「日本國の鉄道事業十二」
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時事新報に掲載された「日本國の鉄道事業十二」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
日本國の鉄道事業 十二
廉なる二英里の鉄道は不廉なる一英里の鉄道に優れり
同じ日本國内の鉄道にして甲は一英里に四十三萬圓乙は三十四五萬圓夫れより二十萬、十萬、五萬と下りて遂には二萬五千圓内外にて出來したる者もありと云ふは一應怪むべきの理に似たれども事實決して然らざるなり左れば東京横濱、神戸西京間の鉄道工事を引受けたる英國人と北海道手宮幌内の鉄道を引受けたる米國人と相對比して強ち英國人が費用を貪ぼりたりとも云ふ可らず又米國人が特別なる一私情を日本人に盡して爾く廉價の鉄道を造り呉れたりと云ふ譯もなからん全くその國建築の風の異なるより隨てその費用に箇程の大懸隔を見たること亦疑ひを須ひず例へば英國風にすれば停車塲の工事に華美を飾ること一般なるに米國風に於てはこれに反し全く雨露を凌で人の出入に差支なき迄に止め置くか或は又米國風なるときは枕木の置樣、軌條の布設方に簡便法を用ひて手を省き隨て費用も廉にして濟むなれども英國風は萬事本式を守りて手省きを爲さずなど云ふ種々の原因より建築費用に大相違を生ずるその趣を譬へて言へば中身は同じ正宗の銘刀なれども甲は鞘の塗樣柄の捲方、縁頭切羽〓の好事より或は鍔には誰某の作を用ひて小柄には何の銘あるものを要するなど拵へに由りては獨り是等の費用のみにて中身の價よりも不廉なることあり贅擇には似たれども苟も武士の魂として正宗の刀を帯するからには外廻りの装飾小道具向にも念を入れて費用を愛まざること武士の本色にして餘資あるの士人は斯くこそ心懸のありたきことにはあれども變通も又士の常にして破鍔罅鞘また時としてこれを菰包にするほどの零落に迫ることあるも劔客一たび振つて腕に覺への力量を試めさば銘刀の銘刀なる實霊は直ちに顯はれて必ずしもその外觀装飾の美を要せざるが如し鉄道の文明國民に於けるは猶ほ正宗の刀の武士に於けるに異ならずして装飾萬端の好み拵へ決して等閑に附し去る可なりと云ふには非ざれども時の事情に由りて簡便を第一の必要とする塲合に際せば復た其外部装飾の如何を問ふに遑あらずたゞ鉄道にして鉄道の功を奏する尚ほ正宗が正宗の利を働くと同一ならば務めて變通を旨として専ら其功利を収むるとも決して文明の國民たるに恥ぢざるなり但し停車塲の建築を壮麗にし其倉庫を堅固にし又は線路堤防の工事に念入るゝと否らざるとに依て鐵道建築の保續上に影響を及ぼすこと勿論なれば此等の諸工事を簡易廉値に經營するは寧ろ鉄道その物に損害を與ふる基にして即ち銘刀の装飾手入れを怠るあらば忽ち其銘刀に瑕疵を來すの理に均しと言ふ説もあるべし甚だ謂はれある言に似たりと雖ども装飾と云ひ手入れと云ひ必ずしもこれに多くの金を投ずるを要せず唯單に鉄道の利器に損傷を及ぼさゞる限りは始終巧みに之を保續すること文明國民の力に於て亦容易の業なるが故に我輩は日本國の鉄道には成る丈簡便廉價なるものを採取せんと切に祈りて巳まざるなり
右の如く文明人が鉄道の拵へは恰も武士が刀劔の好みに似てその費用甚だ相違あるを免れざるものなりとせば西洋各國鉄道建築費の一ならざる推知すべきなり乞ふ左に各國の鉄道建築平均の費用を掲げてその然るを示さん
鉄道一英里間の建築費比較概表
英吉利 十九萬五千六十弗
佛朗西 十九萬四千八百六十弗
白耳義 十萬六千九百八十弗
澳地利 九萬六千六百八十弗
獨逸 九萬二千四百四十六弗
米國 五萬二千九百七十二弗
右の表に就て見るに英國の建築費用は恰も米國の四倍なる計算なり今この計算を正當なるものと見做し然る上にて左らば英國の鉄道は米國に比して四倍の便益ありやと云ふに中々以て倍など云ふ便益あるにあらずして或る點より見たらば米國の鉄道は遙に英國に駕して優所もあることながら此等の利益は追て後篇に記述すべきこととなし兎に角に建築費に何樣の相違あるも鉄道の功用は皆同一のものにして決して其間に彼此優劣あるべからざるは明白なるが故に今我日本國に一英里二十萬圓内外の英國鉄道を作らんより同じ錢にて四倍の長さに達すべき一英里五萬圓内外の米國鉄道を作るこそ國の爲めに甚だ利益なれ左れば今後日本の鉄道建築は斷じて米國風に倣はんこと我輩の深く希望する所なり (未完)