「南京米の受渡」
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時事新報に掲載された「南京米の受渡」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
南京米の受渡
目下東京米商會所にて限月米を賣買するの法は武藏中米を建米即ち米の價位を知る爲めの
標準本位と定め例へば肥後上米は建米よりも一石に付き四十錢上格、同中米は同格、同下
米は三十錢下格等の格附を立て此格附に照らして現米を受渡せしむるものとし斯くて向ふ
二箇月三箇月を期して互に賣買の約定を爲し或は期限の未だ至らざる前に賣りては買ひ、
買ふては賣り賣買正しく平均して差引精算し盡すもあり或は約定期限に至り現米を受渡す
るものあり後の塲合には現米検査人の鑒定にて其米の格を定め格附表に照らして相授受せ
しむるを例とす然るに同會所の規約にて三箇年以上の古米と陸稻、及び南京米は鑒定困難
なりとの申分にて現に其受渡を禁じ置く由なり古米陸稻の事は姑く置き南京米の受渡を禁
ずるの一事は我輩少しく異論なきを得ず抑も彼の俗に南京米と稱するものは決して支那南
京邊にて産する米に非ず我國人の外情に通ぜざる、當初此米の支那の方角より來り時に支
那人即ち俗間にいふ南京人の手を經ることあるが爲め目するに南京米を以てしたるならん
所謂南京米は安南、暹羅、緬甸、印度等の地に産し産地の異なるに隨て品質に精粗あるは
勿論、其形に丸きあり細長きあり通例の南京米は日本米に比して目方凡そ一割の増量あり
隨て之を炊きたる時の殖ゑ方よろしく甚だ徳用なりとの事にて昨明治十八年中も南京米の
輸入は十餘萬石元價六十七萬圓に上りたりと云ふ即ち彼の南京米は日本の市塲に於て一廉
の商品として通用す可き者なるに東京並に各地の米商會所にては何故其受渡を禁ずるや南
京米の産地品質を鑒定し難く其格附を定ること容易ならずと云ふが爲か現に英國倫敦の市
塲にては南京米の産地品質に因り凡そ十等計りの格附を立て差支なく之を受渡するに非ず
や畢竟今の日本の米商が丸で南京米の事を知らず此米は何の地に産するや陸稻なるか水田
米なるか収穫の費用は凡そ何程にして之れを日本に輸入すれば其の費用又何程なるや日本
米は遠方に運送する間に動もそれは風味を變じ分量を減じ甚だしきは臭氣を生ずることあ
れども南京米に此等の患少なきは何故なるや之れを搗くに日本流の臼杵水車等を用ゐるや
或ひは西洋風の米搗機械を用ゆるや曾て此の邊に注意したることもなく况して其の米の産
地品質如何に至つては漠然として東西南北とも知らず恰かも盲人色を判ずるが如き觀ある
は畢竟古來の陋習、米商人の無學近眼、米の取引を唯だ日本内にのみ限りて東方亞細亞各
國の品を我市塲に引き集め以て米商賣の區域を廣くするの膽力なかりしが故ならんと雖ど
も今や外国貿易を張るの急に當りては日本各地の米商會所にても南京米の受渡を許すにそ
の事甚はだ難からざるがごとし先づ手始めに南京米検査人を置き之を安南及び印度地方に
派遣して實地に就き米の品質鑒定を會得せしむるか或は各地の南京米を取寄せて其検査方
に慣れしむるか孰れにしても適當なる南京米検査人を得れば其鑒定に因り建米に比較して
南京米に上下の格附を立て例へば西貢上米は一石に付き建米よりも若干錢の上格、ベンゴ
ル下米も若干錢の下格等の差を示して内地米同樣に受渡せしむること容易なるべし右の如
く米商會所にて南京米の受渡を許したる處にて扨て其南京米なるものは海外の商品なれば
賣方に於て今度は南京米を渡すを得策なりと信ずることあるも之を取寄するの手續甚だ乙
甲にして矢張り日本米の受渡しに過ぎざるべしなど云ふ者もあらんかなれども實際に於て
は決して然らず今の運輸の便利活溌なる我が東京大坂より見れば英領香港は内地の北陸道
よりも近きことあり仮に今日東京大坂の商人が電信を以て南京米を香港に注文すれば荷物
は十日前後に來着して越中、越後の米を呼ぶよりも却て時日の速きことありと云ふ運輸の
便は斯の如くして且近來の實際に於ても毎年何十萬石の輸入あり各地の米商會所は尚ほ何
を苦んで其受渡を許さゞるや我輩は失敬ながら之を米商人の小膽近眼の罪に歸せざるを得
ざるなり