「國の商賣は國交際上に利用すべき者に非ず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「國の商賣は國交際上に利用すべき者に非ず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

國の商賣は國交際上に利用すべき者に非ず

西洋諸國の商人が東洋に渡來して商賣を營むは固より其勝手たる所なり彼我相對して私に

取引を爲す限りは縱へ其關係は如何樣なるも傍らより容喙を許すべきに非ずと雖も近來西

洋人が東洋に對するの商賣振りは右の法則を守らずして一種の變相を生じ孰れも政事の門

に托して商賣の道を求めんとするに至りたる如きは實に咄々怪事なりと言はざる可らざる

なりと言はざる可らざるなり今其二三の例として見るべきは獨逸の商人はビスマルク公よ

りの添書を得て此東洋に來りたりといい或は佛朗西の政府はその國商民の爲めに特に支那

政府に約束して鐵道建築等の利益に當らしむることを許可したりと云ひまた英國に於ても

佛獨の政府若くは公使等が爾く在東洋の自國商民を保護するの厚きを見て獨り英國商民が

その利益に後るゝを傍観する能はずとし其外務大臣は在東洋の公使等に嚴しき訓令を下し

力の及ぶ限り英國民の商利を保護せざる可らずとまでに指圖したる如きは既に世に隱れ無

きの事實にして此頃又新にきく處に據れば米國政府に於ても何にか大に此邊に心配し他の

邦國同樣在東洋米國商人に保護を與ふるの計畫ありといへり米國にして概ね然り此際苟も

東洋に商民ある國ならば露西亞なり伊太利なり其他孰れの政府にても亦これが顰に傚はざ

るもの無ある可し盖し一國の政府として其權力を尋常國交際の區内に限らず政府自身若く

は在外公使の紹介周旋にてその國に商民に特別の利益を與ふるの道これありとせば此干渉

法を利用して國益を圖らざるは愚者なり今の西洋諸國は決し愚人ならず利を射るに鋭くし

て人後に立つを甘んずるものに非ず甲首めに其利に浴して乙次でこれに均霑せんことを求

め循環相模傚せば遂に東洋全体の商賣を擧げて國交際上、人の好意を買ふの犠牲と爲すに

至らんこと今より期して待つを得べし豈に恐るべき事ならずや

偖何故なれば今の東洋諸邦は爾く商賣をして政治上若くは交際上の犠牲たるに至らしめし

やと云ふに其責は當局の東洋諸國の政府に在りと申すよう外無らん今若し西洋諸國の中に

於て例へば獨逸の宰相が本國の商人に添書を持たせてこれを巴里に送ることの萬一にもあ

りとせば佛國人は怒らざるまでもこれに取合ふものなく世の人も亦嘸かしこれを笑ふこと

ならん故に獨逸の宰相も最初より政事範圍外の事にまで手を出して笑ひを世に取るの愚を

ば行はざるべし然るに西洋の政府政治家は獨り東洋諸國に限りて不可思議にも此世話周旋

を務め國交際の範圍を踰えて商人私業上の商利の保護を引受け而して歐米人は勿論、東洋

人自身さへ尚ほ恬としてこれを怪むの色無しとは實に言語道斷の次第といふべし現在支那

の鐵道工事の如き未だ着手に至らざる今日より西洋諸國の商人互に先を競ひその工事の利

益に當らんと欲し加ふるに其本國の政府が内々にて後援助力を爲すあるがゆゑ頓て工事着

手の其曉にも至らば材料買入れ建築請負ひの爭ひにて西洋諸邦人の間に紛議を起し然して

何時も其衝に當るべきは支那政府にして他日困難の地位に陥らんこと今より明に見る可し

其他何種の事業に限らず西洋人がこれに投じて利を射るの事柄ならんには其商利を分配す

るに偏頗輕重の沙汰ありとて毎々紛議の種子となり其結果は東洋人が自から錢を損して西

洋人の怨を買ひ東洋諸國の大害物たる治外法權の如き常に二三の不平國の爲めに妨害せら

れて永くこれを撤去するの機會と得ざるやも知るべからず而して其根原は皆國民の商賣を

國交際上に濫用したるに在り實に政治上に商賣を濫用するは國の爲めに最も忌憚すべきも

のと知るべし

人或は言はん東洋は弱國なり獨り國交際の儀式にのみ依頼して西洋諸國と圓滑の交りを結

ぶこと難し左すれば尋常表向きの交際の外に政府の手心にてこれに酬ゆるに特別の利益を

以てして其好意を失はざること大切なり是れ國の商利を犠牲にして強大國に結ぶの已み難

き所以なりと併し我輩が斯る言に對して異存あるは其謂はゆる強大國なるものは世界中一

にして足らず若し悉くこれに向て特殊の商利を與へんと欲せば東洋國の力素より以てこれ

に應ずる能はざるべく我力既に盡て彼の好意尚ほ十分ならず其初め我より俑を作つて人の

慾を導き後ちにはその慾に應ずる能はずして大に人に怨まれ轉た後悔の日あるべしといふ

に在り然るよりも今に及んで斷然政府の外交と國民の商賣との區別を嚴にし苟めにも商賣

に關することとあらば國の經濟を計るの外は政府は一切與かり知らずと爲し飽くまで政治

の範圍内に籠守するに於ては如何に西洋諸國なればとて復た國交際の威權を弄して商利を

營まんとするの口實なきがため自然本道に復し尋常の交際法を以て互ひの親睦を維持する

ことゝならん此機の分るゝ所ろ間髪を容れず今の東洋外交の局に當るものは大に自から戒

めて可なり