「蠶絲改良の説」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「蠶絲改良の説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

蠶絲改良の説

蠶糸は我國産第一等の品なれども今日の處にては養蠶製糸の手續に於て未だ盡さゞる所あ

るが故に之を外國貿易品と爲すに當り一梱の中にも精租の差あり輕重長短の異同ありて不

揃の廉少なからざるより糸の素性の優等なるにも拘はらず歐米の市塲に於て聲價甚だ微に

販路亦大に張らざるものゝ如し是に於てか近來蠶糸改良の説あり其中理論家の言に據れば

橫濱の生糸商をして同所に生糸檢査所を置き糸の種類に從て之を幾段にも分ち其價格の高

下を定めしめば各地方の製糸家は其蠶糸が檢査の上にて優等に列して高價に售れんことを

望み自他相比較して檢査所の通り善き品物を製作するに至る可しと云へり理論としては此

説も亦妙なるが如しと雖ども元來橫濱の生糸商と申すは自から生糸を用ゆるに非ずして單

に之を取次賣買する者なり即ち各地方の生糸荷主と外國需要者との間に立ち右に買て左に

賣るの其際に相當の利益を得て滿足するものなり然るに今日の實際に於て外國の糸况好氣

配なれば生糸の輸出は俄に增して優劣共に需要者あり若し又不景氣とあれば優等品にても

尚買手なきが故に眼前に汲々たる人情として生糸の優劣は必らずしも論ぜず生糸商の唯一

の希望は外國糸况上氣配にして優劣共に多くの賣買を爲し其間に巨利を占むるに在るのみ

公然たる愛國論より推せば橫濱生糸商は生糸檢査所を設置するの責任ありと云はゞ云へ其

私の胸算に於て果して之を設置するの必要を感ずるものなるや我輩聊か疑念なきを得ず或

は彼の生糸商をして生糸檢査所を設け各地方より來集する生糸の品位を鑒定せしめば外國

人は其檢査濟みの品物を見て再檢査の勞を省き唯見本を一覽するのみにて〓〓〓〓之を引

取るに至るべきや聞く所に據れば佛國リヨン府にはコンジション ハウスと稱する蠶糸乾

濕檢査所ありリヨン織屋の間にては其信用甚だ厚く同所の檢査を經たるものなりと云へば

需要者に對して〓〓〓〓〓き由なるが其檢査料は生糸一キログラム(〓〓〓六十六〓二分

〓)に付き六フランク(我一圓二十錢)の料金なりと云ふ今橫濱に生糸檢査所を設け各地

〓〓〓〓〓する生糸を檢査するに就ては其入費も亦多かる〓〓が〓〓生糸若干に〓き若干

の檢査料を取ることならん然るに此檢査處の檢査は唯第一段の手數にして進んで外國人の

手に渡りて第二の檢査を經ざる可らざるが故に賣買間の雜費ますます增し製糸家の収益ま

すます減ぜざるを得ず但し今より幾年の後橫濱生糸檢査所の信用大に增し其檢査濟みの品

物は外國人も之を再檢査せずして引取るの時もあらば此檢査所は我生糸貿易上の好機關と

爲り各地方の製糸家も其製糸の標準を生糸檢査所の格附に取るに至るやも知る可らずと雖

ども各地方養蠶製糸家の心事より觀察すれば目前の損益は姑く置き永遠の利を目的として

生糸檢査所の果して好結果あるの日を待つべしとも思はれず又橫濱生糸商の性質より云は

んに此等の人々は單に仲買人たるに過ぎざれば生糸の品位を高むるが爲めにとて生糸檢査

所を置くの必要を感ずること左程深切ならざる可し左ればにや近來橫濱に生糸檢査所を置

く可しとの説あれども世の實際家は輙く之を賛成せざるなり又た我政府にても自から見る

所ありしか昨年十一月二日蠶糸業組合準則を定め蠶卵の檢査法を設け蠶病を豫防する事、

一梱は勿論一綛若くは一把中良否混淆のものを製造販賣せざる事、生絲の結束及び綛の量

目を一樣ならしむる事等の目的を以て郡區又は町村の區畫に由り蠶糸組合を設け各府縣下

便宜の地に取締所を置き置き各組合を統轄し全國中便宜の地に中央本部を置きて各取締所

の氣脈を通ず可しとの主趣を布達したれば右蠶糸中央本部設置の事に就き昨今委員は各地

方より上京し準則の主意に基て會議する所ある由なり扨て此中央本部と云ひ取締所及び組

合と云ひ檢束箝制の手數層々相重りて養蠶製糸家の頭上に落ち來るときは其檢束法は頗る

嚴重強迫のものと爲るや或は甚だ寛慢にして有名無實に歸す可きや我輩は從來我國養蠶家

の習慣に照らして蠶糸改良に檢束法を用うるは寛嚴共に其効の微々たるに終らんことを恐

るゝなり