「薩摩沖縄間の海底電線」
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時事新報に掲載された「薩摩沖縄間の海底電線」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
薩摩沖縄間の海底電線
徳川政府の晩年邊海多事の折柄には世の所謂海防論家なるもの北門の鎖鑰の固からざるを憂へ専ぱら意を蝦夷即ち今の北海道地方に用ゐたることなれども東洋の形勢は爾後大に變ずる所あり今日の日本は北門の固からざるを憂へずして寧ろ南門の鎖鑰の固からざるを憂ふるの地位に立つものゝ如し然るに我沖縄縣は日本南門の第一關にして支那海往來の要衝に當り地勢の形勝は申す迄もなく氣候温暖にして砂糖菓實家畜等の物産に富み其南端八重山の一島には良質の石炭層もある由にて形勝を云ひ物産と云ひ腹黒き國々の羨望を招くは勢の自然なりと申す可し特に支那政府にては一旦琉球諸島を慾望せしことあり其慾火も今はハヤ消滅したるが如くなれども動もすれば再燃の兆を顯はし琉球談判と云へる不祥の文字時に内外の新聞紙上に上ることさへある始末なれば今に及んで本地と琉球との交通を便にし平常公私の通信は申すに及ばず何か非常の警報を要することあるも至急の間に合ふて其事宜を失せざるやうの用意なくては叶はぬことなり然るに今日の處にては内地と交通の有樣は月に一回汽船の相往來する位にして軍艦時々の巡航も稀に海底電線の連絡もなく幾多の群嶋、南洋の一隅に孤立して内地より此嶋に赴くものは恰かも俊寬鬼界嶋に居るの想ある程なれば一旦緩急事あるに際し烟波千里誰れに向て至急の援を呼ぶ可きや不安の至りと云ふ可きのみ左れば今琉球と本地との交通を便にするは政治上商業上共に最大急務にして其方法も亦種々なる可しと雖ども我輩の所見にては差當り薩摩より大嶋を経て沖縄本嶋まで海底電線を沈架せざる可らずと信ず此事は固より我輩の新案に非ず折に觸れ機に乗じて宿昔痛論せし所なれども我輩は今度長崎にて日本巡査と支那水兵との間に一塲の紛闘ありたるを聞くに付けて特に此宿論を反覆するの必要を感ぜざるを得ざるなり
數日前の事なり、支那軍艦幾艘沖縄の那覇港に着し水兵上陸したりとの風説あり先方の國柄と云ひ着艦の塲所柄と云ひ聞く人々も要こそあれと目を皺叩きし程もなく右は全く虚傳なりしと云へり狭小なる日本國の中にて斯る事柄に斯かる訛伝を生ずるは畢竟交通不便の應報にして世人をして一時多少の不安心を起さしむる其不都合如何ぞや斯くて右の虚傳は不祥なる前兆と爲り今般長崎表にて日本巡査と支那水兵との間に一塲の闘爭ありて双方に數多の死傷もあり且つ其爭闘は一時途上の行違より事起りたるにも拘はらず時日を隔てゝ多數の支那兵我が警察の官署を襲撃したることなれば事の性質に於て頗ぶる組み入たる所なるものゝ如し然るに此騒動は長崎表に起りたるが故に電信の交通自在にして官私共に先方の通信に接し虚實分明にして訛傳疑似の患なければ上下共に疑惑を抱かず實に不幸中の幸とも云ふ可しと雖ども若し此事が地を換へて沖縄那覇港抔に起りたらんには海底電線なきが爲め事實の報道延引して訛傳百出人心を騒擾すること容易ならず當局嶋民の迷惑は申す迄もなく内地の人々其事情を速知するの便を得ずして官私ともに幾多の不安を生ずるやも測る可らず聞く所に據れば鹿兒嶋より那覇港に至る航路三百七十三海里、一海里の海底電線沈架費は凡そ二千圓内外なりと云へば内地と沖縄との間に海底電線を通ずる費用は何程十分に見積るも百萬圓に上るの氣遣ひはなかる可し百萬圓の金額巨大なりといへば云ふものゝ平常の公私通信、軍國の警報等自由自在に此間に往復することを得ば一朝不虞の變あるも音信阻絶の憂なく進退攻防共に時期を失ふの悔なかる可し今の軍國にては一艘の軍艦製造にも尚百萬圓位を投ずるを常とす、内地と沖縄との交通を開きて平日人事の進歩を促すと同時に有事の日には事の虚實軍機の掛引を互通して隔靴の嘆を免かれしむる其便利果して如何ぞや百萬圓足らずの海底電線沈架費は決して吝むに足らざるなり我輩は近來東洋の形勢を通覧して特に右電線沈架の必要を感ずるが故に今日只今より早速工事に着手して萬一他日事あるに當り我輩をして不幸にも知言に名を博せしめざるやう今より當局者の勇斷を切望するものなり