「演劇改良論續」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「演劇改良論續」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

演劇改良論續

演劇改良の事に就ては過般時事新報に鄙見を述べて讀者に於ても甚だしき異論はなき事ならん抑も演劇なるものゝ性質は果して善きもの歟又惡しきもの歟その邊の議論は姑くさし置き凡そ世の中の事に善きも惡にも人の之を見物して悦ぶは演劇の右に出るものなかる可し即ち人の心を引く力の最も強きものなれば此引力を利用して以つて文明の利を謀らんとす即ち改良論の起る由縁にして文明の士人が之れを容易に看過せざるも偶然に非ず况んや之を利用して利の大成るものは之を誤用して害の大なるものある可きに於てをや今の日本の演劇は殆んど誤用せられて時としては有害の聞もなきにあらざれば其改良は決して不急の問題にあらざるを知る可し扨その着手に臨んで如何なる變化を生じて如何なる結果に至る可きやと尋るに我輩の所見を以てすれば第一演劇に正當の資本を用ひて劇塲の仕組を盛にし以て都會の壮觀を富ますに足ることあるべし從前日本の芝居の元方なる者は山師の仕事にして投機の甚だしきものなれば正當の資本は常に用ひらるゝを得ず之がために其組織も自から粗末にして所謂小屋者等が〓を〓るの塲所たるに過ぎず盖し今日にても尚ほ芝居小屋の名稱を存するは以て其實際を證するに足る可し固より今の劇塲を以て百年前の小屋に比すれば雲泥の相違ならんと雖ども詰り小屋のまゝに進歩したるものにして僅に能く都下の醜体たるを免かるゝ者あるも其壮觀の名を得るまでには餘ほど縁の遠きものなり故に改良の第一着は大に資本を集めて眞成の大劇塲を建築すること必要なる可し或は今日の世態にては此塲を獨り演劇のみの用に限らずして音樂諸藝演説等其他都て賤しからざる行樂同の事に兼用するの工風も亦可ならん外國人などが東京に來遊したるときにも皇居を始め國會議事堂諸工塲諸學校に兼て劇塲を見物し假令へ其内を窺はざるまでも外觀を一目して壮大に驚くが如きは即ち帝都装飾の實効を奏したるものと云ふべし

第二演劇の時間を短くして塲中に飲食するを禁ずべし維新以前徳川の時代に江戸の芝居は拂〓幕明きにして點燈前に打出しの慣行ありしが維新後今日の處にては午前又は午後より夜十時十一時に亘ることゝ爲りたり〓くては見物人も疲れて衛生のためにも宜しからず且劇塲中に飲食するは体裁も見苦しければ寧ろ西洋風に午後晩食の後七時頃より始めて十一時に散じては如何との説あれども又一方より見れば宵より入塲して十二時に散じ深更家に歸るも衛生の宜しきものと云ひ難し左れば午後一時頃より始めて夕七時前に終り家に歸りて食事とせんか封建時代の如く閑散の人のみなれば至極の案なれども人事の忙はしき今日午後は正に仕事に時間にして之を演劇の見物に費すは惜しむ可し左れば折中して午後の仕事を切上げ四時か五時より見物して九時か十時に終らんか先づ今の日本の生活風に從ひ都合好き時間なる可し但し午後四五時に晩食を終りて家を出るは食事の時刻早しと雖ども短日の時節なれば左までの不都合にもあらず或は劇塲まで往來の遠近に由り自宅にて食事しては時刻に後るゝ向きもあらんなれば是等のためには劇塲付屬の休息所にて點心の用意して差支なかるへし凡そ此邊の趣向にして午後四五時より始めて九時十時に終るとすれば演劇の時間正味五時間にして幕間を無くすれば從前の芝居に八九時間を費したる事を五時間に終ることも得べし又今の所謂芝居茶屋なるものは無用の長物のみならず時としては有力の害物たるが故に一切之を廢止し看客塲に入らんとする者は公共の待合所に入る其体裁は凡そ今の鐵道ステーシヨンの待合所の如きものにして上中下の等を分ち上等婦人の待合所の如きは特別の便所は勿論漱洗手の手當まで殘る所なく備へ付け或は日本流の習慣に由れば手狭なる更衣の間も必要ならん塲中並に休息所待合所とも一切西洋風の建築搆造にして疊あらざれば婦人も洋服して靴をはくこと願はしけれども一樣に參り難しとあれば日本服にたもはきもの丈けは上靴又は上草履を用ひて可ならん上流の看客なれば徒歩にて往來する者はなかるべきが故に車にて家を出て車にて劇塲の待合所に達す、其車寄の都合好ければ雨天にても下駄を用るに及ばす或は下等の客なれば見苦しきを厭はば上草履を懐中して行く者もあるべし兎に角に演劇見物中並に休息食事待合中とも疊に安坐するなとは無きものを覺悟す可し

大凡そ以上の如き仕組にすれば從前の習慣に終日夜に入るまでも十餘時間の見物に愉快を覺へたる輩は今度改正の時間長からざるがため大食家に食を扣へたると一般、何かもの淋しき心地する者もあるべし又從前の看客中には演劇の見物中飲食を大切に思ひ且飲食し且見物するを以て無上の快樂とする者もあらん甚だしきは俗に所謂花より團子の諺に違はず放食鯨飲を第一として演劇を餘所に見る者もあらん然るに今塲中に飲食を禁ずるは取りも直さず此輩の快樂の半を奪去るの姿にして勢不平なとを得ざる可し本來見物の歡心に依頼する演劇の興行にして之に不平不滿足を抱かしむるは甚不利なるが如くなれども又一方より〓れば我輩が演劇の改良論を喋々するは文明上流の種族を目的に事を謀る者にして上流下流二樣の心を得んとするは迚も望む所に非ず人心の同じからざる其面のごとし上下二流は既に其人相も異なり其嗜好の異なる可きは當然の事なれば此流の下人は下等の演劇を〓て可なり都鄙共に其需に應ずる者少なからず最下等は乞食芝居より安芝居中芝居段々際限ある可らず是等は容易に其改良に着手す可きにあらざれば行て見物して食ふも可なり飲むも可なり向鉢巻放聲罵詈も妨げず下等社會綽々然として餘地あるものを云ふ可し唯我輩は中央に一大劇塲を開いて今の文明上流の看客を滿足せしめ或は其餘勢を以て他一般の劇塲に改良の端緒を開くこともあらんかと竊に之を心に期するのみ(以下次號)