「目下新聞紙の記事論説は如何して可ならん」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「目下新聞紙の記事論説は如何して可ならん」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

目下新聞紙の記事論説は如何して可ならん

衆口金を爍すとは正に今世の新聞紙を評するの語に適用して可ならん我輩新聞記者にてありながら新聞紙の勢力に就ては自から驚くこと多し其事實を記して天下の耳目を誤ることなからしむるは勿論なれども數多き記事の中には新聞紙の誤謬よりして却て人を誤ることも亦少なからず又時としては腹の宜しからざる商人又は政治家などが之を利用して種々樣々の説を作り是非曲直を逆にして黒白長短を瞞着し傳へ又傳へて遂に衆口金を爍すの工風を運らし以て自から爲にするが如きに至りては其毒害實に言ふ可らざるものなり左れば新聞紙は社會の有害物として一切これを禁ぜんかと云ふに有害の代りに利も亦多くして利害相償ふのみならず文明進歩の利器として缺く可らざるものなれば寧ろ之を奨励するこそ得策なれ交通自在の今の世の中に於ては百事意の如くなると同時に又意の如くならざるものも多きが故に其記事論説の誤ると誤らざるとに拘らず勝手次第に放却して甲の誤るものは乙の正すに任せ、乙の非なるものは丙の駁論を許し諸の新聞紙が相互に競爭論駁する其中に與論の如何を卜するの外に好方便ある可らず殊に他國の發兌に係るものゝ如きは國と國との間に之を左右制御す可き權利もなきことなれば甲國の紙上に非と云ふて誤るときは乙國の筆を以て之を正して是とするの一法あるのみ即ち新聞紙の禍を防ぐに新聞紙を以てし金を爍すの筆を以て他の金を爍すものを爍すの工風に依頼するものなり故に方今文明諸國公私の交際に於て能く新聞紙を活用する者と然らざる者とを比較するときは其得失決して少々ならず被る可らざるの曲を被る者あり、得べからざるの名聲を得る者あり、禍福の歸する所奇々妙々にして詰り多言なる者が利益を占ると云ふも可なり古人の誠に多言は無言に若かずと云ひ、口は禍の門なりと云ふが如きは文明繁多の世に通用す可らず今日の實際に於ては沈默の門に損亡來ると云はざるを得ず英國人が東洋に出入して名利を〓にするが如き樣々の原因ありと雖ども東洋諸國に英人の發兌する英字新聞甚だ多くして常に其本國の新聞社に連絡し共に同國人の權利栄譽を保護するの勢力も又預りて大なりと云ふ可し

以上は新聞紙の性質効力を汎論したる者にして扨近く我日本の新聞紙は如何なるものぞと尋るに平生は尋常一樣の事を記して差したる奇觀もなく世界普通の新聞紙に似たれども一且緩急の國事に逢ふ毎に其筆鋒頓に鈍りて紙面分明ならず時としては大切なる出來事を逸して數日數箇月を經たる外國舶來の新聞紙上に見ることあり其舶來の文字も事實を記して誤らざるものなれば尚可なりと雖ども往々事の反對を喋々して是非曲直を逆にし黒白長短を誤る者なきに非ず例へば明治十七年朝鮮京城の變亂に我諸新聞紙が報道の機を誤りて大切なる事實を逸したるは相違なきことにして其時には世人も左ほどに思はざりしかども後に至りて歐米諸國の新聞紙を見れば其事を記すのみならず事の實を誤るもの多かりきは世人の普く知る所ならん就ては今回長崎の事變に付き又例の如くに日本の新聞紙は記事の遅鈍なる其際に早くも其事情を海外に傳へて訛傳誤報の種子を歐米の社會に流布せしむることはなかる可きやと我輩の深く憂慮する所なり抑もこの事變の曲は支那水兵に在ること明白にして軍艦の長官等が之を公諾するにも默諾するにも其邊は扨置き我日本人が害を被りたる其害を賠償するの責は支那の軍艦に在ること申すまでもなき次第なれども新聞記者が事を圓滑に始末せんとの智巧に出でゝ成る丈け事柄を平易に記し此事たるや唯一時の間違に生じたるのみ水兵の擧動も左まで暴ならず巡査の處置も至極穏なり斯る間違は毎度ありうちの事にして驚くに足らず不日にして平和の局を結ぶ可しなど云へば我國人の血氣を激昂せしむるの憂なくして暫時の都合は宜しきに似たれども内外人の中には政治家も多く商人も少なからずして其心術測る可らず彼の新聞記者が此事變を尋常一樣の出來事と明言したるこそ幸なれ即ち支那水兵には暴動の罪なしとて其罪を遁るゝの口實に記者の言を用るのみか油斷をすれば百口喋々金を爍して逆捻に出掛け曲日本に在て直支那に在りなどゝ漫語を放つが如き珍事なきを期す可らず斯の如きは則ち内の人氣如何の心配にかまけて外に對するの國權を顧みざるものなり既に一昨日の時事新報雑報欄内に記したるヘラルド新聞の恠説の如き其説誠に恠なれども日本諸新聞紙の論鋒都て遅鈍にして其中には殊更に事實を縮小し棒大を針小にして平和を装ひ恰も空嘯くが如き顔色する其際に恠説却て千里に馳せ世界中の耳目をして普く恠ならしむるの心配なきを得ざるなり

左れば新聞紙は實を傳るに有力なると同時に虚を流布せしむるにも亦有力にして到底意の如くなる可きものにあらざれば之を其記者の本心に放任して事實を直筆し曲直の品評を曖昧にせずして與論の向ふ所を明にし以て内の進歩を促がし以て外に國權を維持するの塲合に至らんこと我輩の切望する所なり今回長崎の事變に逢ふて特に感あり依て一言して讀者の所思如何を問ふ