「日本人の海外移住」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「日本人の海外移住」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本人の海外移住

日本人は外國に遊ぶことを好まず否外國に遊ぶことを好まずと云はんより外國に遊ぶこと

を知らずと云ふ方寧ろ事實を寫すに適當の語ならん古來絶海の孤島に閉居して世界を知ら

ず輓近二百五十年の無事太平全國の人心は封建専制の積弊の下に萎縮して郷關の外に馳す

るの餘裕なく一山一水の小天地に跼蹐して籠鳥の生涯を以て自から樂しむの外に工風なか

りしなり然るに明治維新の一擧國民始めて心身の自由を逞しうするを得て天地の廣きこと

復た昔日の一山一水にあらず日本全島到る處として皆我居ならざるはなきのみならず日本

島外世界何れの地を問はず處として往くべからざるはなく處として住すべからざるはなし

籠鳥籠を出で池魚海を見るの愉快も明治の日本國民が濶天地を得たるの喜びには敢て増す

ことなかるべし左れば日本國民も此機會を空しうせず近年漸く遠遊の志を起し他國に移住

の企を爲すものも少なからず近くは米國サンフランシスコ地方の如き今より三年前まで居

留の日本人は僅かに百餘名なりしものが三年後の今日に於ては既に六百名に達したりとい

へり亦以て人心の一斑を窺ふに足るべし其他布哇島の移住民の如き東洋各港の出稼ぎ男女

の如き近來日本人が外國に移住する人数は一年既に千を以て數ふるに足るの勢を成したり

といへども此際我輩の尚ほ甚だ不滿意なるは日本國民が二十年の久しき未だ封建の餘習を

脱する能はずして蟄居主義を固守し偶ま開明有爲の志を抱いて四方に徃來せんとする者あ

るも其人數を聞けば一年僅かに千を以て數ふるに過ぎずといふは日本國民の爲めに謀て唯

落膽するの外なき有樣なりと云はざるを得ず獨逸の如き又英國の如き其人口の多寡を聞け

ば孰れも四千萬内外にして日本の人口に伯仲するものなるに此両國より米國濠洲等に移住

する者は年々各廿餘萬人なりと云ふ日本人の現状を以てこれを英獨両國人に比すれば冒險

企業移住外遊の念の乏しきこと両國の百分一にも及ばずと云はざるを得ず世界を横行する

ものは世界の富を掌握し一郷に蟄居する者は一郷の富をも守る能はざる今の日進の時勢に

當り他人の百分一にも及ばざる小智勇を養ひ頼て以て永く他人と比肩對峙の榮を全うし得

べしと信ずるが如きは愚の甚だしきものと云ふべきなり

我輩は常に日本人の外遊の志なきを歎じて措かざる折柄何の過慮間違に出でたるにや近來

米國にては就中太平洋岸の地方にては日本人の外遊する者の漸く増加したるを見て俄かに

恐怖の念を生じ今に及んで早く日本人の米國に侵入するを防止せずんば米國の富は悉く日

本人の爲めに攫み去らるゝに至るべしとてサンフランシスコの新聞紙等には往々これに論

及するものあり而して最も米國人の注意を促がしたるは両三年以來三千人の日本農夫が布

哇島の甘蔗畑に出稼ぎしたるの一事に在るが如し盖し米國人が日本人を恐るゝは先づ日本

人の性質を審かにし果して其恐るゝに足るべきものあるを見てこれを恐るゝにはあらず唯

從來太平洋岸の地方に移住し居る十萬の支那人が廉價の勞力を以て白色の米國人と勞働市

塲に競爭し着々勝利を占めて跋扈至らざる所なきを見て米國人は遺憾に堪えず如何にもし

て支那人等と米國の勞働市塲より放逐せんと百方其工風を求めて工風を得ず果ては腕力に

訴へて理不盡の所業さへある折柄偶ま東洋の一國民たる日本人が群を成して布哇島の甘庶

畑に侵入したりと聞き支那人と日本人との間には何等の相違あるものにや其邊の詮索は後

に廻はし又も一派の東洋人種が太平洋の半まで攻寄せ來りたるが早く門戸を鎖すべし彼の

支那人の例の如く初めに防禦の用意を怠りて大に後來に悔を遺すの愚を再びするなかれと

て狼狽奔走するものに外ならざるが如し羹に懲りて膾を吐き夜乾しの浴衣を見て幽靈と爲

す等天下に其の例少なからざれば今米國人等が支那人に懲りて日本人の影を怖るゝも亦強

ち無理と云べからずといへども去りとは米國人にも不似合なる粗忽の振舞にして米國と日

本と海こそ隔つれ隣國同士往來の便も澤山なるに一たび日本の事情を詮索するの勞を取ら

ず專ら自己の臆測を實事視して風聲鶴唳に狼狽するとは扨扨笑止なる人々かと云はざるを

得ず今度日本人の布哇島に移住したるは内外國人の既に熟知する如く全く日本布哇両國政

府の周旋盡力に依りて漸く行はれたる事にして決して農民自身等が興奮自働して此移住を

企てたるものにはあらず近年社會一般の大不景氣坐して衣食の道を得ざるよりして甚だ好

まざる事柄ながらも唯政府の保護を杖柱と恃み涙ながらに居村を去りて布哇とやらへ住む

きたる迄の事にして聊かも頼母しき所あるにはあらず若し此等三千の農民をして政府の諭

告保護を待たず自から志を立てゝ郷關を出で廣く利益を世界に求めんとしたる程の者なら

んには日本國民も少しは恃むに足るべく我輩世の識者と共に平常日本國の維持を心配する

こと左まで大なるを要せざるならんかなれども哀しいかな日本國民は未だ實際米國人等の

膽を寒し同朋憂國者等の任を輕くする程の智勇あるものにあらず今後若し日本米國両政府

の保護奨勵の厚きものあらばイザ知らず唯永く日本國民の銘々自働するに任せ置く限りは

米國太平洋岸の地方に五千の日本人を見んとするは今より尚ほ十年の月日を要するならん

と考へらるゝなり米國の杞憂者等も少しく其膽を大にして聊か枕を高うして可なり