「日本國の鉄道事業十三」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「日本國の鉄道事業十三」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本國の鉄道事業 十三

米國の鉄道は最も廉價なり

米國は世界中にて鉄道建築費の最も廉なる者なりとは豫て我輩の聞知する所にして畢竟は米國ほど鉄道事業に財本を放し經驗を積み且つ技術を磨きたる邦國他にこれあらざるが故に其建築費の廉なるも一般經濟の法則よりして然らざるを得ざるならん何となれば大仕掛にて多額に造りたる品物の値段は小仕掛にて造りたる少量の品物よりも都て廉なるの道理にして經濟技術に富むの製造人は品物の價を不廉にせずして更に其品質を改良すること容易なればなり再言すれば米國の鉄道製造は眞にこの經濟原則の働きを代表するものにて値段より見れば廉く品質より評すれば堅く、一擧兩益の實を存するなり我輩斯く言ふも決して無證の架空談を説くにあらず即ち現在の證據と申すは日本にても現に北海道鉄道の如き實例あり今日までこの鉄道に限り故さらに旅客に不便にして破壊危險の虞り多しとも聞かず尋常一樣他の諸鉄道と同じ効用を呈しつゝ最初建築費の廉なることに至りては寧ろ法外とも稱すべき次第あるなり尤も同じ米國の鉄道とても土地によりて樣々に建築費を異にし其多寡一ならずと雖ども或る言に據るに米國の鉄道中其建築費の最も高價なる者は西ウヰスコンシン州の線路にして一英里五萬七千八百六十弗に當り亦其費の最も低きものはウヰスコンシン州の鉄道一英里間の工費一萬五千二百四十四弗の者なりと之を推して考ふれば日本の北海道にて鉄道工費の廉なりしことも亦怪むには足らざるなり

世界各國鉄道建築費の樣々なる原因は右の外に尚ほ幾多の小因なきに非ず例へば同じ鉄道を布設するに就けても寒地と暖地にては非常の相違あるべし雪の爲め霜の爲めに土地凝結して土工に妨害を與へ或は寒風凛烈手足皆〓へて工夫勞力の不十分なる孰れも建築費を不廉にするものにて時としては三冬隆寒の中には天候人力兩つながら工事を許さず全く土工を廢して春暖を待つの不便もありその上、斯くして成る所の鉄道は竣成の後自ら精粗堅不堅の差ありて著しき關係を他日に及ぼすは固より論を待たざるなり日本國に於ても九州の鉄道と北海道の鉄道とを併べ他に相違の點なしとして單に氣候よりこれを見るに北海道の鉄道の不廉なること勢ひ巳むを得ざるの次第にはあれど日本今日の急務は北海道の新鉄道に非ず青森以南、一線斜めに馳て本陸を通じこれを九州に繋ぐに在るは我輩は既に述べたる所なるが此一直線路中にも北するに隨ひ前記風雪等の妨害漸く多く日本鉄道會社の鹽釜仙臺間鉄道にてさへ冬間尚ほ工事に困難ありなど云ふ苦情もあれば日本國中の鉄道は一英里平均必ず三萬圓又四萬圓と確定の豫算を下すべき譯にも往き難けれども夫れとても又深く憂ふるには足るまじ、その仔細如何と云ふに米國の鉄道にては同く風雪を冒し隆寒を凌で工事を進めたるに相違なく全体の氣候、冬の寒、夏の暑に大懸隔を見ざるべく寧ろ地方によりては季候の變化日本より甚しき處亦これありとせば日本の鉄道を米國製にするとも其費用の實際に嵩まざるは我輩の信じて疑はざる所なり其他詳細に論ぜば山岳江河の大小險易にて鉄道工費に多樣の難易損得を與ふるは固よりの事にて又都會と田舎との違ひにても費用には著しき變動あり都會なれば線路に當る土地及び家屋買入れの値段も高く加ふるに車馬往來の繁き市街の眞中を地平線に馳せて線路を作らば通行人の不便危險この上も無かるべきが故にこれを地下鉄道或は空中鉄道に改めて市街を横切らざる可らずこれ人口の多き國と寡き國と〓て建築費に相違を生ずる所以なれども事の大体に就て論ずれば此等の小異同固より以て大數を動かすに足らず要するに米國風の鉄道とすれば其建築費の甚だ低廉なるは蔽ふ可らざる明白事實なり特に爰に附けて述べ置きたきことありと申すは今日となりては日本の鉄道事業に言ふも或は詮なき次第ならんかなれども全体日本現在の鉄道は狹道軌條と唱へて歐米一般の鉄道とは格外なる者なり我輩が改めて述ぶるまでにはあらざれども鉄道線路には廣軌道と狹軌道の二樣あり軌道の廣きもの四英尺八英寸より五英尺以上に至る、之を廣軌道と稱し狹きもの三英尺六英寸より二英尺以下に下るを狹軌道とは云ふなり而して一般世の廣軌道と唱ふるは四尺八寸五分の鉄道にて一に之を本位軌道と稱し歐羅巴諸國并に米國に於ては孰れもこの廣軌道の鉄路を用ふるなり又之に對する狹軌道は通常三尺六寸五分を程度とし印度の鉄道并に支那開平鑛山の鉄道等皆是なりと聞く日本の鉄道も最初如何なる手都合にてありしか明治五年開通の東京横濱間の線路にこの狹軌道を撰みし以來、爾後の新設線路はみなこの狹軌道を使用するの運命に落ちしは今更言ふて返らぬことながら單に建築費の點より論ずれば築造軌條の費用は固より、之に使用する機關車、客車、荷車の類までもこれに準じて一切低廉なるは無論の事なり聞く米國にて人家最も稠く地價最も高く加ふるに山河險惡の最も甚しき地方にして廣軌道の建築費諸車類を合せ一英里間平均六萬弗狹軌道にして(即ち日本の鉄道と同きもの)同く三萬弗内外なりと左れば他の點より評ずれば日本の鐵道に狹軌道を撰みたるは我輩に於て大に異存もあることながら建築費の一點よりせば却て工事の捗取を容易にするの實ありと評すも可ならん (未完)