「貧人は中央市外に居らしむべし」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「貧人は中央市外に居らしむべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

貧人は中央市外に居らしむべし

今の東京の市街は往時封建の時代に小商人等が大名屋敷の需要に應ずるため其近傍に群集して其處彼處に團を為し千の大名屋敷あれば千の商人團即ち俗に所謂前町商人が相混同して一都府を成したるものにして朱門茅屋相隣し高き家と軒つゞきに低き家あり富豪商店の裏通りには貧乏人の巣窟ある等不規則千萬の箇處多きは人の能く知る所なり即ち此不規則の箇處を改むるは東京市區改正の一箇條として甚だ必要なる所以にして差當り本通りは軒々ほゞ其家並を揃へ重なる裏通り筋にも餘り見苦しき貧人の巣窟を留めず煉瓦続きは申す迄もなく日本家の通り筋にても火災抔の後には常に以前に立〓りたる家屋を建築する樣の人柄のみを群居せしむること大切ならん精しく云へば富家は富家と群し貧乏人は貧乏人と相伴ひ貧人の家を以て巨舘石室を點綴せしめざるの工風なかる可らず斯くて彼の職工日傭取の輩を塲末の地に逐ひ立てんとするに就き爰に一考を要すべきは元來此職工日傭取等は富豪商舘に出入りして日々其勞働を鬻ぐものなれば今此得意塲を離れて塲末の地に移住するが為め仕事塲への往復不便にして出入りの費用も亦加はり非常の迷惑を蒙ることあらんとの一事なり因ては先づ此職工日傭取等の為めに塲末の地より帳塲へ報復するの便を開かざる可らずと雖も我輩の所見を以てすれば之を開くこと難からずと思はるゝ其の次第は目下米國ニユーヨルク府に架空鐵道(Elevated Railroad)と稱するものあり四線の鐵道、市街の一端より都中の最も繁華なる處を横斷して市の中央なるセントラル パークと云へる公園に集り夫より各々他の塲末の地に達し各々十英里の間を走るが故に塲末の地より市の中央に往復すること自由自在にして毫も不便を感ずることなし抑も此架空鐵道はニユーヨルクの醫士某氏の發明架設に係り某氏は仁術の士丈けありて慈惠の心頗る〓く市中貧民の情態を見て如何にもして其窮を救はん〓〓〓〓心〓碎きたる後遂に一策を案じ此等の貧民〓〓〓〓〓するが為めに生活費を增し此苦境に陥いるなり之を救ふには先づ市街の端より端に往復するの便を開き置きて然る後にて貧民を塲末の地に移すこと肝要なれども市中繁盛の區は汽車の地上に走るを許さずとて架空鐵道を設けて漸く貧民を塲末の地に移したるに貧人の生計の為め又市街の体裁の為め其成績甚だ少なからず且この企は素より貧民救済の目的に出でたるものにして朝夕職工日傭取等の往返する時間には十英里の間何處まで乘車するも平常の半額即ち五錢を要するのみなれば賃銀多き米國の職工等に取りては實に輕小の往復費にして為めに迷惑する者なく職工等の為めにも商舘等の為めにも一擧兩便の策なりとて之を稱揚せざる者なしと云ふ(醫士某氏は架空鐵道架設の為めに財産を傾け蓋し氏が死去する時には家内一人の看病もなかりし程なるが其後架空鐵道會社を起したるものは氏の餘蔭にて幾百萬弗を儲けたるやも知らず米國人中にも氏の為めに之を追弔するもの多しと云ふ)

職工等の塲末の地より市中に往復する時間に限りて特に汽車賃錢を引き下ぐるは英國倫敦にも其例あり壮麗なる都府にて貧富住處を異にし市街の美觀を維持するには是非とも廓内外往復の便を開きて貧民を塲末の地に移しその必要なるを見るべきなり就ては我東京にても市區改正に連れて漸く此法を實行せざる可らずと雖ども東京市街を通じて塲末の地まで鉄道を架設するは差當り六ケ敷かるべきが故に我輩は漫に多を求めず今の鉄道馬車を以て鉄道に代用し今後地相を案じて市中より塲末の地に達する馬車道を擴張し職工日傭取等の重もに往復する時間を計りて其賃錢を下げ或は全線路一價法を採用する等の工夫あらんことを望むなり斯くて職工日傭取等は漸く塲末の地に移ることと為らば家賃も廉に蔬菜其他日用必需品を買ふにも幾分か便利なるの趣なりて彼等自身の為めに得策なるのみならず之れと同時に貧富相隣の風を去て都城家屋の美觀をも添ふるに至るべし、此一事甚だ瑣末なるが如しと雖ども東京市區改正の一箇條として決して等閑視す可らざるものなり