「日本國の鐵道事業十」
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時事新報に掲載された「日本國の鐵道事業十」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
日本國の鐵道事業 十
鐵道の要は少しく金を費し多く其益を享くるに在り
世界中に日本ほど鐵道工事の進まざる國は無けれども是れ日本の一國に取りて別に工事不捗取の原由あると云ふにも非ず歸する所は日本人が怠慢の罪なり故に苟も鉄道を急がせて文明の速進を計らんと欲せば一年を期して東山東海山陽西海の四道に二千英里足らずの線路を敷くこと無造作の話なり西洋諸國に行はるゝ鉄道建築分業の法を利用して大に爲すことあらば工事の捗取も至難ならず又鉄道資金の如きも内に外にこれを募るの道容易にして取別け今日の西洋諸國は孰れも東洋の鐵道事業に材料を供し又資本を放さんと希望し居るの時に際して外國債にして五千萬圓の資金は立所に辨ずるを得べしとの次第は前諸篇に於て陳述したる所なれば我輩はこれより進で諸君と與に然らば日本の鉄道は西洋諸國の中、孰れの規模体裁に則るべきやと聊かこれが利害得失を究めんと欲する者なり
西洋諸國の鉄道と雖ども國に由りて各々その体裁を異にす左れば獨逸には獨逸風の鉄道あり佛朗西には佛朗西風の鉄道ありと雖ども大体、鉄道の事業の進歩して能く整頓せるは英米の二邦に若くものあらずと云ふ故に日本に於て大に鉄道の工事を起さんとならばその体裁を英米二邦の孰れにか仰ふぐべきは勿論の事にして既に今日までの工事に就て之を見るも東京横濱間を始めとし神戸西京の線路或は日本鉄道會社の東京高崎及び宇都宮間の鉄道の如き悉皆英吉利の体裁に摸せしものなり又北海道小樽幌内間、五十六英里の鉄道は米國人の手に成りしものにて即ち米國の体裁を學びたる工事なり、抑も西洋人の諺に鉄道は英國に誕生して米國に成長せし者なりとの言あり事實、鉄道の起源は千八百二十五年英國マンチエスタル、リヴァプール間の線路開通を第一着とし夫れより引續き英國にて種々樣々の變更を經て遂に今日の謂はゆる鉄道なる者とはなりしなれども此鉄道が改良を受け進化を爲し且つ著しき足取をなしたるは正しく米國なること今更疑ひを要せざるなり其證據は特に喋々するにも及ばず唯十九世紀の世界中、平均一年間の比較にして鉄道工事の捗取の速き、之を國の人口に比較して其線路の長き、之を國の面積の徒大にして未開不毛の地の多きに比較して地積鉄道の割合の左程他の邦國に劣らざる、その建築費用の甚だ廉にして旅行者の便利の甚だ多き、會社組織法の整頓して業務管理の頗る巧みなるは孰れも米國に若くものなく又米國ほど鉄道會社の多き國はなきに營業利益の饒にして然かも割賦割合の亦甚だ宜しき等我輩局外者より見ても大ひに感服に堪へざる所あるなり即ち鉄道は英に生れて米に長ぜりとの言眞に人を欺むかざるなり
日本の鉄道は英を學ぶべきか將た米に傚ふべきかの疑問を決するに付き差當り熟考を要するは建築費と旅客便益との關係なり勿論、錢金を棄る如く使用して工事を起さば完全至極のものも出來して英にも米にも無き鉄道を見ること容易なる可し今の英國の鉄道必ずしも完全ならず米國の鉄道も亦然り然りと雖ども金の世界に立ちながら湯水同然に金を遣ひて以て無缺の鉄道出來したりとて人に誇るに足らず只一方には成る丈少しの錢を遣ひ而して他の一方には成る丈多く世の便益を爲すこそ眞の經濟の法にして日本國の鉄道工事とても亦謹んで此法をば守るべきなり況て日本の如き貧國に於て鉄道を布かんには先づ第一に勘定すべきは其費用の一點にして旅客の便利と云ふ考へは之を第二位に置かざるを得ず然るに若し爰に金は廉く、便益は多く一擧兩益とも云ふべき鉄道あらば縦へ如何なる情實ありとも斷然その情實を打捨て進んで此兩益の鉄道を採用すること正しく智者の事業たるなり我輩は敢て英の鉄道を排せず又敢て米の鉄道に私するに非ず虚心平氣、人に問い自ら學んで東西の鉄道を對比し、日本の鉄道の米風なり英風たるには痛痒なしとして歸する所は日本國の文明のため利益のため成る可き丈け少しの錢を失ひて以て多くの便益を求めんとするに外ならず例へば日常の買物にても品物に變りなくして値段にのみ高下もあらば誰れ人もその廉なるを撰むべく又値段に差違は無けれども品物に優劣のありとせば亦誰れ人も物の優なる方に就くに自然の勢にてその取捨撰擇には何の遠慮會釋も入らぬ筈なり故に日本國が今日、文明の器具たる鉄道を買はんにも先立つものは品物と値段の關係なれば苟も價の廉にして物の優なる鉄道あらば英と云はず米と云はず佛なり獨なり將た白耳義なり我輩は決してその国撰を爲すを悦ばず唯計算上、割合の良き方に附くを慫慂するのみ (未完)