「中山東海兩道鐵道緩急論 前號の續」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「中山東海兩道鐵道緩急論 前號の續」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

中山東海兩道鐵道緩急論 前號の續

鐵道を敷設して交通の便を開くに既にある交通を盛にすると未だなき交通を開くとは其間

自から緩急の別あり峯巒重疊往來人甚だ稀疎なるの地は鐵道を以て其往來を便にせざる可

からずと雖ども地僻人稀なれば不便を感ずる者の數も亦隨て少なきが故に稍これを緩にす

可きの事情もあれども人烟稠密にして通行繁劇なる塲所にては其交通の便不便商賣殖産の

發達に關すること大なるが故に此等の塲處にては鐵道の敷設一日も急にせざる可らず即ち

歐米諸國にて鐵道を敷設するに先づ都會を點綴するの線路を撰ぶ所以ならん此一點より云

へば中山東海兩道の鐵道に就き敷設の先後論は言を俟たずして判然たり又鐵道を敷設する

には民設は申す迄もなく縱へ官設にもせよ非常の塲合にあらざるよりは先づ運賃収益の多

きを撰ばざる可らず從來の例を案ずるに東京橫濱間の鐵道は米國にて紐育華盛頓間、英國

にて倫敦リバプール間鐵道の収益に等し(紐育華盛頓間、倫敦リバプール間の往復乘客及

び荷物の多きは東京橫濱間の比に非ずと雖ども此間には鐵道數線ありて之を分載するのみ

ならず時としては運賃の競爭を爲すことあるが故に其収益東京橫濱間の鐵道と伯仲の間に

在るなりと云ふ)即ち是れは我國にて例外の事として昨明治十八年中上野高崎間鐵道の収

益は纔に政府の保證利子即ち八朱に達するのみ又上野宇都宮間は昨年八月開道以來同十二

月まで凡そ五箇月間に二朱五厘の収益ありしのみ大垣敦賀間も今日の處にては収益甚だ少

なしと云へば中山道線路成りて差當り利益を見んとするは迚も望む可らざる事ならん東海

道鐵道に至りては沿道の地理人口商賣物産の模樣より考へて何樣に内輪に計算するも上野

高崎間の線路より更に収益の多からんことは掩ふ可らず左れば當初中山道鐵道敷設論ある

に際し我輩は何故東海道を後にして先中山道線路に着手するやと窃に之を怪み中山道鐵道

と両立しても苦しからざるゆえ速かに有利なる東海道鐵道を布設すべしと勸告したりしが

今又東海道鐵道の急要なるを發見して先づ之れに着手せんとするの動議あるを聞き我輩は

一議に及ばず之を賛成せざるを得ざるなり然リと雖ども是れ唯中山東海兩鐵道の緩急先後

を論じたるのみ東海道鐵道に着手したればとて我輩は從來着手したる中山道線路の工事を

停止することを勸告するものに非ず凡そ鐵道を以て交通の便を開かんとするには國中に一

線を串して夫れにて滿足するを得ず試に北米合衆國を見よ太平洋の沿海より東方太西洋の

岸に至るまで凡そ四通りの鐵道あり此鐵道は孰れも民設鐵道會社の所有にして東西兩海岸

より米國の野を橫斷して長鐵道を敷き列車の往復引きも切らず文明國の交通は誠に如此な

らざる可らず我國にても今後大に鐵道を敷設するに就ては各線路相呼應して成るを要す且

つ中山道とても固より不急の線路に非ず東海道に比較すればこそ其間輕重先後を異にする

なれ此工事を完成せざれば國の脊髄に鐵道の脉絡を貫通せざるの觀あるが故に一方に東海

道鐵道に着手しながら他の一方に於ては從來より一層急激なる速力を以て中山道の線路を

も敷設せざる可らず聞く所に據れば東海道線路は中山道を成功する時日の三分の二にて竣

功す可しとの説あれば今日より兩道の線路に着手し東京より東海道を經て尾張の名古屋に

達するの線路完成する頃には高崎より大垣に達する線路も成りて兩鐵道相呼應して交通の

便を開くに至らんこと我輩の渇望する所なり左れば東海道鐵道を後に中山道線路に着手す

るは我輩の賛成する能はざる所なれども東海道を先にしたりとて全く中山道線路を中止す

るが如きは我輩の最も賛成せざる所なり唯事の先後緩急を議するに當りて我輩は東海道鐵

道を以て急先なりと信ずるのみ讀者幸に此意を諒せば可なり (畢)