「條約改正何故に成らざるや」
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時事新報に掲載された「條約改正何故に成らざるや」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
條約改正何故に成らざるや
條約改正未だ成らず治外法權未だ撤去せざるは何故ぞやとの疑問に至りて外國人の言に日本の法律は不完全にして我々文明國人を支配するに適せず貴重なる生命財産を擧げて之を不完全なる法律に托す、其危險如何ばかりなる可きや是れ我々の治外法權を撤去する能はざる所以なりと云へり日本人之を聞て如何樣日本の法律は不完全なり之を改正せざれば治外法權の撤去覺束なしとて明治十三年には刑法治罪法の頒布あり引き續て法律の改正に從事し條約改正の成らざるは唯日本の法律の不完全なるが爲めのみと信ずる者もあらんかなれども我輩の所見にては治外法權の未だ撤去せざるは日本内地の商利大に外國人の慾情を動かす能はざるが故にして法律不完全云々の如きは唯其撤去を拒むの口實たるに過ぎずと思はるるなり試に看よ歐米諸國人の商利に趨くや亞弗利加森林の虎穴、熱帶地方野蠻人の群集する所、如何なる危險をも憚らず不毛無人の境を通過して萬里遠征するに非ずや今、日本の法律を執てこれを歐米諸國の者に比すれば稍異なる所あらんと雖ども其大体に就て云へば皆歐法米律より換骨奪胎してるものにして假令へ出藍の評を博する能はざるも一個文明國の法律として通用するに難からざるものなれば此法律の下に入るは固より虎穴瘴烟に入るの危險に比すべきに非ず俚話に強て嬌柔を裝う人あり常には青大將をも踏殺しながら朋友と連れ立ち散歩の折柄途に落ちたる一緡の文久錢を見て其形蛇に類したる所ありとて懼れて走りたりと云ふことあり歐米諸國人が一方には虎穴にも入り瘴毒をも冒しながら日本の法律の恐るべきを見て之れに近かざる其趣は一緡の文久錢を見て走るの類にして實は強て文明人の嬌柔を裝ふものなれども諸外國人が斯くも嬌柔を裝ふて治外法權を持續するは日本内地の商利少なく其中に雜居するの利益は治外法權の便利を犧牲にして取る程の價なしと信ずるが故なり是即ち今日の處にて諸外國人が治外法權を守り嵎を各居留地に負ふて進んで内地に雜居するの決意なき所以なれども今假りに日本の内地にて金坑を發見し富〓深うして測る可らず因ては諸外國人の望に任せて之を採掘せしむ可しなど云へる珍事ありたらんには諸外國人は日本法律の不完全を懼るる等の嬌柔を裝ふに遑あらず自から好んで日本に歸化するか或は連署して本國政府に歎願し治外法權を撤去して日本の内地に雜居するやう一日も猶豫せざることならん又今日の處にては諸外國人は各居留地内に閉居し内地の製茶生糸等の持主はその製造品を居留地まで持ち出し外國人の門下に叩頭して其恩買を乞ふの有樣なれども日本内地の製産者中に若しも獨立の資産を有するものあり外國人自から來て其門を過ぎざれば強て其製品を賣却せずとて一廉の見識を具へて動かず油斷せば開港塲を素通りて直ちに海外に出掛けんとするもの幾何人を生じたらば如何、或は岩代上州邊の生糸荷主が内地に商品を貯藏して外國人の賣買を促すことあらば如何、彼れ必ず人情の本色を現はして最早日本法律尚ほ不完全なりなどの閑話を爲すに遑あらず爭ふて自から其治外法權を撤去することならん左れば條約改正の未だ其緒に就かざるは日本内地の商利甚だ薄くして未だ大に外國人の慾情を動かす能はざるが故にして商利苟も大ならば彼れ媚を我に獻じて唯及ばざらんことを恐る、治外法權の撤去なんぞ言ふに足らんや斯く云へばとて我輩は我國の商利の外國人の慾情を動かすに至るまでは條約改正を見合はして可なりと申す義には非ざれども唯内地の商賣殖産の振ふと否とは我國外交の輕重に關すること右の如くなりとの道理を示して人間世界の實情に迂闊なる人々に忠告し我國の商賣殖産家をして公私の利益の爲めに今後ますます振起する所あらしめんと偏に企望して已まざるのみ