「海軍公債募集の好結果は商况の不景氣を卜するに足る可し」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「海軍公債募集の好結果は商况の不景氣を卜するに足る可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

海軍公債募集の好結果は商况の不景氣を卜するに足る可し

海軍公債第一回の募集金五百萬圓は先月より當月初めに至るまでも其募に應ずる者少なく

して一般の人氣兎角振はずとの樣子なりき當初我輩は竊に謂らく近來我國の理財社會に金

利の低落したるは資本金が商賣工業と分離したる證據にして甚だ以て面白からざる有樣な

り今の日本國は舊時の日本國に異ならず舊時の日本なれば東洋の一國にして國の資本固よ

り豊ならず資本豊ならざれど金利は固より高き筈なるに三四年前より次第次第に下落して

遂に五朱の聲を聞くに至りしとは國の商况が次第次第に衰頽していよいよ資本金の用法に

困却したる徴候なり何れの時か金利の騰貴することあらん、何れの時か商况の回復するこ

とあらん、金利騰らざれば商况復す可らずとて只管金利の騰貴を待つ折柄今回五分利付の

海軍公債は募に應ずる者少なしとの風聞を耳にして欣喜に堪へず流石に日本の資本金も五

分の利に甘んずる者にあらず日本の殖産商賣衰へたりと云ふも尚ほ多少に資本の用法ある

ことならんと自から説を作り又一方に東京市上の樣子を聞けば先月中より諸色の景氣少し

く持直し就中夏用太物の類は三割前後の騰貴にして夏物に景氣を増せば冬物に氣を持つも

自然の勢にして之がために地方の機塲も儀に賑ひ人氣引立たりと云ひ又本年は蠶糸の上作

にて養蠶地方の繁昌は容易ならず夫れ是れの影響にや舶來織物の類もポツポツ田舎より注

文來りて横濱の引取も先づ盛なる方なりとの報知もあり旁以て是れはいよいよ商况回復工

商蘇生の萌ならん今度の海軍公債に應ずるものなくして日本の資本は五分利に安んずるも

のに非ずとの明證を示し其勢に乘じて六分利七分利公債證書の價格とも追下げ其他諸樣式

の類も下向の色を現はして商賣世界に漸く資本の活動を見ることもあらんと募集滿期の日

を持ち搆へたるに何ぞ料らん昨日時事新報の雜報欄内に記したる如く海軍公債の募集は極

上の景氣にて五百萬圓の募に應じたる總計は千六百餘萬圓にして價は凡そ百三圓の目安な

るもの多しと云ふ誠に驚入たる始末にして募集の一點より申せば目出度次第なれども此募

集の應否を以て商況盛衰の試験噐として視るときは我輩の冀望は全く空ふして唯落膽の外

にし左れば最前我輩が説を作て日本の資本は五分利に安んずるものに非ずと云ひ殖産商賣

の世界尚ほ資本の用法ありといひしは悉皆夢中の妄想にして先月中より都鄙の商賣工業が

少しく回復の徴を現はしたりと云ふも大なる間違なりき今日の實際に於て日本の資本家は

商工の本業に金を放つ可らず商賣工業の危險はコレラよりも劇しコレラは之に罹るも平均

半數の全治を得べしと雖ども今の商工の業は百發百敗利益を得ざるのみか元金をも掠め去

らるゝを常とす斯る危き鉾先を冐さんよりも政府發行の公債證書を買へば毎年の利子は慥

に國庫より請取りて儉約さへすれば細く長く安樂に衣食するを得べし即ち國民より納る租

税に依頼して生活するものなれば其安心はむかしの世祿の武士、今の政府の散官に異なら

ず云々の〓(匈に月・きょう)〓(竹冠に弄・さん)にて斯くは募集に応じたることなら

ん此趣を見れば東京の市上にて太物その他織物の景氣上向など云ふも唯一時品ぎれのため

に促がされたるまでの事にして當用の品を給すれば又それぎりにて富商大賈の土藏に物を

仕入れ置くの勇氣はなきことならん抑も商况回復の事に就くは我輩も毎度世人と共に欺か

れて赤面に堪へず今回も海軍公債の募集中は殆んど眩惑したれども昨日其結果を見て僅に

惑を解くを得たり天下理財の預言亦難しと云ふ可し