「演劇改良論續(一昨日の續)」
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時事新報に掲載された「演劇改良論續(一昨日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
演劇改良論續(一昨日の續)
第三演劇の仕組次第に淡泊にして次第に人事の實際に近づくの風を成すべし小説演劇の本來の性質を云へば何れの國も同樣の事にして其目的は人間の幸不幸の像、善不善の働、喜怒哀樂の情は何れの邊に迄達すべきものかと其極端の想像を寫し出して人を感動せしむるの工風に在るものなれども眼を實際に轉じて文明進歩の樣を見れば人間萬事移り行く年代と共に濃厚急劇より淡泊優美に變遷せざるものなし故に想像を寫し出す演劇に於ても常に此人事變遷の實相に着眼して仮令へ事の極端を記すにも其極端の度を上下加減して正しくその時の人情に訴るの工風なかる可らず此點より見れば演劇は空想に非ずして常に事實に伴ひ正しく當世の氣風を寫したるものにして其國に入り其演劇を一見すれば以て其國其時の文明を卜するに足ると云ふも可なり古代には古代の演劇あり近世には近世の演劇あり時代に由て同じからざるのみならず各地人文の差違に從て一樣ならず西洋諸國の演劇が東洋諸國のものに異なるは正しく東西文明の程度如何を驗するに足る可し或は近く日本國中に於ても東京の芝居は日本第一にして大阪は之に亞ぎ田舎に至りては眞に田舎芝居にして見るに足らざるのみか東京人の眼を以てすれば田舎役者の藝の巧拙は姑く擱き其趣向の陋しくして殺伐殺風景なること一見して厭ふ可しと云はざる者なし盖し田舎の役者必ずしも悉皆拙なるに非ず時に或は都會に脩業して相應の技倆を抱く者もあらんと雖ども如何せん其地方の空氣鄙陋殺伐なるがために其空氣の運動に從はざれば見物人を悦ばしむるに足らず故に仮令へ稀に高尚なる藝人あるも其藝を高尚にするを得ずして流れ渡りに人氣を取ることに勤むるのみ畢竟役者の罪にあらず看客の致す所なりと云はざるを得ず故に云く演劇は世事の變遷人文の程度に從ひ其實相を寫し出して誤るものなきなり扨又こゝに筆端を轉じて世事の變遷とは如何なるものぞと尋るに前太平記時代の戰爭は敵を殺さざれば敵に殺され双方必死を期して敗北する者は妻子も共に死を免かれざるの常なりしものが元龜天正の頃に至れば時としては政敵又は謀反人を捕へて僻地に放つ等の事あり殺伐殘忍の氣風少なく緩和したるものなり又往古の法に竹鋸を以て首を挽切るの刑あり油の釜に煮殺すの刑あり一文斬の嚴法あり蛇責の拷問あり下て徳川に至ては其刑法固より嚴酷なりと雖ども其嚴酷中にも自から手加減なるものを存して實際に惨状を見ることは古に比して甚だ少なしと云はざるを得ず又士人爭闘の事に就ても武門全盛の時代には些少の行違にても直に腰間の劍に訴へて刃傷に及びしものが舊幕府の中葉以後は腕力に易るに言論を以てし刃傷は稀にして爭論の喧しき時勢とはなりたり何れも人事の濃厚より淡泊に變遷したる世相にして人情に多少の優美洒落を増したるの證として見る可し又この濃淡の差は時代の古今に關すると共に土地の都と鄙と人の種族の上流と下流とに由り其情に現はれて著しきものあり田舎の人は物の色合にても黒白分明なるを悦んで曖昧模糊の風致を解するものさへ少なく其心事常に性急にして善悪邪正長短醜美共に境界明白ならざれば心を飽かしむるに足らず故に人に徳することも甚だしければ其徳に感じ又仇に報るの念も亦深し忠僕の愚忠なるは必ず田舎者に限りて〓婦の〓醜なる者は必ず下等社會に多し何れも事の極端に至らざれば情を慰るに足らず俗に所謂厚かましきものにして之を都會上流人種の心情優美にして洒落なる者に比すれば同日の論に非ざるのみか或は其好悪哀樂の趣全く相反するものあり例へばむかし世に恐ろしき男女あり數條の生きたる蛇を弄び之を帯にし綿襷にし又鉢巻にし甚だしきは之を口中に入れ半胃管に下だして又引出す等實に恐ろしき醜藝を演じ路傍に錢を乞ふ之を蛇遣と云ふ觀る者常に黒山の如しと雖ども其見物人の種類を尋れば多くは田舎者にあらざれば都下の下郎輩に外ならず又見世物に種々見苦しきものゝ多き中にも婦人が陰部を露はして跨る所へ客は正面より進み火吹竹を口にして其醜點を吹くの趣向あり愚極醜極の見世物にして之に群集する者は必ず田舎者ならざるはなし上流の都人士は之に近づかざるのみか若しも強ひて蛇遣を見物せよと命ぜられ彼の火吹竹を吹けと迫られたらば多少の謝金を投じても其塲を遁るゝことならん一方は錢を出して見物し一方は謝金を拂ふて之を辭す嗜好の相反對するものにして畢竟人文の程度を殊にするより生じたる事相なりと云ふ可し(以下次號)