「日本國の鐵道事業九」
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時事新報に掲載された「日本國の鐵道事業九」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
日本國の鐵道事業 九
鐵道の資金を得るは無造作の業なり
中山道鐵道公債の金額二千萬圓を空しく國庫中に埋没し置て速く之を工事に放さゞるの損は直接に一年百四十萬圓の利息を徒費するに在ることなれども更に一方より考ふるに此二千萬の公債は言はゞ百中の百まで日本の内國民が買取りたる者にして其代二千萬の正金は商工農會社の流通を離れ政府の手中には入りたるなれども唯入りたるのみにして出る事の遅ければこれが爲に民間通貨の融通を妨げて更に不景氣に餘勢を添る等の結果なしといふ可らず利の附く金を遊ばせ置くは實に不經濟の話にして民間通貨の融通を滯らすやうなる貯蓄法も決して銘策とはなし難きなり之に反し速に公債を募りて又速に其金を事業に放し入と出との間隙を短縮せば此民間より縦へ何程の大金を引去るとも其害は甚だ淺うして濟むべきなり經濟論の初歩にも公債の害は時として社會の資本を減して不融通を起すに在りとあり此理甚だ簡明ならん左れば中山道の公債も姿は内債にてあるなれども募集正金が一年にても二年にても空しく國庫中に眠金たる間は實際の結果は恰もこの貧乏なる日本國より不時に二千萬の大金を攫み出して無縁の市塲に撒きたるに異ならず、公債の所有主こそ唯七分の利息さへ受取れば夫にて安心も成ることなれ、日本國の經濟社會即ち商工農一般の頭上に取りては正しく二千萬圓丈の融通金を奪はれたる痛みを感ずること亦已み難き次第ならん是れ我輩が早く中山道の工事を急ぎその資金を遣拂ふべしと主張する所以なれども日本國の文明の爲め又富強の爲めに圖る時は鐵道資金の公債は決して此二千萬圓を以て慊れりとなす能はず、餘線は兎も角、差當り東海山陽及び西海三道の鉄道は是非々々布設を要するの急あるが故に其工費として其計大凡そ五千萬圓の公債を募り、之を以て大に鉄道の計畫をなすべしと勸告するなり但しその募集の方法に至りては内國債外國債孰れにするも妨げなし唯當局者の便に任すとしてこゝに我輩の意見をも述べんならば，好し内國債にするとも成丈早く募りて又成丈早く之を工事に放し、務めてその出入の間を短うし、永く民間の融通貨を引上げ置くやうの事を避くるときは日本の經濟社會貧なりと雖どもまた不景氣なりと雖ども五千萬圓の資金は容易に政府の手に入らんと思はるゝなり且つ昨今の不景氣にては却て資本家に遊金多く、百事危險にて孰れもその金を放すに苦むの際なれば今に及んで此遊金を利し早く之を鉄道の事業に元入なさば不用の金も有用の働をなし、日本國の全体に活氣を與へ追て鉄道資金の民間に落つる後には世の不景氣も直り資本家の資金安全の地處を得に至るなしとも云ひ難し今の有樣にて若しも政府が七分の利子を給すとあらば先般既に中山道鉄道公債の例もあり縦へ五千萬は得られずとも其の半額位は咄嗟にして辨ずるに足るべきならん
然れども五千萬圓の鉄道資金必ずしも之を國内に限りて募るに及ばず行て之を公然、外國の市塲に募るも可なり其市塲は英國にても獨逸にても又米國にても差支へを見ず何れの處なりとも日本國の政府が年六七分の利子を給すとあらば歐米の資本家は爭て之に資金を投ずること疑ひなきなり抑も一昨年來歐洲の市塲何となく不景氣にして商賣活溌ならざるより資本家は孰れも金の使用口無きに苦み居たる折柄、昨年の秋來、支那政府に於て國内十八省を貫き彌々數條の鉄道を布設するに極まりたりとの風説出しより左らばこの機を外さず支那政府にその資金を貸すべしとて中にも英國の商人の如きは大にこの支那鉄道に注目し、既にリヴァプールの商人某は右談判の爲め支那へ向け出發したりと云ひ或は支那の鉄道工事は在北京の英人ハアト氏が専ら之を擔任して資本も材料も總て英國に仰ふぐ順序と定まり、先に同氏が全權公使の任命を辞したりしも其底意全く爰に在りと世の取沙汰もあり又昨年の秋頃と覺ゆタイムス新聞の紙上に於て支那の鐵道工事は英國これを引受くべし是れ無慾政策にして獨り英國の利益のみに止らず其實、支那自國の爲めにもならんと論じたるを米國の新聞に故さらにその無慾政策の字を伊太利字樣に區別して是を嘲弄し、同時に米國の資金并に其鐵道の材料を支那國へ輸入すべしと論ぜしことあり又近頃の報に由れば獨逸銀行國立割引會社及びクルツプ製造會社より三名の代理人が此程支那に渡來したり是れは一億弗の金を鐵道資金及び軍備擴張費として支那政府に貸渡すが爲めにして此計畫には獨逸政府も大に關係するとも聞えたりこの外佛國は昨年五月の天津條約に基き支那内地鐵道の建築には技術師を派して工事に與るの權を有し併て與に材料を賣渡し資金をも貸與する周旋をしつゝあるとも云ひ又米國の如きも一兩年來の不景氣にて多少遊金を見るの實あるより又々東洋の鉄道に着目し、米國は既に墨西哥に對しては第一着に材料の賣附をなし又鉄道の資金を貸したり更に第二着には東洋の鉄道工事に米國人の資本を放すこと大切なりとの論も盛んに又昨年十月頃の鉄道雜誌に紐育某會社の人某は支那政府と鉄道資金及び材料の約條取結びのため同國へ向け出發したりとも明記せり此談判の如何に纏まりしかは我輩未だ之を知らずと雖ども歐米一般東洋の鉄道工事には最も着目の今日ゆゑ我日本政府がこの間に投じて五千萬の公債を募ると云はゞ即座にしてこれを辨じ得ること亦易々たらんのみ五千萬の外國公債は其難易を過慮するに足らざるなり （未完）