「新日本國に入るの準備」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「新日本國に入るの準備」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

新日本國に入るの準備

我輩は日本國の文明富榮を希望して片時もこれを心に忘れざる者なり但し我輩に限り特に

此の希望を有するにはあらず苟くも日本國人として此日本國に縁あるものにして其内國に

在ると外國に在るとを問はず誰か此希望を有せざるものあらんや日本國人にして日本國の

文明富榮を希望するの心は其地位居所の如何に由て毫も厚薄の相違なしと云て差支えなか

らん若し人あり日本の文明富榮は何樣の點にまで達するを以て滿足するやと問はんには我

輩は歐米の文明國と同地位に立つを得ば足れりと答へんのみ盖し人間の文明富榮には際限

あるべからず際限なき文明富榮を求むるに此方より何程と限りを置くは聊か不都合のやう

なれども徒らに大聲を放つて到底出來べからざる相談を求むるは我輩の甚だ好まざる所な

るがゆゑに先づ我々の生涯に我々の力にて爲し得べき程度を計りて我々は其事の成るを見

てこれに滿足しそれより以上の事はこれを子孫に讓りて可ならんと信ずるのみ

日本國を歐米諸國と對等の國柄に爲さんと欲してさて顧みて内を見れば文明に必要の事物

にして尚ほ不足する所のもの千を以て數ふべく又萬を以て數ふべし斯る不足勝ちの中にて

はこれを求むるに彼是前後の區別を要せざる程の譯柄なれども先づ國會を開いて政事を民

議に委ね全國を開放して内外人を雜居せしめ鐵道を布設して交通の便を大にする等の事は

盖し何れも急を要するの事柄たるに相違なからん近來時運の日に月に進歩すると共に國會

開設の期も間近に差掛り今日は既に中間僅かに三年を餘すに過ぎず彼の條約改正の事も何

れの點にまで運びたるか未だ詳細を知らずといへどもこれを内外の時勢に徴するに早晩治

外法權を撤去して日本全國を打開き雜居雜婚商賣製造寺院を建て田地を買ふ等内外人共に

勝手次第の時節到來するは思ふに今より三四年を出でざることならん又鉄道布設の事も近

來頗る日本國人の注意を惹き其布設の一日も早からんことを欲し其線路の一里も長からん

ことを欲するの情は全國の人心東西一徹にして又日に益甚だしきを加ふるものゝ如し今日

の有樣を以て後來を推すに今より三四年を出でずして南は九州より北は北海道に至るまで

全國一通りの鐵道脈を通ずるの日の到らんこと盖し必然の勢なるが如し斯くの如く日本の

文明進歩に重要の事件と爲す國會開設、内地雜居、鐵道布設の事の如き皆今より三四年の

内に出來するものとするときは是れよりして日本國の政治上社會上の變化は實に我々の想

像にも及ばざる程のものありて明治廿三四年以後の日本より明治十九年以前の日本を顧み

たらんには雲泥の相違も啻ならざるの想あるべきや必定なり其相違する所即ち文明進歩の

跡なりと思へば我輩は一日も速かに廿三四年以後の新日本を見るを樂んで老の將に至らん

とするを知らざるなり

然れども明治廿三四年以後の日本國をして轉た目出度き日本國たらしめんとするには公に

私に今日よりして十分其準備を急がざるべからず若し目下日本公私一切の事物を今の有樣

の儘に保存して明治廿三四年の春を迎へ此時一時にソレ國會が開らけたぞソレ内地雜居が

始つたぞソレ鐵道が延びたぞと沙汰したりとて日本國人が十分に時勢の變に應じて國に利

し身に益するの覺悟は尚ほ未だ整頓せざることもあらんかとの掛念ありとすれば今日に當

りて此準備を急ぐは土用の炎天に氷を持運ぶと一般瞬時も油斷すべからざるものならん其

私の準備に属するものは人々の一身に覺悟すべき所にして事柄も亦千種萬端なるべし唯其

眼目とする所は兎角時勢に後れざるを勉むるに在り而して其公の準備に属するものも一個

人の準備と同じく事柄の千種萬端なるべし唯其眼目とする所は兎角時勢に後れざるを勉む

るに在り而して其公の準備に属するものも一個人の準備と同じく事柄の千種萬端なる無論

のことなりといへども新たに文明主義の諸法律を設け大に舊法の尚ほ完全ならざるものを

改正する等は最も急要の事なるべし例へば民法商法訴訟法を作り刑法治罪法諸條例等に改

正を加ふるが如きは皆此類ならん殊に我輩が歐米の文明國人に此日本國を示し又此文明國

人と往來交際せんとするに當りて最も意に介して忘るゝこと能はざるものは彼の新聞條例、

集會條例、又は讒謗律などいふやうの類是れなり文明國人は言論の自由、出版の自由、集

會の自由などを以て國民の幸福に必要欠くべからざるものと爲しこれを視ること掌中の珠

も啻ならず我々日本人は久しく封建制度の空氣中に生息したるがゆゑに自由の一義に關す

る感覺は殘念ながら未だ歐米人の如く頴敏なる能はず或は我々が視て以て尋常一樣の良條

例なりと爲すものも一たび歐米人の眼に映ぜば思ひの外に不都合なるものと定まるも澤山

あらん又歐米人は人權の重んずべきを知り人の私事を訐くを許さず左ればとて事實を直言

するを讒謗とは稱せざるが如し况して官吏の職務は天下の公務公事なればこれに對するの

言論は如何樣のものにても決して誹毀讒謗の範圍に侵入すること能はざるものゝ如し以上

の事共は明治廿三四年以後の新日本を迎ふるの準備を急ぐに當り最も我々日本人の考案を

要すべき諸點ならんと信ずるなり