「長崎の支那軍艦」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「長崎の支那軍艦」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

長崎の支那軍艦

本月十三日并に十五日の兩夜長崎市中に於て當時同港碇泊の支那軍艦の水兵が暴行を働きし次第は前日來續々時事新報紙上に登録する同地よりの電報によりて讀者の既に知らるゝ所なり目下長崎港に在る支那艦隊は鎭遠定遠の兩艦并に外二艦より成立ち中に就き鎭遠定遠の兩艦は獨逸製の新軍艦支那海軍中にて第一位を占むる巨大堅牢のものにして殊に此艦隊を指揮するは久しく東洋に其名を知られたる水師提督丁汝昌氏なり丁氏が此艦隊を率ひて浦塩斯徳港より長崎へ入港したるは去る十日の事にして其以來昨今に至るまでの細事情は我輩未だ郵便の報知を落手するの時日なきを以てこれを知ることを得ず然るに數日前突然にも支那水兵と日本巡査との間に騒動ありたる旨長崎より電報到來して聊か我輩の耳を痛めたるが退いて一考し結局する所は陸地珍らしき水兵等が上陸鯨飲一時の快を貪り其際何か警察規則を犯して例の如く巡査と悶着を起したるものならんと推察して格別留意する所もなかりしに爾後追々到來する電報によれば越えて一日同十五日の夜にも又々水兵と巡査との間に騒動ありて次回の騒動は事状甚だ容易ならず為めに十名内外の即死人七八十名の負傷人を造り出したるが如し電報の報ずる所彼れ是れまちまちにして詳細正確の事實を知るに甚だ困難なりと雖も兎に角に日本支那兩國人の間に凡そ百名に近き死傷人ありたる者といへばこれぞ實に一個大事變の名を下だすに十分なる性質を具ふる者といふて可なるべく我輩の實に心痛する所なり電報の報ずる所尚ほ詳密を欠くありて我輩尚ほ未だ此事の顛末并に其是非曲直の在る所を詳知するの折を得ずと雖も然れども諸電報の云ふ所を互ひに相照らして今回の事の次第を察するに大概左の如くなるものゝ如し即ち本月十三日の夜長崎に上陸の支那水兵中酒興に乗じて何か亂暴を働きたる者數人ありたるより警察の職に當たる日本巡査は當務の職分とてこれを制し其犯罪者を警察署に拘引せんとするに際し其者と同伴する多勢の水兵は我仲間の者を巡査に渡すを好まず無法にも之を妨げんとしたるより餘計の面倒を引越したれども遂に多勢の巡査の力を以て纔かに其犯罪者を拘引するを得たるなり此事の次第を聞て市中に居合せたる二百名計りの支那水兵は今拘引せられたる我仲間の者を取戻さんとて警察署へ押寄せたれども警察署にては内より門戸を鎖して嚴重に警固したるより水兵等は事を為すの望を失ひ其夜は無事に引取りたり然るに其翌々日十五日の夕刻に至り三百名ばかりの支那水兵上陸して一所に屯集し通行の巡査に向て侮辱を加へたるより警察署にては此暴行の報知を聞いて多勢の巡査を送り來りたるに水兵等は刀劍類を揮ふて巡査に切て掛かり忽ち一塲の大騒動を起すと齋しく水兵等は隊を分ちて警察署を目ざし進行するを巡査はこれを支えんとして力或は足らず義勇なる長崎市民の助力を得て纔かに三百の暴人を追ひ返へすを得たりといへども此暴動の為めに支那水兵日本巡査長崎市民の死傷する者殆んど百名に及びたるが如し實に容易ならざる暴動といふべし

以上の次第果して今回暴動の事實ならんには是非曲直の在る所一目瞭然にして暴動の責は全く支那水兵に在ること論を待たざるなり若し此事をして十三日の騒擾のみにして止まらしめば左まで支那水兵を咎むべき程の事にもあらざりしならん何となれば艦内に籠居の水兵等が上陸酒に酔ふて乱暴を働き遂に警察署に拘引せらるゝの例は有りうちの事にて決して珍らしきものにあらず唯當時他の二百名の水兵が犯罪者を取戻さんとて警察署を取圍みたるは頗る不穏の所業なれども他の水兵たりとて同じく亦多少酒の勢力を仮り居たるなるべければ巳等の中間が警察署に拘引せられたりと聞いて夫れ取戻せとドヤドヤ押掛け行くも亦時の行きがかり人情の然らしむる所にして唯署前に集まりたるまゝにて神妙に引取りたる以上は其心事擧動とて強ち惡むに足らず寧ろこれを恕すべきの情實あればなり然れども第二回十五日の暴動に至りては事情全く前日と相違し支那軍艦の水兵等が故らに謀りて日本の法律を犯し社會の秩序を乱らんとしたるものにして其證跡甚だ分明にして掩ふべからざるなり加之或は水兵等は豫め上官の許諾を得て此暴行を恣にしたるかの根據ある疑を存すべき事情あり何となれば十三日紛紜の次第の十五日の夕刻までも艦長等の耳に達せざる道理もなく又三百名の水兵が得物を用意して上陸する其擧動の尋常ならざるを察知し得ざる道理もなく此等の事を承知して水兵に上陸を許すべき道理もなく又黙諾なり公諾なり艦長の命令を得すして恣に士官の者が水兵を指揮して警察署襲撃の事を企つるが如き道理もなければなり況んや此事の十三日の翌日十四日に起らずして其翌々日十五日に起りたるを見れば十分に謀議準備する所ありて三百名の仲間を募り一定の計畫によりて徐ろに事を謀りたるの跡も亦明白なればなり無事和親の交際國同士にして其艦隊を一國の港に乗入れ其艦隊の士官等が數百の水兵を率ひて上陸し豫め定むる所の謀略に從て其地の警察署を襲撃するなどとは海軍歴史上に我輩の未だ曾て聞見せざる所にして實に驚くべき始末なりといはざるを得ず長崎市中には幾人の巡査あるや我輩の知らざる所なれども長崎全縣の巡査四百五十名ばかりなりといふよりして見れば市中を警固する人數は多くて二百名もあらんか斯る少人數にては迚も今回の如き大敵を防禦 得べき望なし幸ひに市民の義勇なる巡査に一臂の助力を與へたればこそ長崎全市中を修羅塲と變ずるの大事を見ずして止みたるなれ實に忌むべく恐るべき次第柄といふべし丁提督は此艦隊を率ひて日本の諸港を巡回するの目的なるよしさてさて掛念の事共なり何卒我政府は急に嚴重の談判を開き今回長崎暴動に付其責の在る所を明かにして速かに賠償謝罪の事を結了し尚ほ提督に嚴談して他の日本港に乗入るは勝手なれども再び長崎の如き不始末なきやう嚴密の取締を保證せしめんこと我輩の日本國民に代りて敢て希望する所なり