「南京米の受渡前號の續き」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「南京米の受渡前號の續き」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本各地の米商會所にて南京米の受渡を許すこととも爲らば時宜に因り賣方は南京米ばか

りを渡し買方は之を受取りて一時其需要者を得るに困しみ米商の間に當惑するものある可

しとの掛念もあれども畢竟謂れなき事共なり前號にも陳述せし如く米商會所の定期賣買に

賣買正しく平均して差引精算し盡すもの實に多く約定の期限に至りて現米を受渡するもの

は甚だ少なし例へば目下東京府下にて一箇年間の米の需要は凡そ百萬石と號し其中地廻り

と稱して埼玉、橡木、千葉、茨城の四縣より三十萬石、陸前陸中より十五萬石、尾三勢濃

より十五萬石、越後より十萬石、加賀能登越中より十萬石、肥後播磨等より七八萬石を供

給市凡そ八十七八萬石は米穀廻漕問屋等の手を經て東京に入り小賣米商人の媒介にて府下

百萬の人民に分配し米商會所の賣買を經て府民の需要に達するものは僅々十二三萬石に過

ぎず年に十二三萬石とあれば月に一萬石内外にして即ち此一萬石は東京米商會所にて一箇

月間に受渡する米の總數なり然るに同會所一箇月間の出來高は過般會所減税以来凡そ九十

萬石なりと云へば九十萬一を賣買しても賣方忽ち買手と爲り買手又賣手に變じて賣買相平

均するが爲め約定期限に至りて受渡するものは僅かに一萬石に過ぎず左れば今後南京米を

授受したりとて受渡米非常に增し之を受取りたる米商に於て其賣捌方に當惑するが如きこ

とありとも思はれず即ち南京米の受渡を許せば賣方は南京米ばかりを渡し爲めに買方と苦

しむ可しとの掛念は實際無用なるを知るべきなり

前陳の如く南京米は各附を立つること六ケ敷からず之を受渡するの際にも亦苦情なしとす

れば米商會所にては速かに其受渡を許すの外擔當の道なかるべし扨これを許して其利益如

何と云ふに先づ米商賣の區域を廣む可し、從來日本は産米國にして米商賣は甚だ盛なりし

かども其商賣たる唯日本國内に限りて海外の米况に關係せず米商が未來の米價と卜するに

も日本國の寒暖晴雨の模樣と察し日本國の政變の趣きを視るに止まりて曾て外國の豐凶如

何に注意することなし然るに今若し南京米の受渡を許せば日本の米商も眼を内國のみに畫

らず安南の春霖、印度の秋晴、東方亞細亞各國の政變に關心して米况を視察するの眼界を

廣めざるを得ず斯くて眼界と廣むれば從來は日本國に産する三千萬石内外の米を目當とし

て商賣したるに今は東亞細亞各國千萬石の米を附け加へ之を目當として賣買することと爲

り米商の胸膈もますます大に米商會所賣買約定の出來高も亦自から增加することならん又

今一つの利益といへば南京米を受渡するよりしく日本の米商人を誘ふて外國の智識を增さ

しむることなり凡そ人間の眼力と射利の的の或る所に向ふより頴敏なるはなし今日の米商

い安南、暹羅、緬甸、ベンゴル等は亞細亞の何の部分に在るや其方角さへ暗ぜざるもの多

かる可しと雖ども今後會所にて南京米が正當の地位を得て然かも此南京米は安南ベンゴル

等の地に産するものなりと聞かば射利心に刺衝せられて勢、其米の産地を穿鑿せざるを得

ず先づ穿鑿の手始めとして南京米を耕作収穫する模樣、之を搗く噐械、之を輸出する手續、

耕作の費用、役夫の賃錢、租税の輕重より運輸の便否に至るまで一々之を調査し去り尚其

國政人情風俗までを聞知することとも爲る可し凡そ外國の地理事情等は學校の敎授にも聽

く所なれども平常記臆に留まるもの少なし唯其國に何か注意を促す事柄あれば其事柄より

樣々に思想は端緒を引延して永く之を忘れざるは人心の常なり例へば安南、埃及の如き亞

細亞、亞弗利加洲中にて甚だ無名の國なりと雖ども近年安南には佛軍の役あり埃及には英

兵の遠征あり其戰爭攻守の地を聞き土人の勇怯、氣候の寒熱を報じ來る毎に一時の好奇心

に刺衝せられて思はずも此無名國の事情に通じさる者少なからず彼岸の火事に等しき遠國

の軍事に就ても尚且斯の如し况んや我身に適切なる商賣の利害に刺衝せらるゝに於てをや

射利の眼を以て商品の産地を見るときは其事々物々記臆に存する勿らんと欲するも得べか

らず即ち敎へず學ばずして實地の智識を得るものなれば其効力は學校敎授の比に非ず世に

英國人は世界の智識ありと云へども其原因は畢竟此邊に存することならん射利の刺衝を以

て商人の智識を廣め商人の智識を廣めて貿易の區域を大にす南京米の受渡は其事小なるが

如しと雖ども其關係甚だ大なり我輩は我が米商人が自身の利益のため又た自國の開進のた

めに之れを馬耳東風に付せざらんことを希望するものなり           (畢)