「軍氣を振ふ可し」
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時事新報に掲載された「軍氣を振ふ可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
軍氣を振ふ可し
我政府にては舊臘以來大に内政を改革し職制を定め冗韻を沙汰し施政の責任を一所に集むる等政治の趣を文明風に改めて今は改革後の秩序も畧ぼ整頓したるものの如し内政已に整頓すれば其次の政畧は申す迄もなく外交事業にして我國威を外に張るの工夫如何を講ぜざる可らず國威を張るには必ずしも武骨のみに依頼せず文の交際上にも亦自から威儀を表す可きものあらんと雖ども結局我軍氣を振ふて武骨の鋭を外に示すこと肝要ならん軍氣を振ふに其法あり歐洲軍國にては毎年觀兵式を擧行し天子統領親臨して三軍を閲覽し以て其氣を振勵す、我國にも亦此擧ありと雖ども毎年の恆例として甚だ普通なるがゆゑに未だ以て大に軍氣を振ふに足らず大に軍氣を振はんと欲すれば聊か異常の擧を以て軍人耳目の聽視を聳かし之を鼓舞して其衷情より感激喜躍せしめざる可らず昨年四月天子豊前行事村近傍に親臨して海陸軍の演習を閲覽あらせらるるの計畫あり當時御不例の趣を以て親王御代覽の事と爲りしが右の計畫の如きは臨時に軍氣を一振するの美擧として我輩も當時大に之を賞賛したり今や海外の形勢を察すれば我國は大に軍氣を張らざる可らざるの地位に在れども近年國内無事にして武人漸く髀肉を生じ軍氣漸く沈滯せんとするの色あるが如し此時に當て異常の擧能く軍人の氣を鼓舞して之を感激喜躍せしむ可きものありや我輩の所見を以てすれば天子三軍を率ゐて陸軍大演習かたがた大に富士野に獵せらるるが如き即ち其一策ならんと信ずるなり史を案ずるに建久四年夏五月源頼朝大に富士野に獵す、關東の將士悉く會すとあり此時に當りてや頼朝西に平氏を滅し東北征して陸奧を平げ征夷大將軍と爲りたるが戰餘人心の激昂抑ゆ可らず即ち〓〓の盛觀を張り弓馬馳騁の其間に軍人の情を慰め鬱を散じたるなれども今や則ち然らず海内事なきを既に久しく、軍人實地戰爭の事は殆んど華法兒戲に歸し武氣漸く沈滯せんとせり左れば今の軍政に於て異常の擧以て將士の耳目を驚かし將に沈滯せんとするの軍氣を新鮮にするは緊急欠く可らざる事柄に非ずや今時方に三月、是より大獵の事に取掛らば陰暦五月頃までには準備畧ぼ整ふべし或は少しく時日を延ばし秋風馬肥ゆるの時に及ぶも可なり兎に角錦旗東京を發し皇族大臣海陸軍將校以下士卒に至るまで前後相繼で富士山麓に集まり名古屋大坂廣島熊本仙臺等の各鎭臺よりもそれそれ軍人の出張あり先づ陸軍の大演習大射的等あり餘興として大卷狩を演し狡兎走狐、人の獵獲に任じ滿野の麋鹿濯濯たり、砲烟山麓を繞りて喇叭の聲天外に響き、芙蓉峯下晩獵罷んで營前の獲物山の如く、龍顏麗はしく將士の功を賞し恩賜の酒杯軍人の丹心に澆がば軍氣忽ち勃興して爰に從來の沈鬱を一新すべきや必せり盖し軍人の激昂を慰めて其氣を散ずると其沈鬱を破りて之を一新振勵するとは其事異なりと雖ども之れに處するの方略は一なり富士野大獵の事は既に頼朝の古例あり今や海外に對して我國威を輝かすの機に當りて軍氣を振ふの善好方便は唯天子富士野に大獵するの一事あるのみ我輩は今の時に及んで斷じて此事の擧行を渇望するものなり