「肉食を盛んにすると易し」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「肉食を盛んにすると易し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

肉食を盛んにすると易し

文明社會の事物はたゞ單に人の心身の働きに外ならず、人の心身の働きを制するもの一に

して足らずと雖も食物これが主因にして同じ其食物の中に於ても菜食肉食の別に由りて國

民心身の働き即ち言葉を替へてこれを言へば其國文明富強の程度に大懸隔を生ずること事

實睹易きの道理にして新奇らしく之を陳ずるを要せざるなり依て理論は深くも逐はずこれ

を事に實例に照らし見るに西洋諸國毎年肉類の消費高は

 北米合衆國の人民一名に付  一百二十封度〇〇

 英國の人民   同     一百十九封度一〇

 日耳曼の人民  同      八十四封度五一

 佛朗西の人民  同      八十一封度八八

 歐羅巴全洲の平均毎人     五十七封度五〇

次に然らば我日本人の肉食高は毎年凡そ幾干なるべきやと問はるゝに於ては前記の消費額

に比較して甚だ赤面の返答を爲さゞるを得ざるなり第四統計年鑑に依て明治十三年以降四

箇年間の食牛屠殺表を見るに

 明治十三年   牝牡合せて   三五、三六一頭

 同 十四年   同       三六、六二一

 同 十五年   同       三六、二八八

 同 十六年   同       三七、八七九

牛一頭に付き外國種なれば肉平均三百五十斤を得らるべしと雖も日本種の矮小牛に向て平

均此三百五十斤の計算を立つるは過分過當の計算なれども暫くこれを許し且つ日本人の肉

食は牛の一種の外に羊豚の各種あり其消費高は數の據るべきもの無けれども其額僅少なら

ざるものと假定して臨時にこれに牛肉同樣の數額を與へ然る後之を國の人口に割合するに

毎人一年の消費高僅々八十匁内外にして若し單に牛肉の一種に付て計算せば一人平均四十

匁内外に過ぎざるの割合なり統計の詳なるものは今俄に掲げ難しとなし唯、事の大体上極

めて寛に計算するも日本にて畜産の肉の消費額は毎人一年一斤以上に及ぶ能はざる者とし

て事實に大相違は無かるべきなり今假に人身を蒸氣機關として其口に食ふ肉と石炭に譬へ

んならば日本人の力は恰も僅々一馬力なるに引替へて歐米人は八十乃至百二十馬力を有す

るものにして隨て其活馳走の力に著しき相違を生ずるは數〓に照して明白ならん毎度我輩

の申陳する通り今の文明世界は恰も一種戰爭の修羅場にして國の盛衰強弱はたゞ人の力の

多寡大小に基き而して其人力の多寡大小亦唯單に心身の元氣たる食物の精粗如何に在るこ

とは理論上に於て誰も彼も皆之を領承して一の否字を唱ふる人あることなしと雖も偖然ら

ば實際に其法を行ひて彌々肉食を盛んにするの途を講ずる者ありやといふに世間一般殆ん

ど此邊には無頓着にして敢てこれを顧みる者なく甚だ怪しむべき事相たるに似たれども一

歩退いて熟々考ふる時は又大に其原因なきにしも非ず即ち肉の價の甚だ不廉にして現今の

有樣にては肉は日用品たるに至らずして未だ贅澤品の部内に留るが故ならん

肉食の美と要とは衆人口に唱へ心に服して決して異議あること無きにも拘はらず事實肉食

の甚だ盛んならざるは第一日本の肉價の不廉なること第二其價は不廉ならずとしても各地

共その價の高低變動の甚だしきとの両原因よりして致す所のものなりと斷定するの外なし

我輩は進んで此事を論ずるに先ち參考の爲め世界中にて牛肉の價の最も不廉なる其一地即

ち英京倫敦の相塲を掲げ示すべし

   倫敦府肉類市塲牛肉一封度の價格表

   (一封度は我百二十一匁六分、日本の牛肉も百二十匁を以て一斤に算す故に一封度

    乃ち一斤と知るべし又一片金は我二錢一厘に當る)

 千八百八十二年  最低價    最高價

  三月三十一日  四片二分の一 七片二分の一

   六月三十日  五片     八片

   九月三十日  五片     八片四分の一

 十二月三十一日  四片八分の五 八片八分の一

 千八百八十三年 

  三月三十一日  五片八分の五 八片八分の一

   六月三十日  五片     八片

   九月三十日  五片     八片八分の三

 十二月三十一日  四片四分の三 八片

  三月三十一日  四片二分の一 七片四分の三

   六月三十日  四片六分の一 七片八分の五

   九月三十日  四片八分の三 七片二分の一

 十二月三十一日  四片八分の一 七片二分の一

右倫敦市場三箇年の牛肉相塲最低の價一斤九錢五厘を踰へずして最高のもの尚ほ十七錢六

厘を出でざるなり(未完)