「人を以て装飾品と爲すの風習」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「人を以て装飾品と爲すの風習」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

人を以て装飾品と爲すの風習

風俗變遷の歴史に於て虚飾は實用に先だつものなりとは西洋學者の説く所にして野蠻未開

の人種中には其例特に多きが如し南亞米利加のオリノコ土人は野蠻の常習、曾て衣食の温

飽に注意されども面に塗抹する紅粉を買ふが爲めには其半箇月間の勞を費すを惜まず又其

婦女は裸体徒跣にて生息すれども紅粉を施さずして其廬を出づることなしと云ふ亞弗利加

の野蠻中には所謂文身の風習あり身に圖画と刺繍するのみならず龜甲を以て面を飾り耳環

を挟んで身体を毀傷するを常とし剽悍残忍なる酋長輩に至りては髑髏抔を以て室内を飾り

敵人の頭顱を串して腰間の装飾品と爲すものあり孰れも野蠻の陋習にして文化の進歩と共

に消滅し或は漸く其形を變ずるが如くなれども半開の國には其陋習の少しく變形して世に

流傳するもの少なからず古今東洋諸國に於て人を以て一種の装飾品と爲すが如きは即ち其

一例なりと申す可し例へば支那の戰國時代に孟甞、平原、春中、信陵の諸君は孰れも食客

三千人あり食客幕賓を以て一時の豪を誇るの噐械と爲し越王勾踐呉を破て歸る、宮女花の

如く春殿に満つとて宮女の華やかに多きを以て宮殿の美觀を添ふるの裝飾と爲したり其後

漢唐の時代にも宮女三千などの文字を見ること多く近くは昨年死去したる支那の豪商胡雪

巖の盛時には侍妾六十人を有したりと云へど三千の宮女、六十の侍妾、初より實際の用を

目的とせしに非ず唯人間を器械として之を裝飾品に供したる者にして此塲合には美人の美

は美玉の美と恰かも其用を均うしたる者なり又我封建時代には諸藩の大名其供連同勢の盛

なるを競ひ十萬石以上を領する諸侯の行列は同勢概ね七八百人に下らず先箱、立傘、大傘、

打物、袋槍、引馬、夾箱、籠長持等の儀仗あり先驅には小人、徒、小十人等あり藩主の駕

籠の左右及び其後列には馬廻、小姓、小納戸、目附、使番、黒鍬頭、徒目附、醫師、茶道

坊主等の隊を爲すあり之を望んで甚だ美觀なりと雖ども此多數の同勢は果して何の用と爲

すや沿道警固の爲めなりと云はんか徳川時代太平の世に大名の行列を擾すものありとも思

はれず「何事ぞ花見る人の長刀」とは太平觀花の客が腰に大刀を挾んで巖めしき扮裝する

を嘲りたるものならんなれども春風嫋嫋枝も鳴さぬ世の中に大名の行列彼れが如く壯巖な

りしは所謂長刀觀花の類にして事の實際を云へば唯其臣下を装飾品と爲したるに過ぎず又

各藩主の間にても夫れ夫れの役目に應じて供人を召し連るゝに多少あり供人の多寡に因て

其役目を區別すること帽子の筋の多少に因て今の巡査の等級と區別するに等し驚き入りた

る次第にころあれ扨封建制度の破滅と同時に此等の陋習も亦稍消滅志たるが如くなれども

此陋習たるや社會微妙の部分までに浸染し冠婚葬祭宴樂遊戯の事に於て今尚之を洗濯し去

ること能はず甚だしきは經濟商賣の部分をも浸す所あるを見るべし例へば日本の商店にて

は番頭小僧の數の多くして何となく賑々しきを貴び番頭は火鉢を抱へて店の端近く防禦線

を張り小僧は後陣に差控えて以て其使役に供す客來れば番頭防禦線の處にて之に接し小僧

は番頭の命を聞て一々庫の貨物を持ち出し番頭小僧を呼ぶの聲、小僧これに應ずるの聲は

恰かも群犬の遠吠の如く貨物持運びの人、紛々相旁午して店中の雜沓極まれりと云ふ可し

今若し日本の商店を西洋風に改造し從來の坐賣法を廢して立賣法と爲し店の体裁と今の觀

工塲風に改め客來れば番頭自から之を貨物の巣窟に案内し都と客の自撰に任ぜしめば今の

日本の大店などは番頭小僧の數凡そ三分二を減ずるも尚綽として餘裕あるべし即ち日本の

商店にて彼の坐賣法を守るが爲に全國を通じて無用の小僧番頭を強て有用の物と爲す其幾

千萬人なるを知らず實に不經濟の極度なれ共日本の商店にては番頭小僧の多きを以て一種

の裝飾と爲すが故に或は賦經濟と知りつゝ之を改めざるの趣もあるべし斯かる事の始末ま

で古來我國には人を以て裝飾品と爲すの風習あれども當初此風習の萌起したるは社會勞力

の供給、需要に過ぎ安給金を以て奉公するもの多かりしが故ならん人多くして業少なく一

人の仕事を二人に分ち又之を三人に分ち果ては此人を以て一種の裝飾品と爲すに至る、國

の經濟に於て其宜を得たるものと云ふ可らず勞力は一種の貨物なり國に此貨物多ければ大

に之を輸出して可なり目下北米合衆國にては事業多くして勞力少なく人を要すること甚だ

切なり且近來非支那人の氣風熾に之を放逐するの勢あり吾れ取て之れに代る可しとは正し

く今日の事にして勞力低廉なる我國の人民は其勞力を櫃に藏すに及はず颯々と之を米國に

輸出して善き價を求む可きなり今の世の中に生れて勞力過剰の國に居り業を求めて得ず安

給金を以て其勞を致し果ては其身を以て一種の裝飾品に供するが如き人々に私より云へば

不面目に非ずや、一國に公より云へば不經濟に非ずや、我輩は我國の人民が其過剰の勞力

を提げて大膽にも他國へ押し渡り勞力低廉より生したる彼の人を以て裝飾品と爲すの風習

を今日只今我國より一掃するに至らんことを希望するなり