「金利の説」
このページについて
時事新報に掲載された「金利の説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
金利の説
理財上に謬誤の禍は有心故造の惡よりも更に恐る可しと言ふ、眞なる哉この言や往々世事
の實際に照らして見る可きものあるが如し盖し人の惡心實に惡くして故さらに惡を爲すも
のなきに非ずと雖ども人生の膽力には限りある者にして大惡を犯す可きに非ず例へば銀行
會社等にて時としては其役員等が不正の所業して金圓を私し又は持逃げ等の沙汰あるも其
禍は甚だ大ならず多くは小鼠賊の類なれども之に反して其頭取支配人の流が商業上に見込
を誤まりながら自から信じて大事を斷行し果して失敗を致したる其禍の大なるは彼の持逃
げ等の比に非ず一朝に幾百千萬の資本を空うして幾百千萬の人に毒害を流すことあるべし
心術を以て論ずれば有心故造なる持逃げの方こそ惡む可きなれども毒害の輕重大小に至り
ては見込違ひの恐る可きこと萬々なりと云はざるを得ず左れば理財の事に於て徳義固より
重んず可しと雖ども智愚の影響は尚ほ幾層の重きものと知るべし
近來我が日本國に一種の理財説あり曰く今より六七年前全國一時の景氣に乘じて國民上下
の別なく皆奢侈に流れ萬物の需要頓に増加して隨て商賣も繁昌し又隨て工業製作も増加し
金の利子も昇り職人の賃金も騰貴し其外形甚だ盛なるが如くに見えしかども全く經濟の虚
勢に欺かれたるものにして事の眞實に非ず然るに爾来反對の事相を現はして物價下落と同
時に紙幣の數も減少し國民漸く通貨の貴きを知りて之を浪費せず政府の信用はますます厚
くして公債證書の價は日に騰貴し就中金利の割合の下落したるは商人等が投機の念を斷じ
て正業に從事するの實相を表するものにして最も賀するに堪へたり又政府の預金局に金の
集るは非常なる勢にて其利子の低きにも拘はらず既に一千何百萬圓の巨額に達したるは小
民が奢侈の迷夢を覺まし勤儉貯蓄に志したるの明證にしく是亦嘉す可きの至なり今回政府
より海軍費のためにとて發行したる五分利の公債證書も人民は爭ふて之を買ふことならん
如何となれば今の二歩人民は正に四五分の利子を標準として營業する者なればなり試に見
よ歐米の文明富國に於て資金の利子は大抵皆三分以上五分以下に居るを常とす即ち近來我
日本國の利子も漸く歐米諸國のものと同樣の割合に達したりとは愉快ならずや金利低から
ざれば工商興らず我金利は既に四五分の低處に在り今後如何なる事情に逢ふも六分以上に
昇ることはある可らず正しく富實國の本色にして工商興る勿からんと欲するも得べからず
云々とて此説は隨分社會の上流に行はれて工商の利害に直接の關係なき輩は之を聞いて態
と安心得意の顔色を裝ふ者多しと云ふ
本來天下經濟の事は極めて錯雜したる問題にして容易に判斷を下だす可きにあらず前説に
六七年前の商况を咎め國民の揚々たりしは全く虚勢に酔ひし者なりとの着眼は我輩も同意
を表する所にして即ち今の不景氣を招くの原因ならんと信ずれども其今日の有樣を見て賀
す可し、嘉す可し、愉快なりと云ふが如き得意論に至りては何分にも之に感服するを得ず
經濟は難問題にして漫に斷定す可らずと云ふも斯る得意論に向て異議を呈するが如きは我
輩の敢て辭せざる所なり抑も得意論者の得意なる要點は公債證書の騰貴と金利の下落とに
在りて公債の騰貴は政府の信用の厚き證據なりと云ひ金利と下落は富實國の本色なりと云
ふが如くなれども日本政府の信用は斯の如く淺ましきものにあらず若しも公債證書の高下
を以て政府の信を卜す可きものとするならば六七年前その價格の六十圓なりしときは政府
の信も六十にして今日百十餘圓なれば信も亦百十餘に増したりと云ふ歟日本政府は六七年
間に殆んど一倍の信を加へ六七年前の政府は今の政府に比して僅に半の信ありしものと云
ふ歟無稽も亦甚だしきものと云ふ可きのみ次ぐ金利の談に至り今の日本人民は四五分の利
子を標準にして營業するものなり金利低くして工商興る可し今後如何なる事情に逢ふも日
本國の利子は六分以上に上ることなからんとの説は我輩これを聞いて驚かざるを得ず今の
日本の資本家が四五分の利子を標準にするとは如何にも事實にして七分利付の公債證書を
百十餘圓に買ひ抽籤の危險十餘圓の損毛を豫算すれば平均四五分を標準にすることならん
預金局の利子が元金千圓未満四分二厘千圓以上三分に改まりたるも尚ほ之に預くる者多か
らん如何にも日本國にて利子の割合は非常の下落にして古來未曾有の次第なれども是れは
唯金の利子の下落したるまでのことにして其下落したる割合を標準にして商業を營みつゝ
ある者とては我輩の見聞する所にて甚だ稀なるが如し左れば今我國の資本金は工商社會よ
り分離して獨立の位に居り唯これを人に預けて利子を求むるのみの働を爲すが故に其利子
の割合は日に下落せざるを得ず之に反して工商社會は恰かも資本金に見捨てられ空虚なる
が故に稀に資本に逢ふときは其利子の高きしとも亦非常なり盖し得意論者は唯世間に預金
の多きを見て國中工商の社會にも資金の多からんことを妄想し資金多けれど工商興るとの
主義を信じて得意なる者ならんと雖ども其實際は全く相反して資金が工商社會を離れたる
が故に利子の割合を下げたるのみ故に論者の言に金利低くからざれば工商興らずとあれど
も今我輩は此句調を借用して逆に言を立て工商興りて金利騰貴すべし、金利の騰貴は工商
繁昌の徴なり、工商興らざれば金利騰らず、金利騰らざれば工商興らずと云はんと欲する
者なり(以下次號)