「中山道鉄道工事の進むを見て信州人に告ぐ 在東京 信濃の一書生」
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本文
中山道鉄道工事の進むを見て信州人に告ぐ 在東京 信濃の一書生
2131字
〓〓中山道鉄道は其工事進みてさしもに嶮路の聞え高き碓氷峠も間もなく其開鑿出來上り
北越直江津よりの線路と上野高崎よりの線路と相連り朝まだきに信州を出て東京に於て所
要の事を濟まし夕方は悠々と家に歸り得るの時節も最早や程遠からぬ事と存候
〓〓〓是れまで信州は山又山の奥にありて他國との交通其〓利甚だ惡しく四周十箇國に境
を接しながら何れの國へ出づるにも峻坂嶮路の障害之れなきは無く全國百萬の人民中信州
の山中に生れて山中に死し生涯一歩も他國の地を蹈まざる者さへ多き其上に地勢海に遠く
して越後の方即ち北海濱に達するにも東京の方即ち南海〓に至るにも數十里の山川を隔つ
れば魚類の供給至て乏しく國人の口に上るものは重もに鹽引と干物のみ鮮魚とては僅かに
池に飼ふたる鯉と谷川に育ちたる鰻をに過ぎずと申す程の次第にて他國の人は信州人と聞
けば其人の智識才能を問はず一概に田舎者なりと心得る者多く甚しきは小生等の如く府下
に留学する者は少數の朋友と雜話の際に足下は故郷に在る時鯛の塩焼鮪の刺身を味ふたる
ことあるやなしやなどゝ嘲弄せらるゝことさへ毎度ある程なりしと雖も今後は全く此等の
〓〓を免れて開明の風化に後るゝの憂もなく此れまでの如き仕合と幸福とを受くることを
得べければ他國の人より無下に田舎者視せらるゝこともなく一國繁昌の〓〓決して空しか
らざる事に候はんと去れば此の鉄道は信州人民に取りて恰かも文明開化の父、國富民安の
母とも申す可きものにて百萬の人民今日鉄道敷設の成就を望むこと大旱の雲霓も啻ならず
一日も早く此の慈父母の恩に浴せんとて喜び樂み居るとの事は至極の道理にして他郷に寄
留する小生等も亦た同樣の事に候
併し小生は信州百萬の兄弟と其喜を同うすると共に又兄弟の爲めに甚だ心配する處之れな
きに候はず其心配と申すは外ならず今日の處に於て世の學者論客は勿論〓て〓〓〓鉄道の
文明開化に要用なる所以と國富民安〓〓〓あることのみを説きて此鉄道の性質と其影響を
〓〓人民に與へて生ずる所の變動とは如何なるものか〓〓〓〓るもの稀れなる故に百萬の
兄弟は只鉄道の文〓〓〓〓〓、國富民安の母なる慈悲功徳のみを慕ふて〓の〓〓〓へあれ
ば坐して其文明進む可く勞せずして〓の〓〓す可しとの考へを抱きいるにはあらざるやの
〓〓〓〓
〓〓〓ず〓もなく鉄道なるものは非常の慈悲功徳を有する〓〓〓は相〓な〓と雖ども其性
質を尋ぬれば〓〓〓〓〓〓ものは〓其影響變動を社會人民に與ふること一時〓〓〓〓〓〓
ものなり〓れを譬へば猶ほ火藥の如し〓〓〓〓〓に〓りて〓ひも多く其〓〓上の良〓品に
て〓〓〓〓〓〓〓をるに屈〓之れに如くものなく之れを利用すれば千の加藤清正ありとも
百の楠正成ありとも決して恐るゝに足らざる程のものなりと雖どもこれを利用すること易
からず一朝自から其用法を誤るか又は先づ他人に利用せらるゝに於ては戰爭に勝利を得ざ
るのみか火藥のために却て自家の滅亡を招くに至るべし左れば兵家たる者は火藥の功能の
みを聞て安心す可らず是れさへ有れば勝利疑なしと油斷するは以ての外の事にして利も害
も唯かの用法如何に在るものと知る可きなり今の鉄道の信州人民に於ける亦これに異なら
ず全体信州の商家又は國中に多き半農半商の輩が今日まで其生計を立てたるの道種々なり
と雖ども自然に皆交通不便の四字を利して其方向針路の土臺に定め以て業を營みたるもの
にして譬へば呉服太者を商賣する者が東京より廉價に仕入れて利益を得ると云ふは山河遠
隔の険路あるが爲めなり食塩を商賣する者が北越より之れを買入れて利益するは峻坂嶮路
あるが爲めなり斯の如く全州商業の方向針路は交通不便の一主義を基となし來れるものな
るが故に鉄道一たび通れるに至れば何は兎も角一般の商家は其營業の針路土臺を根底より
覆へさるゝものなれば其間に非常莫大なる變動を生ずるは自然の勢なり然るに若し是等の
變動を預かしめ用心することなく鉄道は文明開化の父なり國富民安の母なり鉄道さへ敷設
し終はれば大願成就なりと油斷することあらば其預想の案外に出でゝ不意を撃たるゝのみ
か父と思ひ母と頼みて其慈悲功徳を慕ひたる鉄道の爲めに信州の人民は滅亡を蒙むるが如
き不幸なしと言ふ可らず百萬の兄弟此邊に用心あるや甚だ気遣はしき至りに候
今此不幸を避けんには今日より此等の變動を生ずることを量りて預しめ其準備を爲し鉄道
開通の其當日より此鉄道を利用することを工夫し置かざる可らず而して其工夫は種々なる
ことなれども例へば信州の山奥に朽ちつゝある材木は之れを東京に輸出せば如何なる利益
ある可きや東京に於て其價甚だ廉なるものにて信州に甚はだ高價なるものあり之れを輸入
せば如何、信州の菓實野菜は味ひ甚だ美なり東京地方のものは甚だ旨からず菓實野菜を増
培して輸出せば如何など是等は實に枚擧に遑あらず何れも農商實際に當り居るものゝ思慮
如何に任じて可なり即ち人の智恵の用處にして智嚢のあらん限りを振ひ出す可き時節なり
兎に角に天の未だ〓〓せざるに〓戸を稠〓し倒れざるに先て杖を用意し尚ほ進んで利益を
謀るこそ智者の事なれと存じ候まゝ卑見を陳述すること斯くの如とし貴意の程も承り度く
候匆々不一