「鐵道は必要物と爲れり」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「鐵道は必要物と爲れり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

鐵道は必要物と爲れり

洋學の始めて我國に入るや之を學ぶ者の心は好奇にあり唯其珍らしきを窺はんとするまで

なりしが之を學ぶこと漸く深くして漸く其味を知り有用の實學、理に於て之を學ばざる可

らずとの思想を生じ尋で其學の世上に流行するに及んで洋學は人間處世に必要にして衣食

の資として之を學ばざる可らざるに至りたり我輩今鐵道の我國に行はるゝ有樣を見るに其

進歩の順序略ぼ洋學の流行に類するものあるが如し明治五年東京横濱間に十八英里の鐵道

成る、其成るや鐵道の必要を感じたるが故に非ず西洋諸國に鐵道と云ふものあり甚だ奇な

り試に之を敷設したらば面白からんとの趣向にて云はゞ好奇心に出でたるものなり同十年

神戸大坂間並に大坂西京間の鐵道開業あり此開業も盖し事の緊急必要に出たるに非ず東京

横濱間の奇を奇として其奇に傚ひたるに過ぎず斯くて一二年を過ぐる間に鐵道の便利は漸

く實際に顯はれ又學者の理論に發し明治十二年西京大津間十英里の鐵道成りかの後鐵道の

大に敷設せざる可らざるの理を悟りて各地に鐵道工事を見るに至りしが鐵道工事の斯く進

歩する其際に交通の便利は其線路に沿ふて隨處の停車塲は貨物運送の集點と爲り之がため

に從來一地方物産送達の中央たりしものが俄に衰微して鐵道近傍更に一繁華區を生ずるが

如きあり或は交通不便の爲め從來北方の物産を仰ぎしものが鐵道の便を以て俄に南方の品

物を需要するが如きあり鐵道の敷設方向如何に由て地方盛衰の運一ならず其衰運を挽回せ

んとするには是非とも鐵道を其地方に敷設せざる可らざるの勢とは爲れり例へば信州地方

にては從來魚鹽類を北越に仰ぎしが東京高崎間の鐵道成り尋で其線路の横川まで延長する

に及んで東京市場の魚類往々信州路に入ることと爲り北越の漁民は其得意塲を侵領せら

るゝの趣ありて彼是鐵道の必要を感ぜしにや越後人は大に信越鐵道の敷設を急ぎ其結果と

して遂に今日の如く直江津より高田を經て信州に入り中山道の幹線に合するの鐵道を官設

するの運びに至れり又曩きに敦賀より長濱を經て大垣に達する鐵道の成るや未だ幾ならず

半田名古屋間の線路を敷設するの計畫あり追て之を延長して中山道線路に連絡せんとする

の摸樣ありしかば四日市邊の人民は大に驚き斯くては此地方は無用の邊卿と爲り忽ち衰退

を來す可しいざ當初約束の通り大垣四日市間に至急官設鐵道を敷設することを政府に歎願

すべしとて大に騒ぎ立ち今も尚ほ憂苦煩悶措く能はざるものゝ如し又常陸水戸地方は從來

茨城久慈那珂多賀諸郡の貨物を集むる中心と爲り蒟蒻紙烟草の類は此中心より土浦を經て

東京に入り東京より仕入れの品も一先水戸に入りて夫より近郡に散ずるの例なりしが近來

東京宇都宮間の鉄道成り此方角に向て交通の便を増したるが爲め前記諸郡より東京へ輸送

の貨物は直に之を宇都宮若くは小山に送り此より鉄道を利用することと爲り水戸は最早近

郡貨物の中心たるを失ひ且つ從來宇都宮邊にては魚介の供給を鹿島郡一帯の漁塲に仰ぎし

に今は東京より新鮮なる魚類の來るありて水戸近海の海産物を要せざるの勢となりたれば

今に及んで小山水戸間の鉄道を開かざれば水戸の遂に草莱に埋まるは鏡に掛けてみるが如

しとて此地方の人民は如何にもして早く鉄道の起らんことを希望して止まずと云ふ今日の

事情全國所々にて鉄道を要するは其珍奇なるが爲めに非ずして此必要物なければ其地方の

衰微を來して人民飢渇に迫るの急あるが爲めなり今の世の中に在て鉄道と利用するとせざ

るとは恰かも銃砲を携ふると弓矢を執るとの差あり鉄道を利用する能はざるものは農工商

何事を競爭しても常に敗北の數を免るゝ能はざる其有樣は弓矢を以て銃砲に敵するが如し

三尺の童子も尚其利不利を辨ず可きが故に今後各地方にて追々鉄道を延長するに隨ひ到る

處に前陳の如き塲合を生じ鉄道ますます延長すれば其敷設論はますます騒々しきことなら

ん論の騒々しきのみならず或は無鉄道の不利に堪へずして民設鉄道を請願する者も多から

ん回顧すれば明治十三年國會開設の請願とて地方有志者が政府に向て請願する所あり其熱

心は當時甚だ熾なりしと雖ども必竟國會開設に伴ふの利益は未來間接に渉る所あるが故に

尚未だ盡さゞる所ありしならんこれに反し鉄道敷設のことは或る地方の盛衰に關し其地方

人民に取りては目前直接衣食の道にも關係あり一日も忽にす可らざるものなれば我輩の豫

想を以てすれば今後鉄道敷設に就き地方有志者の間に非常の熱心と喚起することあるべく

其熱度は彼の國會請願の時に比に非ざる可しと信ずるなり斯かる豫想ある今日、我政府は

如何なる方略を以て地方の人心を安慰せんと欲するか我輩自から所見あり試みに之を次號

に陳ぜん