「家屋改良前號の續」
このページについて
時事新報に掲載された「家屋改良前號の續」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
衣服住居の改良は互に相伴はざる可からず洋服は便利にして体裁もよし之を服して身の運
動活溌なるを覺ふとて爰に衣服を改良して西洋風の扮裝を爲したる處にて據て其居住は從
來の日本風、疊の上に着坐して火鉢を擁し食堂も寝室も兼帶にして坐する所に食ひ食ふ所
に臥し靴は玄關にて脱ぎ戸内に入りて椅子なく洋服の儘にて坐せざる可からざるの有樣に
ては輕便の洋服も却て不便窮屈たるを免れず即ち近來洋服の流行と共に家屋改良の又甚だ
大切なる所以なれども煉瓦石造家屋は堅牢安全なる程に其建築費も亦隨て巨額なるが故に
普通日本人の資力に於ては之を建築することを許されず自から之を建築する能はざれば他
の西洋舘を借りて住しては如何と思はるれども古來日本人の習慣として一人前の人民は是
非とも固有の一家を持たざる可からずとの思想を抱き貧人を除くの外は他家に借住するを
嫌ふものゝ如し盖し封建世祿の昔に於ては家屋は單に家屋に非らず家名家禄之れに伴なひ
家あれば其家名ありてその〓の後を受けて家名相續すれば重代の家祿を賜はるの例にして
家さへ失なはざれば子孫安樂に生活することを得たるがゆえに當時甚はだ家を大切にして
家なきものは浪人なりと思ひ爲し遂に全國に其風を成したる事ならんなれども既に封建の
制を廢し家に家名の榮譽もなく又家祿の實益もなき今日に於て士族は勿論これに關係を有
せざる商工農家に至るまで兎角に一家を〓〓せんとするの氣風を改めざるは甚だ恠しむべ
きの至なり歐米諸國中以上の人は概ね立派なる煉瓦屋に住し我國人の眼より見て其奢に驚
く程なれども文明國にても斯かる家屋の建築は普通一個人の能く支辨する所に非ず多數の
人〓團結して借家建築會社を設け建築條例に從て堅牢〓〓なる家屋を立て火災保險を得て
之を借家人に貸し渡すの習なれば貧富貴賤大抵借家住ならざるはなし人間一生涯其家族に
增減もあり或は貧富窮〓の〓〓もあり或は一處に住するに倦めば閑雲〓鶴身に〓するの意
なきが故に四海皆な我住何の天にか飛ばざらん〓は大なる家を借り或は小なるものに移り
學者〓〓賃貸に〓らず何れも皆家屋に属する煩勞を躬からせずして活溌に營業し愉快に蟄
居することを得るなり然るに日本の習慣にては借家住居は下等浪人に限るを以て借家と云
へば長屋裏店の類にして中以上の人の居住に適せず中以上の人は何とか工面して自分の住
宅を求ざるべからず左ればとて一時に纒まりたる資本を投じて煉瓦石家屋に住するに由な
きがゆえに已むことを得ず日本流の家屋に居れば家の搆造の然らしむる所、家居の模樣を
西洋風に變ずる能はざるなり左れば今我國に於て家屋改良の端を開かんとするには富豪の
人が自から率先して煉瓦石屋を建築するは無論此等有力の人々が結社して廣く資金を募り
西洋風の借家を造り此際中等以上の人は從來家持の習慣の不便にして借家住の得策なるを
悟り便宜借家會社の家屋に借住するの風を養うはざる可らざるなり然るに機運漸く熟し東
京市區改正の事も目下に迫まり居れば政府が改正の規則方案を發布するも必ず近日の事な
らん仮令規則方案は定まるとも此規則方案に從て市區内に煉瓦石屋を建築する者少なき時
は折角の改正も其功を見るの期甚だ遲延すべきやも知るべからず若し此際借家建築會社あ
りて專ら各種必要の煉瓦石屋を建築せば市民は悦んで銘々應分の家を借賃することに躊躇
せざるべく會社の利益决して少なしとせざるなり實に今日は洋風借家建築會社を設立し兼
て日本人に借家住の習慣を授くるの好機會なりといふべきなり (畢)