「肉食を盛んにすること易し 前號の續き」
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本文
肉食を盛んにすること易し 前號の續き
東京市中の牛肉相塲は世界中にて肉價の不廉なる英京倫敦の相塲に比して大相違なきこと
並に該相塲の斯くも不廉にして消費者が容易にその望を達する能はざるは畢竟東京に中央
肉類市塲の設けなきに因るとの事は前號の紙面に於て其大意を開陳したり然れども畜産市
塲の設けなき不便不都合は獨り消費者の一面のみこれを感ずるに止らずして牧畜者の如き
はこれがため非常の損失を蒙むるもの少からず好しまた損失は無としても今の儘の有樣に
ては到底利益を獲るの目途なく牛羊幾千牧し得て原野に濯々たれども扨々これを售るに市
塲なく、售れば二三の仲買問屋に壟斷の利を占められて自信却て損失を招くの訴へは各地
牧畜家の一般口にする所なり例へば關西にて僕蓄に名ある廣島縣下岡山縣下の地方などに
至りては肉一片の價三四錢を下りても尚ほ購買者に逢はざることありと云ひ或は盛岡又は
八戸邊に於ては二年越しの犢牛一文の價を生せず去連その儘に飼ひ置けば芻草を宛行ふの
費用のみ嵩み寧ろこれを江河に投ずるに若かざるが如き塲合もありと聞けりその外各地方
の牧畜者に就て一々苦情を聽質すときはその不平の情も尤なる次第にして或はこれを東京
に持來らんにも遠路遙々の運送費を支拂ひ彌々東京に着したる上にて第一肝心の中央市塲
の相塲なるもの無きが故にその價格を定むるに標準なく去ればとてこれを問屋に賣らんと
すれば樣々の事情を以て苦しめられ何時も損失を蒙ることその常なるに依り再たび牛羊を
飼蓄するの勇氣も挫け隨て地方牧畜の業振はずして牛羊の生産乏しく、生産乏しくして肉
價高く消費者一般その慾を充す能はず畢竟斯る状勢にて日本國特にこの東京に中央肉類市
塲の設置なきは消費者にも生産者にも兩つながら甚しき不便不都合を與へ永く斯民を菜食
の域に留め置くの害なるを免かれざる者なれば該市塲の設立は今に於て最もその必要を視
るべきなり
一方には地方の牧畜者に相應の利得を與へ一方には消費者に出來得る丈の廉價にて其肉を
鬻ぎ而して仲買問屋も其間に立て若干の利を得ながら以て今の東京市中の肉價を概算何程
にまで引下げて販賣するを得べきやとの疑問は此本題に取り直接至要の關係あるものなり
我輩局外者素よりその實際實情に暗しと雖ども暫くその道に熟練なる二三當業者の所説を
聞くに東京市中にて牛肉の價は上肉一斤九錢(現今一斤二十二三錢)より下肉同四錢(現
今は十二三錢)にまで下落するとも其代り中央肉類市塲の設けあらば尚ほ相當の利潤を得
らるべしとなり我輩は更に或る人が昨明治十八年東京市中の平均相塲を基として計算した
る改正肉價表を掲げ世の肉食を望むの士と與に大に肉價の低落を祈らんとするなり
〇牝牛一頭、此肉凡三百四十斤、百斤に付八圓替
一頭元價金二十五圓廿錢(諸雜費諸収入を計算したる後ち)
右の内筋骨三分正肉七分の見込にて
正肉二百卅八斤、一斤代價十錢六厘
〇牝牛一頭、此肉凡四百斤、百斤に付六圓替
一頭元價金計二圓(前同斷に計算)
右の内、筋骨三分、正肉七分の見込なく
正肉二百八十斤、一斤代價七錢八厘
以上の計算は地方の牧畜者例へば廣島岡山又は南部津輕邊の人が遙々運送費を支拂ひこの
東京まで其牛を伴れ來り相當の利潤を得て之を市塲に卸賣し問屋は之を買受けたる後ち若
干日間の飼養料並に屠殺に付地方税及び手數料等を引去りその他に牛皮の代、臟府類の肥
料に充て得るものゝ代金及び筋骨の賣上金など迄仔細に差引して算定したるものなれば决
して失當の計算ならずと信ずるなり又我輩の聞く所にては目下の相塲、廣島物にして地元
百斤に付二圓五十錢、岡山同く三圓、南部物三圓五十錢内外にして神戸牛と雖も尚ほ百斤
六圓替に過ざる者が此東京に來れば如何に中途の運送費に係るとは云へ又如何に骨附の肉
を正肉に改むるの手數ありとは云へ市中に現はれて上肉廿二錢下肉十二錢内外に上らんと
は寧ろ法外の話とこそは云ふべきなれ米國昨今の相塲にてもロース肉上等の最高價一斤十
三錢最低價四錢内外ならんと聞けり要するに日本ほど他の物價の廉なるに比して獨り肉類
の價の不廉なる國はなく又地方と都會とその相塲懸隔の甚しきも他に無からんと思はる今
この不平均を除て更に肉價を低落せしめ肉食の人にその便路を啓くには第一に東京に中央
市塲を設けて追て各地にまで之を及ぼすの制を立てざる可らざるなり (畢)