「日本國の鐵道事業七」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「日本國の鐵道事業七」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本國の鐵道事業 七

日本國の鉄道は日本西洋の兩地に於て之を經營すべし

大北鐵道なり中山道鐵道なり早くその工事を捗取らしめんとせば西洋諸國鐵道建築分業の大法に基くこと大切なり例へば中山道の工事中、碓氷峠の隧道若し開鑿に困難あらば必ずしも日本人が躬から之を指揮監督するに及ばず木曾川、長良川、揖斐川の諸流に鐵橋を架設するにも亦日本人が自身これを爲すことを要せず唯西洋その向々の會社より事に熟練したる工師を雇入れ、之を受負仕事としてその會社員に責任を負はすとも或はその工師丈を雇ひて日本人が其指揮をなすとも其邊は鐵道當局者の意見に任せ、兎に角に一日も早く鐵橋は之を架し隧道は之を鑿るに分業法を用ふべきなり又これと同時に軌條なり機關車なり客車なりそれ等の必要具は直に西洋に向け期日を限りて夫々注文を送り而して地理の測量、沿路の土盛或は掘下げ築上げその他、停車塲の建築、軌條の布設等には又夫々の西洋人を此日本に呼び寄せ、日本の鐵道事業を言はゞ西洋と日本の兩地に於て經營すると與に日本にては通常の建築土工(即ち軌條の布設停車場の普請等)と非常の建築土工(即ち大隧道大鐵橋の如き工事)とを分ち各々分業として工事に着手せば大北中山の鐵道資金三千四百餘萬を即時に使用して速く工事の落成を見るに至らんこと期して我輩の信ずる所なり

西洋の土工家、建築家を雇入るゝに就ても先立つものは金なり左れば今一時に西洋人を雇入れんとせば無益の金高のみ嵩みて寧ろ非常の損失たらんなどいふ心配もあらんかなれども我輩の所見は全く之と反對にて縦へ一時の給料は不廉なるも年に七分の利の附く二千萬圓と未だ利こそ附かざれども早晩政府にて八分の保證をなさゞる可からざる一千四百萬圓とを寝せ金になし置くその利息のみにても兩道の鉄道建築を急ぐ丈の西洋人は十分雇得て餘りあらんと思惟するなり固より鐵道工事を急ぎたるが爲めに何程に日本國の文明智力を進め又何程に日本國の富強國力を揩キかは無形の事にして其數を記し難しと雖ども只眼前見るべきの算に照しても會計の當るを知る可し

建築師一人上等月給八百圓より次第に下りて五百圓四百圓三百圓まで

車長兼支配人は一人上等月給三百圓より二百圓百五十圓まで

機關手一人月給百圓乃至七十圓

建築師一人の監督工事、平均一百英里間を司ふ

日本にて今俄に一千英里の鉄道を布設する者と仮定し、これに要する建築師は十人あれば十分なりと聞けりその月給一人平均五百圓として十人一箇年の雇給は纔に六萬圓を踰えず斯くて一人の建築師が部下に許多の役夫を指揮し其人夫にも不足なく軌條も續々輸送し來るものとせば一箇年にして一百英里の線路を布設するには綽然として餘裕あるべく傍ら停車塲等の建築工事をも董し滿一箇年にして一千英里の鉄道を開通せば隨てこれに要する機關手運轉手をも雇はざる可らず夫れとても費用は此線路間に沿ひ車長兼支配人たるもの十人此俸給月に平均一人二百五十圓、十人二千五百圓として一箇年金三萬圓、機關手たるべき者二十人、高價に積り一人の俸給百弗とし二十人の年給二萬四千圓、以上の諸費を拂ふ時は新に爰に一千英里の鉄道を起して平常の往復營業をなす迄に十分なる西洋人をば雇ふを得べしと左れば高崎より大垣まで日本里程八十二里、宇都宮より青森まで同く一百七十里兩道合せて二百五十里即ち六百英里の鉄道工事を進むるには六七人の建築監督者を雇入るゝ許りにてその事足るべく、これを外にして客車、機關車、荷車或は軌條等は日本にては到底製造の出來ざる品もあり又は製造は出來得るも費用のみ嵩みて結局引合はざる品もあるが故に孰れにしても外國へ注文を爲すを免る可らず然る上はこれが代價を支拂ふに、一度にするも數度にするも嚢中既に十分の資金あることゆゑに別に何等の便不便も無かるべく、寧ろ一時に拂出して速く鐵道の開業を計り其利の収入を以てこれを償はんこと得策たるなり尚大北鐵道の線路には前途格別の惡流もなく又峻嶺もなし途上平坦、非常建築の土工を要せざるは勿論の事としてたゞ中山道に當る碓氷峠の隧道、并に木曾川その他二三河流の鐵橋丈には事實多少の困難もあるべければ若し前記の建築師丈にて工事監督に不足もありとせば我輩は前號に記したる意見に由りこれを西洋の隧道會社又は鉄橋會社に臨時の委托をなし兎に角に大北中山の兩道線路を期年の中に開通するの策亦決して斷行し難きには非ざるなり左れば我輩は右兩線路鉄道工事の捗取らざるを見てこれを庇保容認することを好まず單に遅緩極まると放言するの外なし苟も建築の方法宜しきを得ば工事の困難なるがためにとて彼の三千四百萬圓を故さらに他の線路に流用するの窮策を取るにも及ばず當初に立案したる両道の工事を成すこと期年にして足る可きなり (未完)