「日本國の鐵道事業八」
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時事新報に掲載された「日本國の鐵道事業八」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
日本國の鐵道事業 八
東海山陽西海の鐵道工事最も急速を要す
宇都宮より青森まで横川より大垣までの實測線路延長は幾許なるや我輩未だ之を知らずと雖ども大數六百英里と看做して大差なきを信ずるなり偖この六百英里間の鐵道を布設するに付ては其工事必ずしも數年を要すべきに非ず又土工困難なりとてこれを後廻しにするほどの必要も見えず早くその業を急いで期年間に線路の往復を開くべきは容易なりとして更に我輩の希望を言へばこれと同時に東京より東海道を經て尾州名古屋に達するもの、この延長概算二百二十五英里、神戸より山陽道を經て長州馬關に達するもの、此延長三百七十英里、馬關より海を踰えて豊前に入り一は筑前肥前を通りて長崎に達するもの、一は肥後を經て鹿兒嶋に達するものこの兩線延長合せて概算三百八十英里を出でず、以上東海山陽西海三道の鐵道線路合せて九百七十五英里となる勘定なれども實地の測量と紙上の推測とにては相違もあるべしとして此三線合せて一千英里を踰えざることは獨り我輩の私言に非ず鐵道の事に明なるの人も亦この計算をば承諾する所なり斯くてこの一千英里間の鐵道を布設するに當りては第一の疑問は金にして此三道の建築費用凡そ若干を要すべきやと云ふに此等の諸道は中山道又は奥羽街道と事變り、土地も平坦にして人家も稠く建築材料の運搬、陸に水に甚だ容易なるが故に工事の費も亦廉なる疑ひなきなり今仮りに平均一英里の工事建築を高く見積りて五萬圓と計算(この事に就ては後編少しく論あり)せば一千英里の建築費用五千萬圓にて事足るべし言葉を替へて言へば今新に日本にて五千萬圓の鐵道資金をさへ投ずれば夫にて大陸を縦に通し、文明の氣脈全通を得べきなり
目下着手中なる大北中山の二道并に右の三道を合せて一時に五道の鐵道を布設するとせばその總延長一千六百英里、日本に鐵道の開けし以來十五箇年の今日一年平均二十里以上の鐵道落成を見たること無き國人に向ひ一時に一千六百英里の鉄道を布設すべしと説くときは事甚だ唐突に似て人の耳目に驚きを來すこともあらんかなれども十九世紀の今の世界を看渡せば一箇年間に一萬里以上の鉄道を布たる國すらあり如何なる小國にても又如何なる未開國にても苟も鉄道の利益を知りながら其工事を等閑に附し置く日本如きはある可らず即ち此三五年來の實況を視るに年々五六百英里の鉄道を布設する如きは寧ろ普通の談にして之を誇るさへも尚ほ文明人の顔にしては不本意なる所もある程のことなり其證據には南亞米利加の諸邦又は濠斯太利、新西蘭等の諸殖民地を見よ、此れ等の邦國が國の富源を開くため年々新に設くるの鉄道は實に驚くべきほどなり例へば新西蘭の殖民地などは其地積僅か日本の三分の二にして人口も又遙に我に劣るに恰も我明治五年日本政府にて東京横濱間に初て鉄道を開きたるその同じ秋、該國の政府亦同工事を始め両國の鉄道不思議にも年を同して生しに、爾來同國の鉄道は我明治十六年の十二月迄にて既に一千四百八十六英里の長きに達し爾後明治十九年の今日となり其鉄道の何程に延たるやは未だ詳かにし難しと雖も顧みて日本國の鐵道工事を視るに漸く三百里足らずの線路の開けたるまでになりとは寧ろ自ら慚愧すべきの至りならずや之を小兒の生長に譬へて言へば新西蘭は十五年にして既に天晴一個の成童とはなりたるなれども日本は未だ襁褓の裏を離るゝ能はずして疾歩健行の成らざる廢兒とも申すべきかその評は孰れにしても斯る怠慢にては日本男兒として迚も文明世界の活劇塲に立つことは望の外なる可し是れ我輩が今に及んで速く大に決斷を有し、取敢へず彼の一千六百英里の工事に着手して期年に落成〓促せよと言ふ所以なれども若し其事の期年間に難しとすればこれを三年四年に限り明治廿二三年の頃までには是非に青森より長崎又鹿兒嶋の邊まで汽笛長眠、安全迅速の旅の出來を祈りて巳まざるなり明年とも云はず明月とも云はず唯今月今日を第一期として即日より五道一千六百英里の鉄道計畫に着手するとも決して大早急の恐なきなり
一千六百英里の鉄道を新設するに之に要する建築師は十五名乃至二十名もあれば十分なりとして其俸給の如き素より多額にも非ず又建築所用の固形財本例へば汽關車とか軌條とかの類は何道外國より買求めざるを得ざるが故にそれ丈の金は日本國の商農工に關係を及ぼすことなく其儘外出すべしと云ふと雖ども鉄道建築の重なる費用は勤勞即ち人夫の賃銀として其手に落るに由り歸する所は融通資本となりてこの社會を潤し兼てその金融を滑かにするの功能ある可し一口に言へば經濟社會に活氣を與ふるものにて此活氣は即ち自滅することなく形を替へ途を變じて上下の間に流通し以て貨殖産業の繁盛を促すに足る可し畢竟今の不景氣を退治する法は全國に鉄道網を張るに在ること我輩の意見にして爰に改めて述ぶるにも及ばざることなり且つ獨り是れのみならず今の不景氣の時節は恰も建築費用の廉なる時節なりと申すは方今各地、賃銀の下落甚しく人々無事無職に苦むの際なれば隨て之を雇ふの費も安なること論を俟たず或る建築師の言に世界中米國ほど勞力の高價にして兼て又鉄道建築の廉價なる處あらずと例へば隧道を穿つ工事の如きものも米國にては一日一人に一弗の賃金を拂ひつゝ之を歐洲諸邦の開鑿工事に比して尚ほ費用廉なりとなり日本の如きは一日一人の賃銀二十錢内外、地方によりては又十錢を下るもあり斯る廉價の人夫を使用して更らに其工事の法をも巧にせば日本の鉄道は存外の安値にて容易に成功を得るに疑なきなり (未完)