「大勢想像の漫画」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「大勢想像の漫画」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

大勢想像の漫画

日本の國土に外國人の治外法權を許すは我國權の害なり、之を撤去せざる可らず、文明の

諸外國人を居留地に蟄居せしむるは相對の義理に背く、日本全國を開て雜居の自由を得せ

しいむ可しとは我輩の宿論にして道理の上より立言せし所なれど世間或は之を悦ばざる者

多かりしにや其實行を見ず依て我輩は有形の物より論端を開き假令へ外國人が治外法權の

撤去を拒み内國人が内地雜居を悦ばざるも全國に鉄道を通じて交通徃來自由自在なる上は

其交通器の利用を獨り内國人に限る可きにあらず内國人の行く處には外國人も亦行く可し

即ち雜居の勢を成すものにして鉄道は雜居を促がすの器械なり云々の次第を陳べたること

あり然るに今回は我政府も非常の英斷にて鉄道の敷設を東海道に改め其工事も頗る迅速な

る可しと云ふ是に於て我輩は日本の殖産商賣上に此擧を賛成するのみならず兼て我輩の宿

論たる治外法權の撤去内地雜居の事も此鉄道事業と共に實地に行はれて最早躊躇すること

なかる可しと更に想像に畫くものなきを得ず如何んとなれば一方には雜居を促がすの器械

を作るに急ぎながら又一方には其雜居を遲々するの理あらざればなり故に我輩は今回東海

道鉄道の公文を見て條約改正論の如何を卜し内地雜居は必ず行はるゝものと假定して聊か

鄙言を述べ以て大方の教を乞はんと欲するものなり

扨鉄道は先づ東西両京を連絡して其先きに進み又八方に支線を放ち日本國中の往來自由迅

速にして恰も蜻蛉八十州の版圖を掌大に短縮して同時に文明外國人の來て雜居歸化するも

のあり即ち吾々日本人は外國人と軒を並べて往來し地を共にして耕やし資本を共にして商

賣し冠婚葬祭の吉凶、花鳥風月の行樂を共にするの日にして我國の文物二十年來大に進歩

したりと稱すと雖ども實に外國人に近接して生活を共にするは自から又一段の新活劇にし

て兼て覺悟の前とは申しながら時としては案外する人も多かるべし其劇塲の運動を今より

明言するは固より難きなれども假に造意を以て之を畫くときは先づ今の日本の法律も更に

改正することならん、裁判所の風も改まることならん 警察の法も變ずることならん、民

法及び商法も新に編纂することならん、又國人の私に於ては其朝野を問はず苟も日本社會

の表面に立て榮譽を博し利益を得んとする者は其の教育も其商賣も其衣食住の家風、其交

際の言語文章に至るまでも悉皆西洋風に改革するに非ざれば叶はざることならん、是れま

で日本國の名利は唯官途に專有せられたるの姿なりしが今度は全く其の趣を改め第一流の

地位を占めて榮譽利益を専らにするものは西洋文明流の人物にして其流に入るの深淺を以

て貴賤貧富の差を見ることならん、門閥を言ふ者もなく爵位を問ふ者もなく人間萬事智徳

と金錢との世の中にして文明に處するの智徳なく文明に應ずるの錢亡き者は人にして人に

非ずと云はるゝことならん、宗教道徳の議論盛なれば磊落不品行の輕薄才子も屏息して漫

語放言を許されざることならん貴女紳士が美服、人の指すを畏れずして揚々自得すれば寒

貧君子は敝れたる〓(薀のさんずいが糸)袍を衣て自から耻ぢざるも世に辱しめらるゝこ

とならん、是等の想像を摸寫すれば疎密精粗隨て寫して隨て奇觀を呈し殆んど筆を閣する

を忘ると雖ども之を要するに我日本國は治外法權の撤去内地雜居の自由を以て開國文明の

一新に際したるものと云て可ならんのみ

開國文明の一新に遭ひ天下人心の喜憂如何を測るに其一致は固より期す可らず社會の人に

其利害を異にする限りは喜憂も亦一樣なる可らず例へば政府の一法一令事柄の極めて輕少

なるものにても之を喜ぶ者あり之を憂る者あり況して國民直接の大利害に關する雜居の事

に於てをや必ず天下に異同論の喧しきは必然の勢なり或は事の實際に於ては内地雜居の約

成るも一時に無數の外國人が全國に入込む可きにもあらざれば差向きの痛痒なかる可きに

似たれども雜居の緩急は姑く差置き雜居の用意のために先づ日本國全体の法律を改め隨て

舊習慣を一掃すること止むを得ざるの要なるが故に今の法律のみに依頼して身分を保ち今

の習慣の中に浮沈して生活を營み之を外にして絶て變通の餘裕なき輩は今度の一擧に付き

不平なからんとするも得べからず其人の所在を求れば下等の愚民世界に最も多くして是れ

より以上に士君子の種族又官途の中にても昔しの漢學校より出身し武士一片の魂を以て事

に從ひ仮令へ外面は西洋の文明を裝ひ稀には巧に文明の文字さへ讀む者あれども其内部は

純然たる漢學書生、封建武士にして既に二十年來の事態に慣れ既に安身立命の地位を得て

最早前に進むの念慮なく、進んで失ふは止まりて守るの安全に若かずと覺悟を定めたる故

老の一流あり此流は心事こそ異なれども無事を祈るの一點は彼の下等の愚民と同樣ならざ

るを得ず人員の多少を云へば此種の者こそ多數なる可けれども之に反對する文明開化の流

にも人物甚だ少なからず此種族は常に無事に苦しみ苟も社會の運動とあれば己れ魁して之

に當らんことを祈り西洋に知見を求めて西洋の書を讀み西洋の人に交りて西洋の語を語り

其心を西洋にするのみならず身に用る有形の物に至るまでも西洋にせんことを勉めて一片

の報國心を除くの外は恰も西洋を以て故郷の思を爲すの輩なれば内の法律習慣を西洋にし

て西洋人と雜居するが如きは宿昔の素志を達したるの姿にして彼の故老者流と所見を異に

するは到底免かる可らざるの數ならん而して此種族の所在は民間にのみ限らずして官途に

在る者も甚だ多く其人の年齢は兎も角も主義は則ち進取の少壯論にして故老論に相對する

ものなれば例へば政治上に於て黨派を分つときにも官權民權など云へる漠然たる名稱に從

ひ人の官に在り野に在るの故を以て區別すべきにあらず必ず主義を以て相分るゝことなら

ん如何となれば今の官途の中にも老論少論ある可く民間にも亦この二樣ある可ければなり

左れば政治社會を離れても社會百般の事に就て老少論の相分るゝ其趣は嘉永年間ペルリ來

航の後、國論開鎖の二樣に分れたるの事情に彷彿たるべし國中官となく民となく老論は老

派に歸して舊を守らんとし少論は少派に集りて進んで取らんとし人間の交際に郷黨の縁故

を問はず昔年の由緒を語らず其相投ずるは唯一片の主義にして時に或は軋轢することもあ

らん又或は期せざるの興敗もあらん之を見物しても目覺した壯觀なる可し政治には明治二

十三年國會の開設もあり我輩が想像の漫畫或は事實に中りて國會開設と内地雜居と二樣の

運動一時に來るが如きあらば政府施政の針路、國民生活の方向は果して老少二論の何れの

方に決すべきや我輩は必ずしも二十三年を待たず差當り先づ今日より社會の動機を視察し

て看客諸君と共に其針路方向を知らんと欲する者なり