「米國の鉄道競爭を利用すべし」
このページについて
時事新報に掲載された「米國の鉄道競爭を利用すべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
米國の鉄道競爭を利用すべし
日本と米國との貿易は其地理物産等より考へて前途の望少なからず此間の貿易に從事する
日本商は耳目を頴敏にして米國の商况を聽視し物價の昇降、物品の多寡は申す迄もなく
時々の流行新發明等より商賣上一時偶然の出來事に至るまで委細の事情を承知して賣買上
に抜目なきを期すること最も肝要なり然るに今日の處にては日本商人の怠慢と云はんか將
た無智と云はんか自家の取引先なる米國の事情に注意するもの少なく例へば米國の人がシ
ヤツ、カラ、カツフ、帽子襟巻等を日本人に賣り附くるに米國にては既に時好に後れ一山
百文の大見切物を仕入れ來り尋常一樣の代價にて卸せば迂濶なる日本商は何の分別もなく
之を買ひ入れ米國商人の爲めに看す看す巨利を占めらるゝも之れを悟らざるものゝ如し貿
易上甚だ嘆ず可き事柄なれば日米商賣に從事するものは今後勉めて此迂濶を脱し商機に關
する一切の出來事は之れを知りて之れを利用するの覺悟こそ肝要ならん即ち今度米國にて
鉄道會社の競争を生じ人と物との運賃に非常の影響を及ぼしたるが如き商賣上緊要の出來
事として大に注意する所なかる可からずと信ず
三月十三日桑港發の通信に據れば此程桑港より東方諸州に通ずる諸鉄道の間に競爭を生じ
桑港より紐育及びボストンの両府に達する汽車賃は上等客一人卅五弗、荷物百ポンドに就
き四十仙の割合に減じたりと云ふ抑も桑港より東方に通ずる鉄道は凡そ四線路ありて共立
營業し來りしが昨年中チカゴ邊の鉄道會社にて頻りに競爭を試みたる影響、遂に此大鉄道
の間に波及し之れに加へて昨年中米國政府の交迭あり政治上の關係幾分か民間の鉄道會社
に差響きたるやの趣にて右の競爭を生じたるものゝ如し左るにても從來桑港紐育間の汽車
賃は上等客一人百二十弗位なりしに今や三十五弗に下りたりと云へば現賃銀は原價三分の
一以下の下落にして此間の旅客には非常の利得と云はざるを得ず又荷物の運賃も百ポンド
に付四十仙と云えば從前の半額にも當らざるが故に桑港邊の商人は從來汽車賃高價なるが
爲め東方繁華の地へ輸送せんと欲する品物も運賃に遮られて兎角東送の便を得ざりしに今
や鉄道の競爭に因て偶然にも荷物運送の便を得たれば菓物或は鑵詰類の物品を東送するも
の甚だ多しとの事なり因て思ふに從來日本の貨物にて桑港の市塲までは達し得るも運賃に
辟易して更らに進んで米國の東部に達すること能はざるもの多からん然るに今幸にして鉄
道の競爭に際したれば運賃の壓迫頓に減じて貨物の諸方に飛散するには大なる便利を加へ
たり日米間の貿易家は決して此機を空うす可らざるなり盖し米國鉄道の競爭は今日に始ま
りしに非ず從來の例を按ずるに此競爭を制するものは固より政府の力に非ず両虎鬪倦んで
傍に之を仲裁するものなく是に於て双方漸く交綏し夫れ夫れの恊議を遂ぐるか或は互に合
併するか事の結局は大抵此邊に歸するものなれば競爭の時間甚だ永く、其間乘客荷主の得
意は言ふ可らず時に今度の競爭に係る鉄道會社はノルスルン鉄道會社、中央鉄道會社等孰
れも米國金滿家の維持に依るものなれば其精盡き力屈するに至るまでは幾多の日月を費す
ことならん我輩は此競爭の時間に於て我貿易商が活溌に其餘澤に霑ふの工風あらんことを
渇望するものなり