に又長濱より大津まで琵琶湖の東岸に沿ひ四十英里の處に新に線路を開

きなば一線直ちに奔せて西京大坂に通すべきなり尤もこの四十里間の鉄道布設資金の項に

至りては中山道の鉄道資金中に更に二百萬許りの新公債を、附け足して臨時にこれを募集

するとも又は別途國庫の中より支給するとも孰れにても二百萬は容易に辨じ得べきことな

りとして兎に角に前記三千四百萬圓の鉄道資金は即座に之を利用して青森西京間の聯絡を

通ずる實に無造作の業たるべきなり

斯る議論に對しては世の論者中左の如き言を吐く人あらんも知れず曰く時事新報記者が鉄

道の工事を急ぐその議論は尤もなれども一應、物の實際をも考へ見るべし第一中山道の工

事の如き高崎より横川邊までは坦道故に工事にも妨げなしと雖とも線面直ちに碓氷の峻嶺

ありてこの峠至大至重の難塲なれば獨り之を衝破るのみなくも三四箇年の星霜を費さゞる

可らず又大垣より以東に進むにも揖斐川、長良川、若くは木曾川の如き惡川惡流、充ち滿

ちて其鉄橋の架設のみにても非常の手間を潰ぶすは必定、紙上の空論と工事の實際とは案

外に相違ある者なり左れば當局者に於ても大に此邊に注意を加へ北は直江津より上田に入

り、南は半田より美濃に進み東は高崎より碓氷峠を貫き西は大垣より揖斐川その他の諸流

を渉り東西南北、四面同時に進撃の手筈にはあれども何分にも信州濃州の兩國は日本國に

て名打ての山國又川國なるが故に實際の工事記者の言の如くに捗取らざるも誠に致し方な

き次第ならん又次に日本鉄道會社の線路とても成る程中山道ほどの險峻困難は無からんと

云ふと雖ども宇都宮より以北白河福島仙臺より青森に近づくに隨ひ人家稀れに荒野多く三

冬の積雪、人馬迹を絶て白晝戸を鎖すと云ふ偏僻の土地柄なれば從へ山少く川少しとする

も工事上萬般の不便あるに相違なきなり現在同社にて目下起工中の鹽釜、仙臺間の鉄道の

如きも冬時降雪のあるが爲めに工事上非常の困難に出逢ひ土盛丈は大概出來したれども軌

道の敷設は温暖の季節まで見合せ居ざるを得ずとなり鹽釜仙臺間既に然り况んや仙臺以北

青森の邊にも至らば一箇年中、六箇月乃至四箇月間は全く工事を廢せざる可らず懸る實際

の困難より見れば鉄道工事の捗取らざるも深き由縁あることにて局外人の想像とは反對の

情實多し云々と

我輩は右の駁論に就き次にこれに對して日本國鉄道工事の斯く遲々するも畢竟この世界中、

日本の一國を限りて左る道理あるに非ざる次第を述べ以て大方の評を仰がんと欲するなり

(未完)