「男女交際論」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「男女交際論」(18860526)の書籍化である『男女交際論』を文字に起こしたものです。

本文

人の世に在る、往來交際せざるべからず。往來交際せざれば社會存すべからず、社會存せざれば人間無きなり。往來交際の重要事たる、又多言を要せざるなり。然るに古來我日本國民が世に處するの法を見るに、曾て往來交際の重んずべきを知らず、單獨離居して自から喜ぶ者、滔々皆然らざるはなし。近年西洋文明の風を慕い、漸く往來交際の忽にすべからざるを悟ると雖ども、この往來交際や單に男子の間に限りて、未だ女子の間に及ぶことなし。況んや男女兩生の間に於てをや。夫婦以外男女相見るを許されず、相語るを許されず、相往來するを許されず。隨て世上百般の人事、澁難曲屈名状すべからず。國の不幸これより大なるものなかるべきなり。我輩常に爰に慨する所あり、今回「男女交際論」一篇を草してこれを連日の時事新報紙上に分載し、廣く世人の注意を促がせしが、尚お展讀の便を謀り、これを一部の小册子と爲して更に同好の人々に頒つ。若し一讀の榮を賜わらば幸甚なり。明治十九年六月四日、東京日本橋、時事新報社樓上に於て、中上川彦次郎記す。

男女交際論

福澤諭吉 立案

中上川彦次郎 筆記

西洋文明の主義漸く日本國に入りてより、世の人も漸く人間交際の大切なることを合點して、親戚、朋友、同業、同國、同學、同志など樣々の縁を以て相互に往來し、時を定めて集會し又或は臨時に懇親の酒宴を開くが如きは近年の流行にして、即ち人間交際の道の開けたることなれば我輩の最も喜ぶ所なれども、唯尚お遺憾なるはこの交際なるものが獨り男子の專にする所と爲り、男子と男子との間に行わるゝのみにして、婦人と婦人との間には甚だ淋しきの一事なり。啻に婦人の仲間に淋しきのみならず、婦人と男子との交際に至りては殆んど絶えて無くして、偶々これあれば世に怪しまれ人に咎めらるゝ程の次第なりとは、實に文明のために歎かわしき事共にして、斯くては日本の文明もいまだ以て誇るに足らざるものなりと、我輩が一度びは喜び又一度びは憂る所なり。抑も男女交際の大切にして、是れあれば人々の一身一家又一國の幸を進め、是れなければ言うべからざるほどの不幸憂苦を致すの理由は、その言甚だ長くして一大部の著書を成すべしと雖ども、今茲には唯新聞紙上に兩三日の社説欄内を假りてその大略を述べ、以て大方の教を乞わんとするのみ。

男女兩生の事を支那人が陰陽と名づけたるは如何なる意味か、その陰陽なる文字の義が甚だ漠然たるゆえに、男女の性質も之に由りて明に判斷し難し。或は儒者流の書を見れば、陰陽の義を男女の性に引當てゝ、剛柔、智愚、明暗などの標となし、男は剛なり智なり明なり、女は柔なり愚なり暗なりとて、兎角に男子を尊で婦人を卑しむの口實に用いたるもの多しと雖ども、固より謂れもなき妄想説にして確なる證據あらざれば人を服せしむるに足らず。故に我輩が今、西洋流に從い、物理學上の事相を借用して比喩を設れば、男女兩生の性質は電氣の消極と積極との如きものにして、同名は相衝き、異名は相引くの働あるに似たりと云うべし。物理學の初歩を學びたる人はよく知る所ならん、電氣の消極と消極とを接し、積極と積極とを接すれば、互に衝放して近づくことなく、消極と積極とを接すれば忽ち相引て離れざるその趣は、男生と男生と接し女生と女生と接しても、相互に優しき至情を通ずること能わずして、云わば相衝くの働あるに似たれども、男女兩生相接するときは忽ち相近づき相親みてその間に無限の情あるものゝ如し。即ち同名なる男男又女女は相衝き、異名なる男女は相引くの實を見るべしては後に説あり、單に肉慾の義に解する勿れ)。

蓋し男女兩生相近づくの情は人類に普通なるのみならず、禽獸草木苟も生あるものは皆然らざるはなし。禽獸の群を爲す、必ず雌雄牝牡の相伴うあり。草木の森々たる、自からその中に兩生の相接するあり。禽獸の兩生相伴うときは、その鳴くや和してその戲るゝや樂しきが如し。進化發達の不完全なる動物に於ても尚且然り。然るを況んや萬物の靈たる人類に於てをや。男女相接して和氣春の如く、心情悠々として殺伐の圭角を鎔解し、兩氣滑らかに相通じて相互に近づくその働の微妙なるは、恰も電氣の消極と積極と相逢うて働の平均を求るの状に異ならず。手近くこれを實際に照らし見るに、上流男子の集會又宴席等に婦人の參るあれば、自からその會席の空氣を和暢し、殺伐に昇らず、沈默に陷らず、戲れて亂れず、話して爭わず、言うべからざるの中に無限の快樂を覺るは世人の既に普く知る所にして、我輩も常に人の言に聞く所なり。但し是れは男子を主にして男子の席に婦人あれば云々と述べたる言なれども、男子が婦人のために和すれば婦人が男子のために和するの状も正しく同一樣ならざるを得ず。婦人の會合にも男子のその席に在るあれば自から快樂和暢の情を催うし、苟も男子の談笑優しくして女生の禁句に觸るゝが如き殺風景なきに於ては、その一談一笑も耳目に快よからざるはなし。或は未だ談話笑語に至らずして單にその姿を目撃しても南風の薫ずるが如く、以て女生の慍を解くに足るべし。男子が婦人を親愛するの餘りに、女體には一種の薫ありとて、之を天香と名くるものあり。或は生理上より論じても婦人の體質は男子に異にして、自から一種の蒸發のために然ることもあるべしと雖ども、その蒸發氣の香しきと臭きとに論なく、唯一片の愛心以て女子身邊の空氣を天香ならしむるのみ。婦人に天香あれば男子にも亦これあるべきは瓣を俟たずして明なり。即ち婦人が男子に接して、未だ共に語らず笑わず、先ずその容貌を見ても南風の薫ずるが如き心地するは、男子の天香に感ずるものと云うべし。

左れば人生至大至重の關係は男女の間に在りて、合えば則ち和し、離れば則ち慍る。その離合の自由不自由よりして生ずる所の利害は、一身一家に關し又社會一般に關して廣大無邊のものたらざるを得ず。然るに古來今に至るまで、和漢東洋の學者がこの大切なる問題に論及したることなくして之を等閑に附したるは、學者の責任としてその罪免かるべからざるなり。

男女相接してその情を和するの次第は前節にその大意を陳べたれども、今その反對にして之を雙方各別に分ち置くときは、如何なる事相を生ずべきやと、更に之を吟味したらば、ますますその關係の重きを發明するに足るべし。人類は姑く擱き、禽獸に就て之を見るに、前に云える如くその鳴くや和してその戲るゝや樂しきは雌雄牝牡の群なれども、今數十百頭の犬の群を二分して、牝は牝ばかり牡は牡ばかりに同居せしめたらば如何なるべきや。假令え食物をば十分に與うるもその樂しまざるは勿論、時に或は咆哮して相害するに至るべし。犬にして此の如くなれば鷄も亦然るべし、牛馬も亦然るべし。野馬の牝牡雜居して群を成すものは睦じけれども、家飼の牡馬のみを一區内に放つときは鬪わざるものなし。以てその性情の機を視察するに足るべし。牛馬鷄犬より以上人類の男女に至りても性情に異なるものなきその事實を示さんに、封建の時代に於て折助部屋、勤番小屋と云うが如きは男子のみの群居する處にして、その風俗の粗暴にして言語擧動の殺風景なること往々見るに忍びざるもの多し。而してその輩の出處を尋れば諸藩地の領民と藩士にして、郷里の家に在れば必ずしも亂暴人にあらざれども、去て都會に來りて純然たる男子の群を成すときは、忽ちその性を變じて或は博奕に喧嘩し或は醉に乘じて激論爭鬪する等、殆んど人間交際の潤飾を脱し去るが如き、その原因他にあらず、單に男子の群中婦人なきが故なりと云わざるを得ず。或は今日に於ても相撲力士の部屋にて附合の殺風景なるもその一例にして、又彼の海陸軍人に限りて特に法律の嚴なるも、その氣を制するがため止むを得ざるに出でたるものならん。又一個人に就て見るに、男子年長じて品行清潔と稱する者が、日本古來の習慣にて婦人と談笑遊戲の交際甚だ稀にして、この高尚清潔なる交際より一歩を下れば花街柳巷の不品行を犯すより外に情を慰るの方便を得ず、左りとは自ら忍びざる所なりとて、進で醜行を犯すを得ず、退て鬱憂を洩らすに地なく、乃ち遁路を酒に求めて遂に自から健康を害するに非ざれば、身を木石の如くにして世と相背き變人奇物の名を取る者多し。故に我日本國の男子にして妻を娶ること晩き者、又は既婚の者にても動もすれば花柳の醜行に陷るは、その原因樣々なりと雖ども、社會の男女高尚の交際に乏しきの一事も亦與かりて大に力あるものと知るべし。苟も今の殺風景なる社會に居り、畢生その品行を清潔にして俯仰恥る所なく、然かもその精神洒落にして能く世と浮沈する者は、心身の天禀非常に剛毅なる人物に非ざれば叶わざる事なり。

男生を女生より引離すの慘状斯の如くなれば、女生をして男生に離れしむるの害惡も亦然らざるを得ず。婦人の群居の著しきものは封建時代諸侯の殿中を以て適例に引くべし。無數の婦女子、上下の別なく之を一群として奧向と稱する區域内に閉籠め、一切外出を禁ずるのみか、公用の外は男子と言語を交うるを許さず、況んや談笑遊戲に於てをや、堅き家法の嚴禁にして、犯す者は罪あり、甚だしきは終歳男子の姿を遠目に見ることさえなきほどの次第にして、その外面は甚だ行儀よきが如くに見ゆれども、その内實の言行に至りては醜體厭うべきもの多し。他人の見る處にてこそ坐作進退も優美なれども、この美婦人等が内に群を成して互に遠慮なき場合に於ては、その一言一行、意想外の婬醜を恣にし、たまたま男子が竊に之を聞見することあれば、蔭ながら赤面して覺えず汗を流がすもの多きを常とす。啻に日常言行の婬醜なるのみならず、その心志、陰險獰猛にして人を憐むの情に乏しく、俗に所謂人情知らずとも評すべきか、己れを推して他人の喜憂を察するが如きはこの輩に向て求むべからざる所なり。彼の一生奉公と稱して、處女の時より殿中に仕え、殿中に成長して殿中に老大したる者を見るに、その氣風一種特別の變體を現わして、優しきが如く、殘忍なるが如く、臆病なるが如く、果斷なるが如くにして、傍よりその喜怒哀樂の發機を察すること甚だ易からず。或はこの種の老大處女が故ありて殿中を去り尋常一樣の人間世界に出ることあるも、骨に徹するの習慣は終身脱する能わずして、苟も居家處世の交際を全うして能く自から樂しむ者の少なきは、世人も常に注目して知る所の事實なり。固より徳川の政治二百五十餘年の久しき、三百諸侯の多き、その奧向の女中に賢婦人もありしことならんと雖ども、鐵中の錚々は以て大多數の事實を蔽うに足らず。我輩の見る所を以てすれば、封建諸侯の奧向は婦人の折助部屋又勤番小屋と明言して妨げなきが如し。畢竟するにこの慘状の原因は、女生を男生と離隔し、群婦人をして男女交際の南風に浴するを得せしめざるの大缺典に在りと云わざるを得ざるなり。

男女の關係は人生に至大至重のものなるに、古今東洋の諸國に於て曾てその利益を論じたるものなきは學者の等閑のみならず、たまたま論及することあれば却てこの利益を害せんとするもの多きは、寧ろ學者の罪と云うも妨なきが如し。蓋し數千年來、男女無縁殺風景なる習慣を成して人の怪しまざる今日に於て、遽にその議論の端を發きたれば、必ず世間の耳目を驚かして不平を鳴らす者も多からん。且この問題を口にし筆にするは頗るむずかしき事なれども、言わざれば際限もなし。故に我輩は敢て今の世論を憚らざるのみならず、古人の教と稱するものに對しても遠慮なく論破せんと欲する者なり。抑も古人は古代未開の世に出でゝその未開人に相應すべき教を立てたる者なるが故に、その時代に在てはその教も亦便利にして或はこれを世教とも名けたることならんなれども、世の開けて人智の進むに從ては後世の學者が樣々に説を附けてこの世教を潤飾改良し、以てその時々の人心に適當せしむべき筈なるに、左はなくして唯一心一向に古言を死守し毫も活用の働なきは、甚だ遺憾なる次第にこそあれ。竊に案ずるに未開人とは今の田舍漢か小兒の如く、その心の働、簡單無造作にして、種々樣々に入組たる事を勘辨するの力なく、例えば目の働、舌の働にても、黒きと白きと甘きと苦きとを區別して、黒からざれば白く、甘からざれば苦しと合點するに等しく、心の働に於ても善惡邪正等を區別して、善ならざれば則ち惡なり、正ならざれば則ち邪なりと、その間に恰も一直線の界を定めて窮屈に之を守るのみにして、その善と惡と正と邪との間に無量無限の働あるを知らず。是に於てか當時の聖賢なる人物が教を立るにも、能くその時代の人心を察し、迚も入組たることを説くも合點する者なかるべしとて、簡單至極なる言を以て之に諭したるものならん。例えば聖賢の言に、道二つ、仁と不仁とのみと云い、利を先にして義を後にすと云い、君子は云々、小人は云々など云うその語氣を察するに、仁ならざれば必ず不仁、利を言う者は必ず義を知らず、君子ならざれば必ず小人なりと斷定したるものゝ如し。その主義甚だ簡單明白にして、小兒に等しき未開人民には適當したらんと雖ども、聖賢死して後幾千百年、世の中は次第に開け行くにも拘わらず、後世の學者がその教を改良することをば謀らずして鐵石の如く之を守るのみか、ますますその主義に附會して議論常に極端に走り、以て開明の人事を誤るもの多く、人の一言一行を評論するにも、孝ならざれば不孝と云い、忠ならざれば賊と稱して、その間に一毫の餘裕をも許さゞるが如きは、古來今日に至るまで我輩の往々聞見して悦ばざる所のものなり。

古今學者の局量の狹きこと斯の如し。故にその男女の關係に就て説を立るにも亦常例の筆法を用い、古の聖賢が夫婦別あり、男女席を異にすべしなど云われたりとて、その文字のまゝに解して千年も萬年もこの教を守らんことを人に勸むれども、人事進歩の活世界、果してその勸告の如くに行われざれば、即ち之を世の澆季などゝ稱して竊に怒る者多し。蓋しこの輩の腦中には、唯貞實と婬亂と二樣の思想あるのみにして、その間に些少の餘裕を與えず、貞ならざるものは婬なり、婬ならざるものは貞なりとて、貞と婬との中間その廣きこと無限の際に無限の妙處あるを忘れたる者なり。是れ即ち古今の學者の大なる心得違にして、一度びこの迷に陷るときは人間社會百般の惡事、皆これより生ぜざるはなし。請う試に鄙見の大意を陳べん。元來男女の交際には二樣の別あり。之に名を下だせば、一を情感の交、一を肉體の交とも云うべきものならん。肉體の交とは文字の如く兩生の肉體直接の交にして、人間快樂の中にても頗る重きものなり。然りと雖ども爰に一歩を進めてその交際の全體を視察し、裏より表よりその微細の事情を吟味するときは、男女の間柄は肉交のみを以て事を終るべきものに非ず。殊に人文漸やく開進に赴き、人の心志を用る區域漸く廣まりて、心事漸く多端なるに至れば、情感の馳する所も亦廣く且多端にして、男女の交際單に肉交の一事に止まるべからず。雙方相互に説を以て交り、文事技藝を以て交り、或は會話し或は同食する等、同生相互の交際に異ならずと雖ども、唯その際に微妙不可思議なるは異生相引くの働にして、雙方の言語擧動、相互に情に感じ、同生の間なれば何の風情もなき事にても、唯異生なるがために之を聞見して快く、一顰一笑の細に至る迄も互に之に觸れば千鈞の重きを覺えて、言うべからざるの中に無限の情を催うすその趣を形容すれば、心匠巧なる畫工が山水の景勝に遇うて感動し、一片の落葉、一塊の頑石も、その微妙の風韻は他人の得て知らざる處に在て存するものゝ如し。即ち是れ男女兩生の間に南風の薫ずるものにして、之を名けて情感の交とは申すなり。扨その情交の濃なること斯の如くにして、一方の肉交は如何と云うに、固より重んずる所のものなれども、肉交必ずしも情交に伴うを要せず、兩樣の間甚だしき距離あるものにして、各獨立の働を爲すのみならず、その性質を吟味すれば、肉交の働は劇にして狹く、情交の働は寛にして廣く、而して人間社會の幸福快樂を根本として兩樣の輕重如何を問う者あらば、我輩はその孰れを重しとし孰れを輕しとして容易に答ること能わず、唯兩樣ともに至大至重にしてその一を缺くべからずと答えんのみ。

情交と肉交との要用は男女の天性に存するものにして、その區別の分明なるにも拘わらず、古今の學者が之を輕々しく看過して曾て一言の之に論及したることなく、その所見は唯肉交の部内に鎖込められて他を顧るの餘裕を得ず、往古の聖賢が男女の間柄を正しくせよと教を垂れたるを聞傳え又讀傳えて、男女の間柄とは肉交の事なり、之を正しくせよとは婬亂を防げとの事なり、然らば則ち男女相近づくべからず、夫婦の外面親しくすべからず云々とて、種々樣々の言を口にして又筆にして、その實際は大切なる情交の發達を妨げながら、之を世教の主義と名け、國の政治に發しては法律と爲り、民間に傳えては風俗習慣と爲り、尚おその上にも男尊女卑の弊風中に得々として、その世教の鋒先きは獨り婦人の方に向い、獨り婦人をして鬱憂の苦界に沈ましむるのみならず、男子も共に情交の快樂を失い、以て今日の無情殺風景に立至りて文明開進の歩を遲々たらしむるものは、畢竟學者の不明にして情交と肉交との區別を知らず、男女の關係を論ずるに都て肉交を根本にして立言したるの罪なり。學者の一言一論は千歳を誤る。我輩は返す返すも和漢の古學に向て不平を鳴らさゞるを得ざるなり。

情交と肉交と各獨立して各その働を逞うし、甲者必ずしも乙者に伴うを要せずとの事實は、開明の人民に於て最も明白なりと雖ども、仔細に動物の性情を視察するときは、如何なる野蠻草昧の人種にても、肉交を外にして情交の見るべきものあるのみならず、禽獸の中に於ても尚お且情交の存する所あるが如し。家畜野生の別なく雌雄牝牡の睦じきは人の常に見る所にして、或はその然る所以は、彼等が相互に交わりて肉慾をを逞うし、その快樂のために自から親睦の情を生ずるが故なりと言う者あり。この言固より是なるに似たれども、又一方より案ずるに、禽獸には孳尾の定時ありて、その定時の餘は全く肉慾の發することなし。又厩の内に二、三の牡馬を同居せしむるときは必ず鬪えども、牝牡厩を同うする者は、厩の内にて曾て孳尾することなしと雖ども、常に和して甚だ樂しきが如し。雌雄牝牡の親和果して單に肉交の愛のみに由るものなりとするときは、孳尾定時の外はその親愛も衰え、厩に同居する牝牡馬も殺伐なること牡馬と牡馬との如くなるべき筈なれども、その然らざるは禽獸の和合必ずしも肉慾のみに原因するに非ず、唯その生を異にするの故を以て自から情感の相通ずるものあるを知るべし。或は之を禽獸の情交と云うも可ならん。又禽獸にても野蠻の人類にても、肉交を通ずるに兩生相互にその配偶を擇ばざるはなし。人類にては形體の醜美を擇ぶこと普通なれども、又必ずしも形體のみにあらず、雙方の氣風言うべからざる處に微妙の引力を存し、例えば夫婦にても醜男美人を娶り醜婦美男子と婚するありて、俚諺これを評して縁は異なものと稱す。蓋し禽獸の醜美氣風は我々人類の細に測り知る所にあらざれども、必ず一種の好惡あるや事實に明白なり。俗に之を毛惚毛嫌と云う。今人類の男女、禽獸の雌雄牝牡、その相親しむの關係は唯一片の肉慾なりとする時は、その配偶を求るに何ぞ醜美氣風の如何を問わんや、何ぞ毛惚毛嫌の好惡あらんや。然るに實際に於てはその反對の相を現わして、人畜共にこの一點に穎敏なるは何ぞや。兩生相引くの親和力は偏に肉慾の邊にのみに在らざるの證として見るべし。

右は人畜に普通なる事實なれども、單に人類のみに就て見れば更に著しき者あり。前に云える如く禽獸の肉慾を發するは年に定期ありて人類にはこれあるを見ず。蓋し人身の本來を察すれば發慾の定期なきに非ず、唯禽獸の期は年に定まり人類の期は月に定まるの別あるのみ。婦人の月華は卵子の卵巣を辭する時の現象にして毎月に定まり、胚胎はその當分に在るの約束にして、即ち發慾の定期なれども、人類智覺の發達は特別非常にして、その情も亦隨て種々樣々に錯雜し、彼の禽獸が偏に天然に支配せらるゝが如く單一なるものに非ずして、時としては能くその天然に反し又天然を制すること自由自在なるが故に、生々その習慣を累ねて性質となり、肉慾發生の定期をも破りて今の如く紊れたりという。以上は進化學の説にして、此の説果して無妄なれば、人類の力は既に天然を制して發慾の定期を破りたり。能く之を破るの力ある者は亦能く之を忘るゝの力もあるべし。取るに自由なれば捨るも亦た自由なり。故に裏面より言を立れば、肉慾の力は禽獸を制するに強くして、人類に向ては特に然らずと云わざるを得ざるなり。人類の慾焔これを禽獸に比して果して緩なるものとするときは、その男女の關係も偏に肉交の關係のみに非ずして、情交の働を許すに綽々然として餘地あるべきは、誠に睹易きの道理ならずや。是れ即ち人類の特に禽獸に異なる所にして、之れを名けて萬物の靈と云うも亦偶然にあらざるなり。之を實際に證するに、古來支那の帝室に宮女三千の語あり、日本にも封建の時代には大名高家に婦人を養うこと甚だ多し。主人一身の周圍に幾十幾百の侍妾侍女あるも、肉慾を慰るの一段に至りてはその婦人等の大數に殆んど無用のものと云わざるを得ず。又今の世間の少年等が藝妓を買うて愉快を取り、兒女子が俳優藝人を愛するも、稀有の場合を除くの外は必ずしも直接の肉慾に促がさるゝものにあらず。左れば古來和漢の王公貴人が無用の婦人を養い、世間の少年兒女子が肉慾のためならずして男は女を近づけ女は男を愛するは、即ち是れ兩生固有の天賦、異名相引くの性にして、情交の實際に現われたるものと明言して可なり。人生草木の花を觀ても尚お且つ目を悦ばしむるに足る、況んや男女相見るの情に於てをや。その愛すべきや花にして笑語する者に異ならず。解語の花とは男子が美婦人を評したる語なれども、婦人の目を以て男子を見れば等しく解語の花にあらざれば有情の松柏なるべし。故に兩生相引て相悦ぶの情は天然の紅花緑葉を觀て悦ぶの情に幾段を加えたるものにして、その輕重厚薄こそ異なれどもその趣は則ち相同じ。即ち情交の妙處にして、その肉交に關係なきは世人が口にこそ言わざれども少しく思慮すれば明に自から發明することならん。

男女の情交は肉交に離れて獨立すべしとの次第は、前節に示したるが如く、道理に於ても事實に於ても爭うべからざるものなるに、古人が一度び貞節など云える教を立てゝより、後世の學者が唯その教の文字に拘泥して之を墨守し、開け行く世に變通の道を知らずして、古の教を世態に適應せしむることを勉めず、貞節に對照するに婬亂の二字を以てして、貞ならざる者は必ず婬なり、婬を防ぐの法は云々すべしとて、その間に些少の餘裕を許さず、ますます以て兩生の關係を窮屈にして、雙方にその區域を限り、男女相互に近づくべからず、相互に語るべからず、觸るべからず、見るべからずとて、人事の大小に論なく、一切その主義を以て組織して、數千百年來、既にその習慣を成し、殊に徳川政治の太平二百五十餘年のその間に、人心は次第に萎縮して都て用心堅固を旨とし、男女の交際に就ても云わば臆病にして、進で危からんよりも寧ろ退て大丈夫を踏まんとの氣風を釀し、婦人をば人間交際の外に擯斥して有れども無きが如きの地位に陷らしめたるは、我日本國の一大不幸と云うべきものなり。一度びこの習俗の人心に徹したる以上は、その習俗以て天下を支配し又天下を壓制して、如何なる有力者と雖ども之に抵抗するを得べからず。之を社會の壓制と云う。政府の法律は嚴なるに似たるも、之に接すること甚だ稀なるが故に、假令え壓制なるも尚お堪ゆべしと雖ども、社會の壓制は朝々暮々、人の心身の自由を犯して片時も止むことなきのみか、その勢力の強大も亦法律の比に非ず。男女近づくべからず、男子は外を務め婦人は内に在るべしとは、古教の大主義、習俗の由る所にして、社會の壓制は嚴にこの一主義を守りて毫も容〔赦〕捨する所あることなし。之を實際に徴するに、古來日本國にて朋友と稱し交際と名くるものは唯男子の專にする所にして、婦人にして朋友ある者を見ず。朋友あらざれば交際もあるべからず。故に婦人にしてかりそめにも人に接するは唯親戚にして、その交際も亦唯親戚の間に音信を通ずるのみ。稀に或は良人父兄に從て他人集合の席に出ることあるも、唯その席に在るのみにして、談笑せず飮食せず、恰も座末に男子に陪して他の得意を傍觀する者に異ならず。蓋し社會の壓制に由りて素と内に在るべき者が、外に出るが故に、その然るも亦怪しむに足らず。又その家に在るときの有樣は如何と尋るに、婦人に朋友あらざれば來り訪う者もあるべからず。或は良人父兄の朋友が來訪することあるも、素よりその家の婦人女子を知らざれば面會することもなし。假令え或は知ることあるも、男子の留主に客に面會は不都合なりと云い、客も亦不都合なりと思うて敢て面會を求めず、故に日本の婦人が内を治ると云うも、その内なるものは一家の内の又その奧の内にして、一半の表へは力を及ぼすこと能わざる者の如し。

斯る有樣にして婦人の不愉快なるは固より論を俟たず。恰も肉體の生ありて精神の生なく、幾千年の久しき、全く奴隸の境界に居ながら、扨一方の快樂を失うたるが爲に他の一方の快樂を増したるやと尋るに、決して然らず。女生の不愉快は以て男生の愉快を助るに足らざるのみか、男子も亦共に快樂を得ざるこそ氣の毒なれ。前に云える如く、兩生相引き相親むの情は天賦に由來して、人生至大至重の快樂はこの中に存すること爭うべからざるの事實なるに、社會の壓制はこの至情の働を逞うするを得せしめず、男女相逢うて親愛談笑の不自由なるは、獨り女生の苦痛にあらずして男生も亦共に苦痛なきを得ず。若し之をして自由ならしめば、雙方の心情和暢して桃李春風に吹かれ百禽花に囀ずるの極樂世界なるべきに、社會の壓制は恰も嫉風妬雨にして、この花を萎びせしめこの鳴禽を驚ろかし、却て春天の温和に易るに盛夏嚴冬の酷烈を以てして、内に鬱するの憂苦は甑中に蒸さるゝが如く、外に發するの不平は狂風の雪を撒くが如く、以て社會の全面を無味無情の殺風景に變じたるは、國の不利不幸に非ずして何ぞや。凡そ人事の大小輕重に論なく、その政事たり商業たり又は學問宗教等の事たるを問わず、往々異同の爭論を生じ、甚だしきは公然たる敵對の慘状を現わして人々相互に害するものさえあるは、世人の普く知る所ならん。然るにその爭論敵對の裏面より窺うて内實を視察すれば、唯雙方の情實相通達するを得ずして、俗に所謂行違より生じたるものなれば、時に及んで之を停調するときは無事に救うべきもの多きも亦人の知る所ならん。斯る大切なる場合に於ても、男女の情交に依頼して之を活用し得ると得ざるとその利害は辨を俟ずして明なるべし。蓋し西洋の文明諸國に於て交際の事は專ら婦人の司どる所となり、假令えその身が躬から社會の事務に當らざるも、間接に男子の心事を調和してその事務を圓滑ならしめ、行違の害惡少なきは爭うべからざるの事實なり。之を要するに一國の事務は一國人民の負擔すべき者なりとして、文明諸國に於ては男女の間に之を分擔し、我日本の如きは唯人民の一半たる男子のみの負擔たるが故に、彼我國人の智徳を正に同一樣なりとするも、その國を維持するの力は半數の相違あるものと知るべし。

古人の言は世教と爲り、世教は習俗と爲り、習俗は社會の壓制と爲り、以て我男女の交際を妨げて人間社會上の大利益を空うしたりとの次第は、前段に之を述べたりしが、今又公けの社會を去りて人々私の家内に入り、この社會の壓制が如何なる影響を及ぼしたるやと尋るに、その害惡言うに忍びざるものなり。夫婦の關係は人間畢生の關係にして、その結約の時に當り雙方相互にその人を擇で、眞に本人の意に背くことなかるべきは固より當然の事なれども、男女近づくべからずとは社會壓制の嚴命にして之に抵抗すべからず。男女共に漸く成長して漸く可婚の年頃に達すれば、いよいよますます相遠ざかりて、互に言語を交うるにも何か左右に遠慮して自由ならざるのみか、その姿を見ることさえ容易に許されず。遂に雙方に懸隔りて恰も別天地の境界を成すが故に、扨縁談に臨でその本人が相互に知らんとするも便りあるべからず。むかし封建の武家に於ては家筋のために結婚するの風を成し、雙方の醜美、年齡、智愚を問わずして奇々妙々なる夫婦を作りたるが如きは、之を例外として擱き、世間に心ある父母はその子女に婚姻を強うることなく、假令え父母の見る所を以て相手を擇びたりとて、本人の本意を丁寧反覆に聞糺して後に始めて決定するは良家に行わるゝ習慣なれども、如何せんその當局者たる子女が平生他を知らざれば之を可否するに由なし。假令え或は竊に之を知るも可否を發言するには甚だ躊躇するものゝ如し。蓋し男女相知るは社會壓制の禁ずる所にして、云わば知るべからざる者を知りたるが故ならんのみ。斯る有樣にて世間往々不如意の婚を爲す者も少なからず。人生の不幸これより大なるはなし。然らば則ち結婚意の如くなりし者は果して幸福を全うして愉快なるやというに、尚お然りと答るを得ず。古聖人の教に夫婦有別と云えり。我輩聖人の深意は揣り知らずと雖も、後世の學者がこの教を解釋して社會の人心に染込みたる所を見れば、別ありとは他人らしくすると云う意味にして、夫婦の間は動もすれば親愛に過るが故に、成る丈け互に疎縁にするが人倫の道なりと信じ、之に加うに東方男尊女卑の惡弊を以てして、良人がその妻を擯斥し疎外し又輕侮すること甚だし。支那に一奇談あり。むかし周の世の冀州に郤缺と云う人が困窮して農業しけるに、その妻が畑の中で辨當を進むるとき、毎に敬い謹みて賓客を扱うに異ならず、夫も亦正しく之を受けて狎れ狎れしくしたることなしとて、天下の一美談となり、後世の人が想像して之を圖にしたるものを今日一見するに、一男子が傲然として筵の上に坐し唯ひとり食うその傍に、婦人が恭しく地に跪ずいて給仕する所の繪なり。我輩この繪を見て驚かざるを得ず。貧書生が貧の餘りに農業するならば、その辨當を遣うにも夫婦親しく食を分て食い、共に貧を與にして二人相娯しむが如しなど云えば、稍や人情に近からんに、左はなくして今圖面の趣にては、この貧乏人がこの貧窮に陷りながら、尚お夫婦隔意の體を裝うて、苦しき中にも男尊女卑の精神をば忘れざるの寓意を示すのみにして、唯可笑しく又氣の毒にこそ見ゆれども、後の世の夫婦は是等の虚飾を脩徳の要と心得てますますその虚を擴張し、内實は左のみならざるも傍より遽にその家風の外面を窺えば、夫婦は親愛の朋友ならで疎遠なる主從の如く、荊妻が朝夕恐れながら事え奉つれば、主公は之に接するにその言葉さえ優しからずして、雙方の間に曾て愛情の溢るゝものを見ず。甚だしきは細君が病氣と聞いてその樣子如何を尋る者ありても、良人は態と平氣の顏色を裝い詳に容體をも語らずして、近日來何か痛所あるやに申して甚だ困却なりなど云うその語氣の冷淡無情なること、秦人が越人の肥瘠を見るが如くなる者あり。抑も無頼の蛇蝎男子に非ざるより以上は、人生の至情に於て誰れか常に我が妻を親愛せざる者あらんや。況してその病氣の如き最も心配する所にして、此を思い彼を憶い心緒亂れて麻の如くなるは事實に於て相違なしと雖ども、その外面に之を疎じて無情を裝うこと斯の如くなるは何ぞや。唯社會の壓制に迫まられて夫婦の本色を現わし得ざるのみ。川柳の句に、二、三丁出てから夫婦連れになりと云うことあり。元來男女の天賦、夫婦の情に於ては、散歩するにも我家より相伴うて門を出るこそ本意ならんに、今然らずして出門二、三丁の間は態と道を前後に齟齬し、約束の處に至て始て連れになるとは何故なるやと尋れば、他なし、家の近傍、顏知る人の多き往來に夫婦連れは何分にもと答うるに過ぎず。即ちこの事情を説明すれば、二、三丁の後連れになるは夫婦の本色にして、二、三丁に至るまで連れならざらしむるものは社會の壓制なりと云うべし。以上は唯一、二を記したるまでの事にして、尚おこの外に家族の内状を探れば、上下貴賤に論なく家の組織の一より十に至るまで、兎角夫婦の間を疎縁にするの風を成し、その間柄いよいよ疎なればいよいよ之を家の美事と爲し、主公嚴なり細君貞なりとて、郷黨、朋友、親戚に至るまでも何となく之を稱贊するの氣風あるのみならず、近く家内に同居する舅姑の如きは最もその邊に注意して、一方には聟嫁の睦じきを悦びながら、又一方にはその間の疏縁ならんことを祈り、苟も雙方の情に優しきものあれば大に之を悦ばず、例えば聟が旅行して嫁が別を惜しみ、嫁の病中聟が深切に看病などすれば、餘り見苦しとて舅姑の意に逆うの奇談なきにあらず。尚おその極端に至りて舅姑の極めて頑陋無情なる者に逢うては、唯樣々の難題のみを持出し、陰に陽に他の親愛の間柄を遠くせんとして、言うに忍びざるの妨げを爲す者あり。我輩を以て評を下せば之を舅姑の不人と云わざるを得ざるなり。又古來今に至るまで我日本國には情死の例甚だ多し。抑も情死にも樣々の種類ありて、或は男女の一方が所謂片思にてこがれ死ぬるあり、或は最愛の一方が死して之に殉死するあり、何れの國にも往々ある變事なれども、日本流の情死即ち俗に云う心中なるものは、男女相思うて親愛すること甚だしと雖ども、或は父母親戚に許されず或は世間の口の端に妨げらるゝ等、千差萬別の故障のために相思の情を逞うするを得ず、是に於てか雙方相談の上、生きて空しく苦しむよりも寧ろ共に死するに若かずとの癡心より起る事にして、西洋諸國を始め支那にも朝鮮にもこの類の情死は甚だ稀なりと云う。他國に稀にして獨り日本に限りて多きは何ぞや。日本の男女他に比して必ずしも無分別なるにはあらずと雖ども、男女の關係に附き特に社會の壓制の甚だしきは特に日本に限るの一證として見るも可ならん。我輩は固より情死の愚を見て左袒する者に非ず、痛く之を厭惡すと雖ども、又思い直して人生の至情より觀察を下だし、社會の壓制が今少しく寛大にもあらば、年々歳々幾多の情死人中、或は何事もなく存命して良家の夫婦たるべき機會も稀にはあらんものをと、之を思えば厭惡の中にも又自から憫然の感なきを得ず。この邊より見れば社會の壓制は遂に不人の點にまで達したると云うべし。

社會の壓制の今日の如くなりしその由來を尋れば、前にも云える如く、古人の言が世教と爲りその世教が民心に染込みて習俗と爲り、以て遂に動かすべからざるの勢に至りしことにして、その根本なる古人の言は世人の品行を貞實、清淨、潔白ならしめんとの趣意なるに、後世の今日に至りて果して古人の目的を達し得たるや否やと尋れば、我輩は氣の毒ながらその反對の惡結果を得たりと答えざるを得ず。抑も男女の關係は我輩が毎度申したる通り、常に相引き相近づかんとするの性質を備うるものにして、如何なる教を施し如何なる法を設るも、人爲の力にてこの性質を易えんとするは天の許さゞる所なれども、唯人文の次第に開進するに從てその關係の次第に優美なるを見るべきのみ。古の野蠻人は專ら肉慾に制せられて、男女の間と云えば唯肉交のみの事と思いしものが、開け進む世の中に事務の次第に繁多なるあれば男女の交際も亦繁多を致して、雙方の情を通じ、親んで流れず、近づいて汚れず、和樂洋々名伏すべからざるの際に無限の妙味あるもの、之を情交の發達と云う。何れの國の社會に於ても、次第に開明に進むに從て當さに然るべき約束なるに、不幸にして我日本國の世教習俗はこの約束に反し、近代の開明に至りてもその關係に就て尚お未だ肉交以上の處に着眼するを得ず、單に肉交の濫りならんことを防禦するに忙わしくして、雙方の交際を窮屈にするその有樣は、小兒のために定めたる食物の制限法を以て既成の大人を束縛せんとするに異ならず。食慾の外に餘念なき小兒を養うには、過食を禁ずるも當さに然るべき事なれども、心身既に發達したる大人に於ては、その慾獨り食物に在らず、五官の働種々樣々にして、食物の如きは僅に諸慾中の一部分たるにも拘わらず、傍より單にその過食を防がんとして窮窟なる法を立て、一切の飮食に干渉して自由ならしめざるは、大人を小兒視したる者にして、到底忍耐すべき限にあらず。今の世教習俗の作用も亦斯の如し。男女肉交の濫りなるを防がんとして、その結局は社會の壓制と爲り、一切男女の交際に干渉して遂にその情交の優美なるものを破壞し、以て社會の面を殺風景ならしめたるは、開明の人を野蠻視したる所業にして、壓制の失敬なる者と云うべし、開明の男女を輕視したる者と云うべし。習慣の久しき能くこの壓制に堪ゆる者もありと雖ども、素より人生の天賦に背くことなれば、その惡果は何れの邊にか破裂せざるを得ず。その一、二を擧れば、今世間の家内に於て舅姑と聟嫁との間柄は十中の八、九、不味ならざるはなし。或は能く舅姑に事えて孝なりなど稱する者なきに非ざれども、多くは無理に辛抱して能く外面を裝う者に過ぎず。若しも聟嫁の私語を聞くの機會もあらば、果して記者の言の欺かざるを發明すべし。一家の内に老若男女の幾夫婦も雜居して起居眠食を共にしながら、相互にその幸福を妨げずして快樂圓滿なる者は、百中一あるのみ。他の九十九は所謂外面極樂、内情地獄にして、僞君子僞賢婦の巣窟なりと云うも或は過言にあらざるべし。畢竟この男女の生來頑陋なるに非ず、或は相應の教育をも受けて心事の美なる者ありと雖ども、唯その情を矯めて眞實を隱し、知らず識らずの際に雙方相互の自由を妨げ、他を苦しめて自身も亦苦しみ、徒に不愉快なる歳月を消するのみ。誠に數理に叶わざる次第なれども、社會の壓制に制せられて自から運動を逞うすること能わざる者なり。

家内既に快樂少なし、然らば則ちその戸外の交際は如何と尋るに、婦人の外出は素より社會壓制の禁ずる所なれば、男子の外に出でゝ交る所の者は必ず男子に限り、その交際の殺風景なること木に接するに石を以てするが如く、木片石塊碌々として色も艷もあるべからず。その最上の快樂は沈深理〔屈〕窟を語るにあらざれば、放食鯨飮、醉て笑い、醉て泣き、醉て罵るに過ぎず。偶々婦人に逢うことあるも之に接するに男子自家の交際法を用いて、動もすれば女生の忌諱に觸れて憚るを知らず。之を男子の磊落と稱し、或は心を用いて謹愼すれば言わず笑わず枯木の屹立するが如くなるが故に、婦人の方に於ても固より之に近づくに道なく、空しく默して首を垂れ、唯他の白眼に看られざるを是れ祈るのみ。之を禮儀正しき男女の交際と云う。

右の如く家に在ても面白からず戸外に出でゝも亦樂まず、男女情交の線路は殆んど斷絶して之を通ずるの方便なきものゝ如し。然りと雖ども人生眞の木石に非ざれば何れの處にか鬱情發散の道を求めざるを得ず。是に於てか富貴の男子は内外の妾を養い又は家に妓を聘して快樂を取る者あり、下りて下流に至りては青樓に登り花柳に醉い、人生の想像にあらん限りの醜行を犯して自から遣る者あり。抑も尋常の觀察を以て是等の不品行を評すれば、恥を知らざる輕薄男子が色を貧ぼるものなりと云うべきに似たれども、我輩はその状情を酌量して聊か恕する所のものなきを得ず。その次第は、凡そ人生として絶倫の氣力體力あるに非ざるより以下は、斯る無情の日本社會に居りその品行を高尚優美にして能く自から樂しむ者あらんや。唯樂しまざるが故にその行樂の道を求め、一線の血路は蓄妾聘妓の醜行に在るのみ。その醜行眞に醜なりと云うと雖ども、單に肉慾を慰むるのみの目的に非ず、その實は別室妾宅なり花街柳巷なり世教習俗外の別乾坤にして、恰も社會の壓制を免かるべき樂地なるが故に、鄙劣ながらも之を利用して情交の働を滿足せしむる者なれば、強ち惡むべきに非ず、寧ろ憐むべき者にこそあれ。之を喩えば平生無理に禁酒を命ぜられたる者が、偶然酒樓に登るの機會を得て忽ち泥醉するに異ならず。その泥醉は厭うべしと雖どもその内情は亦憐むべし。故に今の男子の醜行を見れば實に驚くべきものも多しと雖ども、その平生男女の交際に曾て情交の優美なるに逢わず、終歳無情無味の虚飾に束縛せらるゝが故に、一旦その繩を脱するときは嚴重の極度より不取締の極度に移るものにして、その趣は大禮服を脱して直ちに裸體の醜を露わす者に等し。實は禮服以下裸體以上に幾段の服飾あるべきや、千差萬別、美衣の種類限りなし。則ち男女の交際にすれば無限の情交を逞うすべき處なれども、社會の壓制は則ち之を許さずして、一年三百六十日、家に居ても外に出でゝも必ず大禮服と限るが故に、人生これに堪ゆること能わず、遂に之を脱して裸體の醜に陷るのみ。

又日本の婦女子が演劇を好むこと甚だしく、或は俳優藝人を愛し、直に之に近づかざるも竊に之を品評して婦人社會の談柄にするが如きは、甚だ相濟まざる事なりとて之を怒る者あり。成るほど婦人が演劇などに浮かれて身を忘るゝは宜しからず。猶お男子が相撲に熱中して夢中なるが如く、又その婦人が俳優藝人に近づくは男子が妓女に近づくが如く、何れも美談にはあらずと雖ども、如何せん婦人の身も亦木石にあらず、肉慾の談は遠く離れて度外に在りとするも、扨その情を慰めんとして今の社會に何の方便あるや。男子は既にその方便なきに苦しんで遁路を花柳の醜行に求めたり、婦人も亦これを求るは當然の數なれども、爰には又男尊女卑とて別に一種の壓力ありて、婦人の醜行尚お未だ男子に及ばず、唯僅に演劇を見物して遙に男生の空氣に浴し、一歩を進めて近く俳優藝人と共に笑語するに過ぎず。我輩はこの樣を見て怒るにも非ず咎るにもあらず、當局の婦女子が社會の壓制に制せられてその天賦の情を慰るに由なく、遂にその遁路を演劇俳優等に求めたかと思えば、唯憐むに堪たるのみ。

前條の次第にて男女交際の事に付き古人の言は漫に間然すべからず、その時代に在ては自から功能もありしことならんと雖ども、後世の學者が變通の道を知らずして唯その言を墨守し、次第に窮窟なる法を定めて一切情交の運動を許さゞるよりして、折角の教あるも依て以て社會の品行を正すに足らざるのみか、その窮窟なるがために却て激して心波情海の破堤を促し、男女の品行をして表面嚴格の極より内實不取締の極に至らしめたるが如きは、世教世に益なくして却て人の幸福を奪去りたるものと云うべし。遺憾に堪えざる次第なり。今の世に醜行男子多し、或は婦女子にても時としては俳優藝人に戲るゝなどとて譏を招く者ありと雖ども、苟も普通の人心あるより以上は自から品行の醜美を知らざる者なし、又故さらに世に譏らるゝを悦ぶ者もあるべからず。若しも彼の社會の壓制が今少しく緩かにして兩生の交際を自由ならしめ、雙方の天然に引く者を引かしめ、近づく者を近づかしめたらば、恰も積極と消極と抱合滿足して、社會の全面は優美閑雅の瑞雲を以て蔽わるゝの春に逢い、以て兩生の情交を高尚に昇らしめて復た他の醜行に遁路を求るにも及ばず、高尚の地に悠々して高尚の樂しみを樂しむべきものをと、我輩の毎に之に思及ぼして遺憾を感ずる所なり。即ちこの有樣を形容するために重ねて前節の比喩を引用すれば、その交際の嚴格なること大禮服を服して虚飾を裝うが如くならず、又裸體の醜を以て人に厭わるゝにもあらず、その兩間正に袴羽織を着用し時に或は便服を服するが如く、禮儀正しき中にも自から打解けて情を通ずるの便に乏しからざるものにして、文明男女の交際は凡そこの邊に在て存する事と知るべし。我輩が今の日本社會に向て單に徳義の點より冀望する所も唯この一事に在るのみ。左れば今我國の男女をしてその鬱憂殺風景の境界を脱し、その醜體不品行に陷るの惡弊を免かれ、その天與の幸福を全うして文明開化の春風に快樂を得せしめんとするには、千古の禍根たる社會の壓制をその根本より顛覆して男女兩生の交際を自由ならしめ、必ずしも文學技藝の益友を求るなど理窟のみを云うに及ばず、花鳥風月、茶話の會、唱歌管絃、立食の宴、その事柄の大小輕重、有用無用を問わず、只こゝろおきなく往來集會して談笑遊戲、相近づき相見るの仕組を設るより外に手段あるべからず。斯く相互に親近するその際には雙方の情感自から相通じて、知らず識らずの際に女は男に學び男は女に教えられて、有形に知見を増し無形に徳義を進め、居家處世の百事、豫期せざる處に大利益あるべきは又た疑いを容れざる所なり。

以上は我輩の持論にして、必ず之を天下の男女に奬勵せんと欲する所のものなれども、例の古學者流の臆病心を以てこの事甚だ危險なりと云う者もあるべし。如何にもその言の如く萬全は我輩の保證する所にあらず。火を見たらば火事と思い、人を見たらば賊と思えとは古き俗諺にして、或は當ることもあらんなれども、去りとて火は利用せざるを得ず、人には面接せざるを得ず。火事なり賊なりとて一切これを近づけざるが如きは、人間世界に行わるべき事に非ず。男女の交際も亦斯の如し。時に或は危き事もあるべしと雖ども、之に躊躇すれば際限あるべからず。一、二の危きを恐れて千古の宿弊を捨置き、以て無數の幸福を空うするが如きは、夏の時節に一、二の溺死人あるとて水泳の危險を喋々して一切これを禁止するに異ならず。我輩の感服せざる所なり。今又一歩を讓りて男女の交際は果して不用心にして、之がために苦々しき事の生ずるを見るとせんか。然らば則ち古來の世教習俗を保存して今のまゝに任ずべきや。之に任じて古來如何なる成跡を得たるや。我輩の所見にては世教習俗以て徒に人の情を痛ましめ、有生の男女その痛苦鬱憂に堪えずして、小人は陽に大に破裂して醜行を犯し、君子は陰に竊に手段を運らして自から慰めたるにあらずや。古學流の君子社會にも往々その人あるを見るべし。世教依頼するに足らざるなり。左れば我輩の男女交際を奬勵して特にその情交の發達を促すは、その微意只兩生の品行を高尚の地位に進めんとするに在るものなれば、枉げて古學論に從わんとするも得べからず。愛相も盡き果てたり社會の壓制、汝の命に服從するが如きは我輩天下の男女と共に敢て拒む所なり。