「演劇改良(一昨日の續き)」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「演劇改良(一昨日の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

演劇改良(一昨日の續き)

今の日本の戯作者とて狂言の趣向を案ずるものは固より淺薄無識にして日進文明の考なく滿腦の想像畫は其模範を封建時代に取るが故に勸善懲惡の趣旨皆な儒教主義より來り文明の世態人情に適せざるもの多し特に昔時封建の時代には演劇俳優の位地甚だ低く之を見物するものは専ぱら下流の人なりしより戯作者も亦其情に訴ふることを目的としたるならんと雖ども觀客の思想進歩して昔時の簡單遅鈍なるの比に非ざる今日、尚其舊筆法を守り悲歎哀樂その極端を示して頴敏なる感覺を痛刺するなり、妄誕怪異馬鹿らしきまでに世の虚傳を誇張するあり、或は肉體淫褻の醜を現はし或は人情外の惨刻を示して容易に血を流し人を殺すあり、其趣向の野卑殺伐なるが為めに今の優美なる人情に對しては兎角温厚高尚の趣を欠きて之を慰むる能はざるものゝ如し畢竟我國の演劇は社會に對して其位地甚だ低く俳優自身も亦自から其身を輕んじ「錦着て疊の上の乞食かな」などゝ述懐する程の始末なれば彼の戯作を事とする者は恰かも此乞食に齒するの姿にて如何程の妙案を工夫して錦心繍腸を布置するとも之れに伴ふの名譽なきが故に學術文章の士は其新趣向を脚本に發露することなく脚本著作は一に無識者の手に歸することとは為れり西洋諸國にては演劇を以て貴女士君子の觀具と為し好脚本の劇塲に上りて看客の喝采を博するときは作者の名聲も亦忽ち世に馳するの趣あるが故に脚本著作は學術文章の士が其奇想妙文を現はるの地と為り隨て好脚本を續出するなり特にこの脚本作者は文辭の名譽の外に其脚本の版權興行權を有し或る劇塲にて其著作を演するときは座主との相談にて一時に相當の報酬金を得ることあり或は其興行中日々若干の謝金を受くることあり其約束は樣々なれども有名なる作家に至れば其版權興行權より収入する所甚だ大なり盖し西洋の演劇は評判次第にて同じ外題を一年乃至二年間も演し續くことあり近年英國倫敦にて好評判なりしConfusion即ち混雑と題する滑稽演劇は或る家の花嫁が其亭主に告げずして一の狗兒を買ひ入れたるに亭主は邪推して花嫁が其婚姻前に宿したる情夫の子を産みたるならんと思ひ違へ夫れより種々樣々の行違を生じて事の丸で混雑する有樣を仕組みたるものにして觀客をして能く抱腹絶倒せしめ其興行殆んど二年間に渉りて作者は莫大の利益を得たりと云ふ然るに我國の戯作者は確實なる興行權を有せず或る劇塲にて新脚本を演ずるに當り劇塲より作者に報酬する金は凡そ二百圓内外なれども作者は夫れ夫れの門弟もありて其幾分を割與せざる可らざるが故に一興行中作者の手に入るものは僅々百餘圓に過ぎず勿論此作者の間には舊來の慣例もありて師は門弟の収入上より幾分の利益を徴収する由なれども著作の報酬として其手に入るものは實に輕少なるが如し即ち我國の脚本著作は名譽もなく報酬もなくして自然無識者の手に落ちたるならんなれば今後好脚本を出さんとせば先づ演劇の位地を進め作者に版權興行權を與へ學術文章の士をして名譽の為め利益の為め新脚本に苦心執筆せしむること最も肝要の事ならん

前記の如く脚本著作をして名譽あり亦利益あらしめ學術文章の士が筆を抽て此著作に從事することとも為らば淫猥を去り殺伐を除き妄誕怪異を一洗して文明の人情優美高尚なる處を寫し悲歎哀樂その極端を示さずして穩に其情の流行を現はし所謂長歌の悲は慟哭に過ぐの趣を存して程よく頴敏なる感情を動かすの妙案もあらん西洋の演劇には樣々の種類あれどもTragedy即ち愁嘆式、Comedy即滑稽式は其二大別なり斯くて愁嘆式には絶て滑稽の旨を交へず二式全く分立すれども日本の演劇は一幕の中にも往々二式を混ずることあり或は云ふ愁嘆塲の通し幕は人心を倦ましむるの恐ありと或は云ふ愁嘆中に滑稽を交ふれば情を冷却して觀客の感動を移すの患ありと此邊の得失は我脚本作者の今後大に研究す可き所なれども何を云ふにも脚本著作に名譽利益の伴なはざる以上は好作者も出でず好脚本も亦出現せざるべし演劇改良家にして世に好脚本の續々出でんことを望まば先づ其脚本著作者に報ずる所以を思はざるべからざるなり (未完)