「日本國の鐵道事業十一」
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時事新報に掲載された「日本國の鐵道事業十一」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
日本國の鐵道事業 十一
日本鐵道の建築には務て費用の廉なるを要す
金を惜まずして鐵道工事の完全を求めんとならば今の英米その他諸邦の鐵道は寧ろ不完全の太甚しきを免かれずと雖ども事實、鐵道の要は少しの費用を以て多くの便益を買ふに在ることゆゑ日本國の鐵道工事にもこの小金大利の法則を應用して實地經濟の道に外れざるやう勉強すべきは勿論なり此迄の經驗にて見るに日本の鐵道は兎角に廉ならず例へば東京横濱間の鉄道の如きは日本人が未だ鉄道建築の監督に熟れざるの際、全くこれを英國人の手に依頼し、明治三年の三月より起工して同五年の九月全線漸く開通しその工事の非常に手間取れしと同時に建築費も亦た意外に嵩み、當時實地の築造工事、諸車類諸器械の買入れ或は雇西洋人の給料等も言はゞ不慣の處より、無益の錢を損したる事實は免る可らざるの數にて其費用の精算今更これを知るに由なけれども世の風評に據れば此建築費用平均一英里に就き三十四五萬圓なりともいひ又明治三年の七月に起工して同七年の五月漸やく竣工せし大坂神戸間二十英里の鉄道には一英里同く四十三萬圓内外を費し次に同四年の六月に起工して同十年の七月に落成したる大坂西京二十一英里間の線路には同く二十萬圓内外を費したりとの説もあり若し此説をして事の實際に大相違もなしとすれば如何に鐵道には不案内の日本人なりとはいへ、餘り經濟の法に暗かりしと評するの外ある可らず特に其工事の遅々進まざりし一段に至りて實に驚くに堪えたるの次第ありと申すは東京横濱間は滿二箇年半にして僅に十八英里、神戸大坂間は滿三年十箇月にして二十英里、大坂西京間は滿六箇年にして二十一英里の工事を畢へたるものなれば獨りこの點よりして考ふるも費用の割合に嵩みたるは推して知るべきの理なり又一説に確かなる報告に依れば東京横濱間には一英里の建築費用十八萬四千七百五十圓内外又神戸西京間には同く十七萬零百三十圓内外を費したりとあり若し後報をして確かなる筋の報告とすれば前記世人の風説といへるは或は失算に似て故さらに費用を夸大にしたる嫌なきに非ずと雖どもこの後報の計算とても決して廉なるものとは言ふ可らず何となれば西洋諸國の建築費用は措て問はず日本國内の鐵道にして右以後に布設したるものはこれに比して大に廉價の實證あればなり
我輩の聞く所に據れば西京大津間十七英里の鉄道は前記の舊鉄道に引替へ重に日本人の手にて之を布設したるに工事の捗取も速く、その間隧道山河の在るあるにも拘はらず一英里平均十二万圓内外にて濟みたりといひ次に敦賀より長濱を經て關ケ原に達する鉄道線路の布設費用も大抵これに髣〓し又同じ官設鉄道にても北海道鉄道の如きは米國人クロフホルド氏の専任擔當にて非常の盡力をなし、その建築費用は凡そ一英里平均二萬五千圓位なりしと聞けり又日本鉄道會社の既設線路に就てこれを見るも一英里四万圓内外の計算なりといひ或は日本國中第一の難塲たる中山道鉄道の如きも政府の見積にて高崎大垣間凡そ二百英里の間に二千萬圓の公債を募りたるは畢竟、同道は流石の難塲たりとも一英里平均の費用十萬圓を踰えざるべしとの概算なること明かなり左すれば彼の東京横濱間、神戸西京間の工事は實に案外の入目なりしとしても今更賠償の途の付く譯にも非ず徒に追懐して可惜錢を失ひたりとなすとも恰も死兒の齢を算するに似て無益の太甚しきものにはあれども既往に鑑みて將來を戒め、今日以後日本國中大に鉄道を布設せんとの勇氣決心もあらば成丈け經濟の實地に近寄りて無駄なる金を失はざることを務めざる可らざるなり夫れも鉄道に多く金を費したるため何か目立ちて格別に著しき利益のあるならば兎も角、苟も然らざる以上には務て廉價の建築法を取りその費用の廉なる丈に更に線路の延長を多くせざるは愚の至りと評せんのみその證據には見るべし一英里に四十三萬圓内外を費したりといふ神戸大坂間の鉄道又は同く三十四五面圓を懸けたりといふ東京横濱間の鉄道に限りて特別の利便また特別の安全ありと保證のあるにもあらず去迚又同じ官設鐵道にて西京大津間、敦賀關ケ原間の線路が別に不完全の所ありて實際に困難との苦情をも聞かず故に乗客の便利、荷物の運送より兩つながら之を見るにこれは一英里三四十万圓の鐵道、彼は同十餘萬圓の鐵道なりと云て事實に相違懸隔のあるべき沙汰もなし、下で又一英里に四萬圓を費したる日本鐵道會社の鐵道を取りこれを彼の京濱間鐵道に比較し見るに成程停車塲の建築とか土堤の築樣とかは一目して優劣を感ずる所もあらんかなれども鐵道の鐵道たる功用よりして言ふときはその間、少しも優劣を見ざるは實際兩鐵道に乗り較べたる人の知る所にて我輩こゝに喋々するを須ひざるなり況て二萬五千圓にて一英里を築上げたる北海道鐵道の如き、その建築費の廉なるに對しては其効用實に莫大無双と評するも可ならん即はち一英里十萬圓の鐵道二百英里を布設せんよりもこれを倍にして五萬圓の鐵道四百英里を布設するこそ日本文明のその爲めには最大必要の策ならんと信ずるなり (未完)