「演劇改良」
このページについて
時事新報に掲載された「演劇改良」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
演劇改良
人心を感化するに効の最も速にして且つ大なるは演劇に若くものなきなり勸善懲惡道徳の訓は往々尋常人の口に苦がく好んで之を玩味するものなしと雖ども一旦此訓を取りて之を演劇中に加ふれば苦藥を甘味に交ふるが如く人々樂んで之を味ふ其中に名教の旨趣は自から其心肝に銘して知らず識らず其好尚を變じ其志操を高うすることを得べし左れば西洋諸國にては風教上頗る演劇の事を重んじ帝室にて劇塲を所有する處あり或は政府の手を以て之を管理する國もあり音樂演劇は孰れも文部教育の一端として之を等閑視せざるものゝ如し曾て聞く我國の道中雙六は昔時勤王の意を寓したるものにして之を弄ぶ者の葵心をして知らず識らず京師に向はしむるの工夫なりと微なる道中雙六にても尚此用あり况して彼の大仕掛の演劇を利用すれば寛猛文野人心を誘化するの功果して如何ぞや然るに今此演劇を〓擲し去りて之を無識者の手に委ね千萬人の目前に於て時に野卑淫猥の觀を呈せしむるとは左りとは餘り不〓合に非ずや我輩窃かに此に見る所ありて曩きに演劇改良の必要なる次第を論ぜしが頃日來東京朝野の紳士中にも亦演劇改良の説あり追て之を實行せんとして目下其計畫最中なりと云ふ我輩演劇の事に於ては甚だ寡聞なりと雖ども此際聊か餘論を開陳して演劇改良家の參考に供せんと欲するなり
演劇改良の手始めとして先づ劇塲を建築するに就いては和洋を折衷して彼此の所長を取ること勿論なれども西洋の劇塲は舞臺の天井はなはだ高くして幕も天上より下り毎劇の景致模畫も交る交る之れを吊り下げまた吊り上ぐるの仕掛なれば日本の劇塲のごとく一々諸道具を取り外づすの手數なく隨つて幕間甚はだ短かく、多くも五分時間を費すことなくして最も便利なるが故に先づ此仕掛を採らざる可らず又西洋の劇塲は大抵夜興行なれば塲中常に瓦斯燈を點じ晝芝居にても又わざわざ塲内を闇くし瓦斯燈を以て明を取るを常とす其故は嘗て本紙上にも記せし如く西洋演劇は塲中の装飾道具立を吟味して成る丈け之を實景に摸擬し觀客をして身を實境に置くの想あらしめ斯くて俳優の技藝を引き立つることを勉むるが故に舞臺の天井に各種各色の透鏡即ちLenceを置この透鏡より光線を通じて之を舞臺の景色摸畫に映寫せしめ例へば火事の實景を現はさんとすれば赤鏡を使用して其火焔の勢を助け新月樹梢に懸りて暮色の蒼然として至り、秋風〓落して白雲縹渺たる摸樣などは色鏡の力を假りて其濃淡の色相を示さんとするが為め是非とも劇塲を闇くせざると得ず盖し演劇の上進とは役者の技藝の精妙にして能く觀客を感動すると道具方の工夫能く造化の工を奪ふて實景の舞臺夫に乏しきが故に演劇改上に躍出するとにあるなり我國の演劇は特に此道具方の工良の當局者は最も先づ意を此に注がざる可らざるなり
歐洲諸國にても劇塲の道具摸樣の發達したるは實に近年の事にして往時は今の日本の劇塲の如く立木二三本を置て山あるを示し格子戸を横たへて家の内外を表する等道具摸樣は簡單なる畫圖面に山川城池の目標あると一般、誠に粗末千萬なるものなりしと見えシエーキスピヤの或る脚本中に此處は深山云々の言葉あり盖し當時の道具立甚だ不完全にして深山の景色を顯はす能はざるが故に此言葉を添えて始めて其深山なるを表したるものならん近年に至りては道具方ますます精巧を極め兩三年前英國倫敦の或る劇塲にて露西亞の罪人がサイベリヤに流され雪深き洞窟中に困臥して故郷の情婦を夢むる處を演じ大に評判を博したることありしが其道具立精巧にして雪地の景色洞窟の摸樣寫し得て眞に逼り流人は洞の入口に倒れて夢か幻か時々寝惚けたるが如き假聲にて舊繁華を述懐する其際に洞の奥に男女の姿ボンヤリと顯はれて夢中の人が情緒纏綿なるの状を寫す其景致言ふ可らず、此邊の演劇に至りては役者の技藝何程に妙なるも道具立の精緻巧妙なるものあるにあらざれば興味索然たらざるを得ざるなり道具方の改良肝要なりと申すべし又西洋劇塲にては塲中に書畫等の額を掲ぐることなし盖し演劇塲にては觀客の注意を他に轉せず常に舞臺に向はしむること肝要なるが故に〓間に額を掲ぐる等の習なきものにてもあらんか此點より云へば東京の新富座中に數面の額を掲げたる抔は注意の未だ周到ならざる所あるに似たり意ふに西洋の劇塲にては道具摸樣に於ても新趣向日日續出すること必然なれば我國にて演劇を改良するに就ては差當り西洋流の道具方に精しきものを得ざる可らざるは勿論、或は其改良の規模を大にせんと欲せば其向きの人々を西洋に派遣して彼の劇塲の實塲に就き其道具方一切の摸樣を傳習せしむること肝要なり演劇改良家は先づ此覺悟なくては叶はぬ事ならん