「蠶糸相塲所は製糸の改良を促すに足る」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「蠶糸相塲所は製糸の改良を促すに足る」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

蠶糸相塲所は製糸の改良を促すに足る

蠶糸改良の説は年來我輩の聞く所にして近年は追追其成跡も現はれて見る可きものありと

は賀す可きの至りなれども尚ほ遺憾なるは其改良の及ぶ所甚だ廣からざるの一事なり然る

に今回我輩の立案に從て蠶糸相塲會所を設立するときは間接に改良の歩を速にするの効を

致す可し今その次第を述んに日本全國蠶糸の産出高は凡ろ七萬梱にして此内横濱に集りて

外國へ輸出するもの凡そ四萬梱内外なる可し一梱の價を平均四百圓とするも總額一千六百

萬圓なり故に仮に今横濱に蠶糸相塲會所を設るときは内國用の品を別にするも賣買品は一

千六百萬圓の高ありと云はざるを得ず又一方に日本全國米の産出高を問へば凡三千萬石に

して之を一石五圓の相塲にすれば一億五千萬圓なれども東京に集りて賣買消費する高は一

年百萬石より多からずして代價五百萬圓に過ぎず此の百萬石五百萬圓の取引に付き米商會

所を設けて甚だ繁昌することなればこの五百萬圓に三倍する千六百萬圓の蠶糸を相塲に掛

けたらば其賣買の繁昌も亦三倍なる可きに似たれども爰に蠶糸に就て相塲所に入り難き差

支は其の品位の不定なる事是れなり米の相塲なれば例へば東京の米商会會所にて武州米を

建米として賣買を約束し其現品を受渡しするときには必ず武州に限らず、奥州米にても美

濃米にても其價格に從ひ奥州は武州より低きこと何分、美濃は之より高きこと何分として

故障なく通用するの法なり畢竟日本の米は其産出の地方に從て品位を一定し奥州米と云へ

ば必ず奥州固有の性質を具へ美濃米と云へば必ず美濃固有の位を保て紛らはしきことなき

が故に然るを得べしと雖ども蠶糸に於ては大に趣を殊にし上州にても信州にても又奥州に

ても其國々に糸の品位を一定せざるのみか一國中の各地方に異なり、各郷各村に異なり、

甚だしきは一村中の毎戸に同じからざるほどの次第なれば扨ここに蠶糸相塲所を設けて賣

買を取組み受授の時に臨で信州の何糸なるものは果して何時も同一樣なる可きや上州の何

糸は先月取引したるものと今月受渡しするものと果して相違なきや甚だ覺束なき事共なり

現品を見ずして賣買するは相塲所の本色にして其現品の品位不定とありては迚も廣く取引

に着手す可らざるや云ふまでもなきことなれば先づ事の實際に於ては各地方の噐械糸を根

本として其他手繰にても確實の名あるものは之に加へ兎に角に公然たる相塲所にて取引を

始るの外に手段ある可らず斯の如くして一時に其塲所の繁昌を期するは或は難きことなら

んと雖ども仮令へ品物は小量ながらも塲所の取引に掛りたるものは必ず一層の聲價を増す

のみならず横濱にて外商に賣渡すにも又は外國へ直輸出するにも買方にては其品柄の既に

相塲所に掛りて恰も〓(手偏に嶮のつくり・けん)査を經たるを知り安心して引取る可き

が故に實價に於ても必ず幾分を進め外國商人のためにも自分に〓(手偏に嶮のつくり・け

ん)査の手間を省いて便利なれば賣方の日本人のためにも亦利益なり一擧両全の得策と云

ふ可し扨商賣の世界に他人の利するを見て之を羨まざる者あらんや蠶糸相塲所の品は内外

に聲價高くして其賣捌に勞なし吾々手製の糸の塲所に入れられざるは製法の粗なるがため

なり糸の品位の不揃いなるがためなり其粗を精にして不揃を揃はしめんとするは噐械を用

るに若くものなし仮令へ噐械ならざるも製糸の注意は利益の關すること大なりとて人々自

から奮て改良の念を起す可きは自然の人情にして又傍らより説諭奬勵の勞を執るに及ばず

次第次第に國中に改良の區域を擴めて上等品産出の量を増し其賣買次第に盛なれば又隨て

各地方便宜の地に蠶糸相塲所を設立すること今の各地の米商會所の如くなる可きは勢の必

然にして遂に日本國中産出の蠶糸は悉皆相塲所の賣買を經ざるものなきの盛大に至ること

ある可し既に此勢を成すときは其製糸賣買の便利は云ふまでもなく製法の改良なからんと

欲するも得べからざるなり改良の議論世に行わはるゝこと久しと雖ども自利の見る可きも

のあれば其議論も亦入り易し蠶糸相塲所の設立は直に蠶糸改良のためならずと雖ども其間

接の効力は容易ならざるものと知る可し